13-③:甘栗

「おいひい…うえっ、おえっ…くそ、何が何でも食べてや…うえっ」

 セシルはその頃、餌付きながらゼリーを口に押し込んでいた。


「…セシルさん、こういう時は無理して食べたらダメなの」

「やだ!食べるの!」

 ユリナがやれやれとゼリーの器をセシルから奪おうとするが、セシルは意地になって離さない。


「無理に押し込んでも吐いちゃったら意味がないでしょう?吐く方が体に負担がかかっちゃうわよ」

「だけど、何も食べなかったら、赤ちゃんが…」


 食べたくはないけれど、栄養を取らないと赤ちゃんが危ない。だけど、食べても吐いてしまう。セシルはどうしたらいいかわからなくて、泣き出しそうになった。そんなセシルの背を、ユリナはよしよしとなでる。


「こういう時はね、何か、食べたいと思うものだけを食べるようにしたらいいの」

「食欲がないのに、食べたいものなんて…」

「あるはずよ、よく考えて。私がレスターを妊娠した時も、つわりがひどくて…だけど、不思議なことにふかし芋だけは食べられたの。それが関係しているかどうかは分からないけれど、レスターはふかし芋が大好物よ。きっと赤ちゃんが食べたがっているものは食べられるのね」

「…」


 セシルはへえと思う。そういえば、この屋敷の食事では頻繁にサツマイモを蒸した物が出されていたが、それはレスターの意向だったのかとセシルは気づく。それなら、レスターの子だから、ふかし芋が好きな可能性もある。ふかし芋なら食べられるだろうかとふかし芋を想像した時、セシルはねっとりとした甘さと舌触りを思い出してえづいた。


「…人それぞれだから、別にふかし芋を食べようなんて思わなくていいわよ…」

 セシルが考えたことを見透かしたユリナは、やれやれとセシルの背を撫でた。


「何か、自分の食欲がわきそうな食べ物を想像してみて」

「……」


 セシルは、何か食べたいものを思い浮かべようとする。串焼きは…吐きそう。卵スープ…吐きそう。肉まん…絶対に吐く。春巻き…駄目だ、もう吐く。

 セシルはベッドわきに用意された容器に盛大に吐いた。せっかく食べたゼリーがすべて吐き出されて、セシルは泣きたい心地になった。


 こんなどうしようもなくて泣きたい心地の時は、それを見透かしたかのように、よく養父上ちちうえが仕事帰りにお土産にあれを買ってきてくれたっけ…。その時、セシルははっと顔を上げた。



「甘栗が食べたい」

 ほっこりとした温かさと甘さで、自分の寂しい心地を温めてくれた甘栗。


 駄目だ。思い出したら無性に食べたくなってきた。セシルの頭の中が甘栗で一杯になる。

 ここ1年近く続いた忙しなさですっかり忘れていたが、自分は甘栗が大好物だったのだ。一度思い出すと、甘いほこほことした味が恋しくてたまらない。


 しかし、『だけど』とセシルは思い直す。


 甘栗はリトミナでは食用によく育てられる木なのだが、こっちの国では育たないためあまり市場に流通していないはずだ。と言うのは、この甘栗の木に好んで付く害虫がいるのだが、こちらの国にはその害虫の天敵というものがおらず、植えてもその害虫にやられて生育できなくなるからである。こちらの国にも別種の栗はあるにはあるのだが、実が大きいだけでそれ程甘くはなく、渋皮もとれにくくて食べにくい。


「甘栗?あれはおいしいわね。ただ、今の季節は手に入らないわね…」

「ですよね…」

 やっぱり。セシルはふしゅううと力なく、ベッドに伏した。


「そうだわ!ノルンに、リトミナに行って買ってきてもらうように頼んであげるわ」

「いいです。そこまでして買ってきてもらっても、気ぃ使うし…」

 セシルは力なく首をふる。


「いいえ、買ってきてもらうわ。後で頼んであげるから」

 ユリナはセシルに力強く言う。食べられそうなものは食べてもらわないと。そうしないと、赤ちゃんを産む前に母体が持たない。と思った時、ふと部屋がノックされた。


「奥様…お渡ししたいものが」

 入ってきた侍女は腕に紙袋を抱えていた。その紙袋から漂ってきた懐かしい匂いに、セシルはがばっと起き上った。


「甘栗…!」

「えっ、よくわかりましたね」


 別荘軟禁時代からセシルに付いているその侍女は、涎を垂らしつつらんらんと自分を見るセシルに若干引きつつ、まあ変人なのはいつもの事かとユリナにその紙袋を渡しに行く。


「まあ、本当に甘栗だわ…」

「うちに野菜を運んできてくれている子が、奥様方にどうぞと。珍しいものが手に入ったから焼いて持ってきたんですって」

「なんという偶然かしら。丁度欲しいと思っていたところだったのよ」


 ユリナはぎゅっとその紙袋を抱きしめた。するとそれはまだ意外に熱く、ユリナは驚いて落としてしまう。


「危ない!」

 すると、食指に憑りつかれたセシルが、身重とは思えない素早さでベッドから飛び降り、まだ宙に浮いていたそれを掻っ攫う。危うく床で滑りそうになったものの急ブレーキを踏み、無事甘栗を救出したセシルは、紙袋を片手にガッツポーズを決めた。



「…セシルさん!あなた、自分の身体の事を考えて!」

 そして、ユリナにこっぴどく怒られる羽目になったのであった。





「…という訳なの」

「へえ、そんなことがあったんですか…」


 レスターの部屋。城から帰ってきたばかりのレスターは、ユリナに脱いだ上着を渡しながら苦笑した。


「なのに、セシルさんったら、お腹の子が拾えって言ったからって言い訳するのよ、もう」

 ユリナは怒ってみせつつも、込み上がる笑いに耐え切れず最後にはおかしそうに笑っていた。


「…まあ、何ともなかったからいいじゃないですか。それにしても、食べられる物があって良かったですよ。…それにしても甘栗か。なら、俺たちの子はよっぽどの甘栗好きになりますね…ノルンにはこれからも苦労をかけることになりそうですね…」


 甘栗はリトミナでは年がら年中売っているそうだが、サーベルンでは輸入物が来る秋にしか手に入らない。ノルンには、セシルのつわり中はもちろんだが、産まれてからも度々苦労を掛けそうだ。


「…そうそう。持ってきてくれた子にお礼を言おうと下に降りたら、丁度帰ろうとしていたところだったから慌てて追いかけたの。久々に走って疲れちゃったわ」


 ユリナはふうとそばにあった腰掛に腰を下ろした。「歳なんですから気を付けてくださいね」とレスターが言えば、ユリナは「まだ若いわよ」とぷうと膨れた。レスターは可笑しく思う。


「もし何かの折にその子に会うことがあれば、私からもお礼を言っておきますね」

「…礼儀正しい良い子だったわ。グレタ・ホーリスっていう可愛い女の子。まあうちのセシルさんには負けるけどね。歳はセシルさんより1歳年上みたい」


「へえ、そうなんですか」

 レスターはさして気にせず、頷いた。



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大分前の話になりますが、クリタマバチに、買ってきた栗の苗やられました…。日本の栗でも駄目な時があるんですね…。


最近は『ぽろたん』とか、日本に植えても大丈夫な、クリタマバチに強い甘栗系の品種も出てきてるようですが。

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