4 CARAT 記憶を消せたのなら

 ――世界は理不尽に動いている。


 顔が少しばかり整っていないだけで嫌われる人。

 趣味が人と違うだけで避けられる人。

 どんなに頑張っても報われない人。


 だが、それが世界だ。俺の大嫌いな世界だ。理不尽あってこその、世界だ。

 それは、どんな世界に行っても変わることはない。理不尽のない世界なんてない。


 だから、自分の願いのために自分の命を捨てる。そんな理不尽もあるのかもしれない。


「ジュリ……」


 夢の中、そう呟く人がいた――。


―☆―


「なんなんだ。さっきの夢」


 それと、なんだこの居心地の良さは。みるものほとんどが新しく目にするもので、この世界にきてからなかなかその環境に慣れなかった。

 目の前には黒くて古びた天井。蜘蛛の巣があちこちに張っていて、今にも上から降ってきそうだ。

 家具はすべて新品なのに、部屋は異様にボロい。これがホテルといえるのだろう……か?


「まった! ここ俺の家じゃねーかよ!」


 俺は薄暗い部屋の中、一人で大声で叫んだ。そのとき、隣の部屋から「うるさい!」と聞こえたが、聞こえなかったことにしよう。

 間違いない。これは俺の家だ。俺の暮らすボロいアパートの一室だ。こんな薄暗い部屋が他にあるか?

 ってことは……。


「夢だったのか」


 俺の感は何度も外れたことがある。

 今日は雨は降らなそうだな。と思って手ぶらで出かけたらびしょ濡れになって帰ることになるし、今日は別の道で帰った方がよさそうだな、と思って帰ったら犬の糞を踏む。

 そんな不運な人間でもある。俺は。

 そんな俺自身が夢じゃないと信じたあの世界での出来事は、全部なかった。

起きてすぐわけわからず追われたことも、そこをわけわからず助けてくれたジュリに出会ったのも、そんなジュリに怒鳴ったことも。

 鮮明に覚えている。でもなかったんだ。


 考えれば考えるほど、その答えに納得してしまう。

 非現実的なことなんて、そうそう、いや、絶対ない。


 とはいっても、気持ちの整理が上手くできていない。あんな怒鳴り散らした状態で終わったんだ。たとえ夢でも、最後に謝りたかった。

 今日は何もない日のわけだし、気分転換に公園にでもいくか。


「あーのー! 家賃まだでーすかー!」


 はぁ?

 ああ、またあのドケチ大家か……。はあ。


 ドケチ大家、鈴木智乃。


 こんなありったけの名字がほしかったと、俺は毎日あいつの顔を見ては憎んでいる。ケチなうえに金の催促も早い。俺はとりあえずドアを勢いよく開ける。


「どぅわっ!」


 すると智乃さんはドアに思いっきり頭をぶつけて尻もちをつく。

 31歳にしては長い髪はさらさらで顔もシミ1つない。モテそうな顔立ちであるのに、性格が残念だから付き合っても何度も別れることになる。もちろんふるのは相手の方。


「あーもう酷いなぁ! そんな勢いよく開けたら壊れちゃうよ~? ああそうそう、そんなことより来月の家賃まだ?」


「すみません。帰ってくれませんかね。全く整備されていないこのアパートに俺よく毎回1か月前に払ってるな」


 俺が冷たく呟くと、目の前の大人は座った姿勢のまま手足をバタバタさせて泣きわめく。大の大人が手足をばたつかせるものだから、ボロアパートの床がギギギギ と音を立てる。まるで助けを求めてるように。

 ごめん。俺はお前のことを助けられない。死ぬときは一緒だ。


「やーだやーだ! 帰らないもん! 払うまで帰らないもん!……実は私、親が重病で、手術の費用が一刻も早く必要なんですぅ……シクシク」


 お前の親なら母親が数日前実家でとれた大きなトマトを元気にアパートの住人全員に配ってたが。おまけに俺の隣の部屋お前のお父さんなんだが。うるさいって大きな声で言われたんだが。そんな親からも家賃取ってるのは何処の誰だ?


 そんなことを思いながら口にはせず、俺はただ茫然とキャラづくりに苦戦してる 智乃さんを見ていた。

 家主をやっているというのに、そんなに金が足りなくなるようなものなのだろうか。ドケチ装ってほんとは人から巻き上げた金遊びに使ってるんじゃねーのか?って、いくら何でもないか。


「金出せやおらー! ……うーん違うな。……ヤチンをハヤク、だしてクダサーイ! サモなけれバ、あしたカラ空き地で暮してモライマース!……どう? 出す気になった? んん?」


 いや、こいつならあり得る。

 俺はめんどくさいやつの相手をするのは苦手なので、座り込んだままのドケチ大家をスルーして公園に向かった。「ちょっとおー!」と泣きわめくような声が聞こえたが、聞こえないふりをして、逃げた。


―☆―


 公園には来たものの、いつものベンチに座ったものの、することが全くない。話し相手でもいれば別なんだけどな。ハローワークに行って求人票でも眺めて時間潰すか?……なんだか気分転換に求人票って、言葉もでないほど悲しいな。


「世に言うニートってやつなんだよな。俺」


 ぼそっと声に出す。周りのやつのせいで、俺の人生も、俺の心も根っこから腐ってしまった。こんな俺に、仕事をする未来なんてないのかもしれない。


「よお!」


 後ろからよく知る声が聞こえる?いや、だって今日は朝から面接なわけだし、桜木がいるわけ……。


「おい! 無視すんなよ! 声かけてんじゃねーか!」


「え!? さ、桜木!?」


 後ろを振り向くと、今にも殴り掛かりそうなくらい拳を強く握って俺の方へ向かってくる、桜木がいた。

 たしか今日、3月5日は隣町の会社の面接に行くと言っていた。


「お、お前面接は……?」


「あ? 昨日の面接の事か? バッチリだったぜ! 基礎学力のテストは白紙にしちまったけど、面接はなんとか怒鳴らず投げ出さず終わったしな!」


「いや、お前のバッチリはどんだけハードル低いんだよ。……ってまて、今、昨日って言ったか?」


 桜木は「ああ」と不思議そうに呟くと、自然に俺の隣に座ってきた。

 昨日は俺も桜木も面接なんてなかったはずだ。俺たちはお互いのスケジュールを知っている。お互いが面接のない日は把握しているし、だからこそこうやって公園にいつも集まれる。

 いや……そもそも、俺の言う昨日は、本当に昨日なのか?


「なあ、今日って、何日だっけ?」


「今日? 3月6日だけど」


……え?


 俺がその疑問詞を、声に出したのか声に出していないのかは覚えていない。でも確かなのは、俺の時間はそのとき、止まっていた。体は一時停止をしたまま、脳がフル回転していた。

 俺はおそるおそるズボンのポケットに手を入れる。


「どういう、ことだ?」


 ポケットの中には、青い小袋が入っていた。それは夢だと思っていた世界で、ジュリにもらった小袋だ。

 どうして今まで気づかなかったのだろうか。

 服はこんなに汚れているのに。

 身体はこんなに疲れているのに。

 鮮明に覚えていたのに。

 夢じゃないと確信したのに。

 そうだ。あれは夢じゃなかったんだ。今日も、昨日も、起きたら世界が変わっていた。

 つまり、俺は寝てる間に……。

 

「異世界に飛ばされるってことか」


おそらく、この水晶の力で。


「は? 異世界? お前どうしたんだよいきなり」


 桜木に話したら絶対信じてもらえないどころか、馬鹿にされるだろうな。


「いや、アニメの話。最近アニメを見始めてさ」


「ふ~ん。飽き性のお前が? たまには最後まで見ろよなー」


 いつものように馬鹿にする桜木は置いといて。

 ということは、昨日の出来事を放り出したまま俺は戻ってきたということなのか?ジュリは、今頃何しているんだ?

 まだ、謝ってもいないのに。


「おーい。起きてるか―?」


「うわっ!……な、なんだよ」


 気が付いたら、鼻がぶつかりそうなくらい近くで派手なメイク顔が大声を出していた。


「お前さー? 嘘つくの下手すぎ。嘘つくってことは、話せないことなんだろうけど。何かあったら言えよな。あたしたち、何でも言い合える仲じゃねえか」


 嘘なんてこいつには通用しない……か。だからといって真実を教えても、桜木には関係ないことだ。関係のない桜木を巻き込むつもりはない。


「あーーーー今のナーーシッ!」


「は、は?」


 桜木は急に立ち上がり声を張り上げて公園中に響かせる。今度は俺の服の袖を引っ張って後ろに走る。俺は呆然とその強い力に引きずられ言葉も出なかった。

 動きが止まって振り向くと、俺たちはあの日現れた噴水の前にいた。


「あたしさー、結構ここ気に入っちゃって! 綺麗じゃねえか? こんなぼろい公園には勿体ないくらい、綺麗でさ。嫌なことも全部、この噴水の水に流されるっていうかなんていうか」


 まるでシャンプーをするときのように、照れくさそうに、ボサボサの髪をさらにボサボサにしながら、桜木は言った。


「桜木にも悩みってあるのか」


「なんだよ! あたしだって色々あるんだよ。その、記憶のこととかさ」


「まだ、思い出せないんだな」


 桜木は記憶喪失だ。それも、変わった記憶喪失。

たぶん桜木は、不良という理由以外に、中学までの記憶が一切ないことから、なかなか就職できないようだ。

 面接でも自分の過去のことを話すことはできないだろうし、勉強面でも小学生並のことしか今はできない。記憶を失ってから一年。ちょうど俺が中卒をしてから一 年間、勉強を少しずつしているらしいが、やはり1年では就職試験に必要な基礎知識は身につかない。元々不真面目な性格だからなおさらだ。


……それでも、桜木なりに頑張ってるんだよな。


「気が付いたら記憶がなくてさ。医者には頭打ったわけでもないって言われてるし、親も、今まで普通だったのに急に人が変わったようになったって」


「昔の桜木、どんなやつだったんだろうな」


「さあ?」と笑うと、桜木は噴水の水を手ですくって、顔を気持ちよさそうに洗った。3月のはじめだというのに、寒くないのだろうか。

 俺は透明な噴水にゆらゆらとうつる、自分の顔を見る。


 なんて馬鹿らしい顔だ。この顔は常に何かを嫌っている、世界で一番嫌いな顔だ。

 桜木の前では言えないが、記憶を消せるのなら、俺も記憶を消したい。自分の大嫌いな記憶を消し去りたい。忘れたい。

 名前のことを憎むようになったのも、クラスメイトが俺の名前を聞いて笑うからだった。それまでは、小学校低学年のころまでは、かっこいい名前だな。って自信があって、こんな名前が、少し嬉しくもあった。

 もし学生時代の記憶を消せたのなら、俺はもう少しマシな人間になっていたのかもしれない。


 だが、人の記憶というのはそう簡単に消えるものではない。

 記憶が消えたところで、桜木のように自分の記憶を必死に思い出そうとするだろう。誰だって。


「うっわさっむ! やっぱこの時期に冷たい水で顔洗うものじゃねーな!」


 服の袖で自分の顔を拭いている目の前の彼女のことを、もちろん俺はまだよく知らない。

 自分が自分のことを一番知っている。それが当たり前だ。

 だから自分が何者かもわからない桜木は、きっと俺の思っている以上に悩んでいるのかもしれない。


「桜木、さっき俺に、なんかあったら言えって言っただろ」


「あーそんなこと言ったけなあ~?……今思うと恥ずかしい」


「なんと言えば良いんだろうな……その、そのままお前に返すよ。その言葉」


 普段そんなふうに言ったことがないものだから、俺は桜木と目を合わせることができなかった。

 沈黙に包まれ、噴水の流れる音しか聞こえなくなった時だった。


「……実はさ、あたし――」

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