13-⑥:絶望の足音が聞こえる。

 そんなある日。また、野菜運びの女の子からの差し入れがあった。


「セシルさん。また甘栗が手に入ったから、持ってきてくれたんですって」

 先程までいつものようにその女の子と世間話をしていたらしいユリナが、にこにことしてセシルの部屋に入ってくる。


「そうですか…」

 きっとユリナはその子に、自分が甘栗を貰って喜んでいたことを話したのだろうと、セシルは思う。だから、また持ってきてくれたにに違いない。

 だが、セシルはありがたいと思いながらも、余りうれしくはなかった。つわりがひどい時に、ノルンに毎日のように買ってきてもらっては食べていたからだ。だから、セシルは今や、甘栗に少し飽きていた。


 だけど、あって困るものでもないので、セシルはユリナから甘栗の紙袋を受け取る。それは以前とは違い、冷めていた。ただ単に時間が経ってしまっただけかもしれないが、もしかしたらユリナは以前紙袋が熱くて落としかけたことを話して、その子は冷めてから持ってきたのかもしれない。それなら、大層気の利く子だと思う。


―そう言えば、その子にお礼言ってないなあ


 あの時は甘栗が救世主のように思えたものだ。わざわざ貴重な甘栗を持ってきてもらったのに、一番お世話になった自分がお礼を言わないのは悪いような気がした。


―また野菜を届けに来るのだろうし、その時にでもユリナさんに紹介してもらおう


 名前は確かグレタなんちゃらだったと思う。名前だけはよく覚えているのは、サアラの母親と同じ名前だったからだ。ふと、セシルは、サアラは今頃どうしているだろうかと思う。

 あいつのことだ、今頃自分を殺そうとしたことなどけろりと忘れて、毎日侍女仕事に走り回っているに違いない。ただ、自分の事で心配をかけているだろうが。



 セシルはその紙袋を布や糸が散らばっている机の隅に置くと、椅子に座って先程からの作業に戻った。


―後で食べよう。今は、これを作らなきゃ


 セシルは、ウサギと格闘していた。実際に格闘していたわけではない。産まれてくる赤ちゃんのために、産着を作っていたのだ。そして、今は最後の仕上げ―ウサギのアップリケをつけていたのだ。


「もうほとんどできたわね」

 ユリナは微笑ましい心地でセシルを見つつ、長腰掛に座る。


「うん、後ちょっとでできるんです。だけど、これだけじゃ足りないから、着替えもつくらなきゃ」

 意外に思われるかもしれないが、セシルは縫物が得意だった。ただ、普段は自身や騎士団仲間の服の補修ばかりやっていたので、一から服を作ったことは無い。だから、ユリナに型紙の作り方など、色々と教えてもらいながらやっていた。



「…できた!」

「ふふふ…」

 セシルは、初めてにしては中々上出来のそれを、ユリナに「見て見て!」と見せる。


「次は何色の服が良いかな…。これは白だから女の子でも男の子でも大丈夫だけど…、次は黄色にしよっかな…だけど、赤ちゃんが赤毛だったら黄色は似合わないかな…」


 ユリナの隣に座り、うんうんと考えるセシル。赤ちゃんはどんな顔の子になるだろう。自分に似たら水色が良く似合うだろう。レスターに似たら、赤毛だから暖色系の色かな。


「早速次を考えるのもいいけれど、少し休んだら?無理は体に障るわよ」

「はあい」

 セシルは凝った肩をぽきぽきと回すと、長腰掛の背もたれに「う~ん」ともたれた。


「あ、そうだ。甘栗ちゃん忘れてた」

 セシルは立ち上がると、うきうきと甘栗の袋を取りに行く。飽きたとはいっても、やはり好きなのに変わりはない。セシルは長腰掛に再び腰を下ろすと、ユリナと分けようと紙袋に手を突っ込んで栗をわしづかんだ。


「…ひっ」

 セシルは慌てて手を引きぬいた。手のひらに、おもいっきり針を突き刺したかのような痛みが走ったからだ。

 セシルが手を見ると、皮膚に3本、栗のイガが深々と刺さっていた。


「なんだよコレ…」

 セシルは紙袋の中を見る。すると、栗に混じって、幾本かのイガが入っていた。それを見て、ユリナも「あらまあ」と口に手を当てる。


「どうなってんだこれ…。ちゃんと、選別してなかったってことか?リトミナでこんなの売ってたら、苦情どころじゃすまないぜ」

 セシルは手の棘を引きぬくと、ぶすぶすといいながらテーブルに紙袋の中身を広げた。


「こんなものを持ってくるなんて…」


 こんな品物を差し入れとは言え、公爵家に持ってくるなんて。自分で焼いたと言っていたから、その段階でイガが混ざっていることを知っていたはずだ。これぐらいのイガなら大丈夫と思って持ってきてくれたのだろうか。あんなに良い子が、たとえ間違ってでも嫌がらせなどするわけがないから。

 ただもしかしたら、以前の甘栗を”銀色の悪魔”が食べたことを知って、その悪魔に嫌がらせをしようとしたかもしれない事を、ユリナは否定できなかった。


「…別にいいです。せっかく持ってきてくれたんだし。たぶんリトミナからサーベルンに輸出されてる甘栗って、粗悪品なんだと思います。 嫌がらせにリトミナ人の考えそうなことですよ。その子も棘を一本一本取ってられないから、仕方なく焼いたんだと思います」


 セシルは嫌がらせの可能性を考えつつも、ユリナがその子を問い詰めて、もしそうじゃなかったらその子に対してとても失礼なことになると思った。それに、例え嫌がらせであった場合でも、大事にしたくないという気持ちもあり、セシルはそう言った。そして、セシルは塵箱を持ってくると、一個一個棘を拾い、捨てていく。


―ええと、一本、二本、三本…あれ、このイガ、一度焼かれている割には、全然焦げてない…やっぱ、嫌がらせか?…よんほん、ごほ……あれ?目がかすんできた


 さっきまで細かい針仕事をしていたからなあと、セシルは目をこする。しかし、霞は取れず、何だか後ろから頭を殴られたかのように眠くなってきた。それに何だか息も吸いにくくなってきたような…。


「…っ」

 視界が回り始める。セシルはそれで初めて、異変に気づく。しかし、もう遅かった。痙攣しながら、セシルは床に崩れ落ちた。


「セシルさん?!」

 ユリナが慌ててセシルを抱き起こし、必死に呼びかける。しかし、目を虚ろに空けたまま、セシルは口から泡をごぼりと吹きだす。


「誰か…!」

 ユリナが叫ぶ。異変を聞きつけた屋敷の者達が部屋に駆け込んでくる。しかし、その騒々しい気配も、もうセシルは感じることは無かった。

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