閑話③:狂女の誕生と終焉

 それと、時同じくして…



「あの馬鹿…!」

 マンジュリカは忌々しげに叫ぶ。


「あの男、セシルに『王家の最悪の事態』を使わせたなんて!」

 確かにマンジュリカは、レスターの精神に働きかけ、煽ることでセシルを殺しにかからせた。しかし、マンジュリカは、実際にセシルを殺すつもりなどなかった。


 セシルを捕まえるのは骨が折れる。だから、セシルを殺される直前まで弱らせたところで、レスターの気を失わせて止めるつもりだった。そして、セシルを得るつもりだった。


 なのに――


「レスター!今すぐやめるの!セシルを止めなさい!」

 マンジュリカはレスターに、掛けた魔法を通じて話しかける。しかし、大規模な吸収魔法が妨害となって、伝わらない。それどころか、レスターを通じて見える映像もとぎれとぎれとなり、やがて消えた。


「くそ…!」

 やり過ぎた。マンジュリカは立ち上がると、彼らがいるだろう山の方を見る。そこには青白い光の柱が立ち、それを中心として渦が雷を発生させつつとぐろを巻いている。



 この建物の上から全力で飛んでいけば、山まで10分とかからない。しかし、あの場に行って果たして自分が止められるだろうか?考えずとも答えはわかっている。無理だ。


「全部、リアンがヘマしたからよ…!」

 マンジュリカは怒りに拳を握る。せっかくのサンプルはもちろん、可愛いセレスティンまで失った。あいつがあの時きちんと、ロイとノルンの二人を足止めしていれば、魔法を使えないセシルなど簡単にさらえたのに。



 マンジュリカは自身のことを棚に上げて、リアンをなじりつづけた。その時、ふと背後に気配が立つ。リアンとよく似た気配に、「今までどこに行ってたのよ!」とマンジュリカは叫んで振り返るが…


『お前が、あのクソ野郎の仲間か』

「お前、は?」

 銀髪の少年が立っていた。さらりとした肩まで伸ばした髪を、夜風に美しくたなびかせながら。


『遅かったね…。…あいつを相手にしていた時間がムダだったかもしれない』

 彼は山の渦から辛そうに目線をそらすと、静かな怒りの目をマンジュリカに向けた。



「だ、誰なの」

 セシルに似てはいるが、知らない少年。彼に怒りを向けられる覚えのないマンジュリカはたじろぎ、後ずさった。そんなマンジュリカに、少年は静かに歩み寄る。


「誰なの、お前みたいな奴、知らない!」

『知らなくて当然だよ。だけど、僕はお前のことをよく知っているよ』


 少年はマンジュリカの目の前まで来た。マンジュリカは得体のしれない相手が放つ、圧倒的な威圧感に、膝が笑って崩れ落ちそうになる。


『マンジュリカ、お前のキョウグウには同情する。だが、その行いも度を過ぎると同情に値しなくなるということを知らないのかい?』

「同情…ですって?どこの誰とも知らないあなたが、私に同情するの?うれしいわあ…」


 マンジュリカは相手の言葉に恐怖も忘れ、けたけたと笑った。おかしすぎて笑いが止まらない。しかし、笑いが尽きると、マンジュリカは世にも恐ろしい形相で少年を睨みつける。


「笑わせんじゃないわよ!あんたに私の何がわかるって言うの!」

 マンジュリカは込みあがってきた怒りのままに、少年の喉笛に掴み掛った。しかし、少年は顔色一つ変えず、マンジュリカをじっと見ている。


「あんたに私の何がわかるって言うのおオオ!」

 マンジュリカは金切声で叫ぶ。最早般若としか言いようのないその顔を、少年はじっと、どこか哀愁漂う目で見ていた。



**********


 かつての若いマンジュリカは、志を持って魔術師庁に入ってきた者達のうちの一人だった。その頃のマンジュリカは、魔法の研究が素直に面白く好きだった。そして、自身の研究が国の魔法の発展や人々の豊かな生活につながるのならと、夢を描いていた。


 魔力保有量は多いものの、精神操作魔法しか使えない身。だから、マンジュリカは代わりにと、古の魔導書の解析や、魔法道具の開発で国の役に立てるように日々勤しんだ。そしてやがてその功績が認められ、18歳という史上最年少で副魔術師長の座にまで登りつめた。


 当時の王太子に声を掛けられたのは、その任命式の時だった。

 今は見る影もないが、当時の国王は顔が非常に整っていて、女性に人気があった。妃もすでにいたが、子供達は次々と早世していて跡継ぎは未だなく、周りの貴族の娘たちが躍起になって側室になろうとしていた。


―君、可愛いね


 任命式の時、王太子はマンジュリカにそう囁いた。それだけで、マンジュリカはあっという間に王太子の虜になった。今まで勉学と研究ばかりに勤しんできたマンジュリカは、男性に対して免疫が全くなく初心でもあった。


 王太子はそれから、理由をつけてはマンジュリカに贈物をしたり、魔術師庁にマンジュリカを尋ねてくるようになった。一回り以上年上だが、魅力的な壮年の男性からのアプローチに、たちまちマンジュリカは夢中となった。




 やがて、周囲に隠れて恋仲となった二人。しばらく甘い蜜月を過ごしたが、そのうち王太子は「実は」と政治的な話を切り出すようになった。



―隣国と提携を結びたいのだが、●●公爵が反対するんだ。きっとためになる提携だというのに、あいつだけが邪魔で―


―××伯爵が、サーベルンと裏で手を組んでいるらしい。だけど、証拠がないから処断できないんだ。あいつさえ消えてくれれば憂慮は無くなるのに―


―妃の父親が、政治に口出ししてきてうるさいんだ。まるで自分が政治の実権を握りたいとでも言わんばかりで。いつまでも長生きして。さっさと死んでくれたらいいのに―



 マンジュリカはその度に彼の力になりたいと思い、自身の魔法や魔法道具を駆使し、彼の憂いとなるものをすべて排除していった。誰かの命を奪うこともあったが、すべて彼のためと良心の呵責から目をそらした。

 それに、マンジュリカには、彼がこんな機密を話してくれるのは、きっと自分が特別だからだという、誇らしい気持ちもあった。



 王太子は話していた憂慮がなくなる度に、マンジュリカに嬉しそうな顔をして報告した。マンジュリカはそんな彼に、血濡れた手を隠しながらにこにこと笑顔を返していた。

 彼の笑顔を見る度、マンジュリカは何ものにも代えがたい達成感を感じていた。そして、心のどこかで思っていた。彼のためになることをしているから、きっと彼はもっと私を愛してくれるはず。さすがに彼も、もうこのことに気づいているはずだろうから。




―マンジュリカ・ウォルトンを、絞首刑とする


 だから、そう王太子から告げられた時、マンジュリカは自分の耳が信じられなかった。

 愕然とするマンジュリカの縄を、兵士達は無情にも引き、無理やり玉座の間から引きずり出そうとする。


―どうして!あなたが望むことを私はしただけよ!なのになんで!?

 マンジュリカは引きずられながら、愛おしい男に向かって叫ぶ。しかし、男は「何のことだ」と首をかしげた。


―私は、お前に彼らを殺せなどと命じた覚えはない



 マンジュリカはその言葉にはっとする。考えれば彼は思わせぶりに言うだけで、一切自分に「やれ」とは命令していない。彼の言葉は、傍から聞けばただの愚痴だ。


―そんな。私は、自分で勝手に彼らを殺していたってこと…?



 しかし、マンジュリカは玉座の間の扉が閉まる寸前、彼がにやりと笑ったのを見逃さなかった。




「……」

 マンジュリカは信じたくなかった。愛おしい彼が、自分を利用していたなんて。彼がくれた愛のささやきが全部嘘だったなんて。

 だから、牢屋の中で頭を抱え、ぶつぶつと「嘘だ嘘だ嘘だ」とずっとつぶやいていた。


 しかし、無情にも時間は過ぎる。やがて処刑の日の朝が来た。マンジュリカはぼんやりと立ち上がると、牢屋の窓から外を見た。虚ろな目に、この世で見る最後の朝日が映る。


―暖かい。体に力がみなぎっていく

 その日の暖かさは、冷え固まっていたマンジュリカの体を、急速に温め解凍していく。そして、その目もくらむような日の明るさは、マンジュリカにを取り戻させた。


―私は何を絶望していたのだろう

 マンジュリカはもうどうでもいいことのような気がした。愛おしい彼の裏切りも。自身の間抜けさや迂闊さも。そんな事、全部済む話だから。

 再び顔を上げたマンジュリカの瞳に光るものは、ありったけの憎悪の光だった。


「…消してやる…消してやる…消してやる!!」

 つぶやきはやがて叫びとなる。マンジュリカはありったけの魔力を、牢屋の壁に向けて放った。魔力封じの拘束をはじきとばし、繰り出された純粋な魔力は、石の壁をいとも簡単に破壊した。


 牢屋の中を、朝日が満たす。眼下にはリトミナの王都の街が広がっていた。

「あの男も、この国も全部何もかも消してやる!」

―そうすれば、何もかもなくなれば、悩む必要など最初からない。すっきりとするはずだから




 それから、マンジュリカは水面下で動き、各地で混乱を引き起こし続けてきた。いくら魔力が人並み以上だからと言って、それだけの事。一人で大それたことを起こせるわけがない。

 だから、マンジュリカは、必要な手駒を集め続けた。そのうち、かつて自身が手駒とされて傷ついた心が、今度は自身が誰かを手駒とする満足感で満たされることを知った。


 そして同時に、その手駒―コレクションに執着するようになった。

 自分に尽してくれるコレクション達。自分がきちんと厳選して集めたもの。だから、彼らは絶対に裏切らない。そして、自分が磨いたものならなおさら。

 中には反逆を起こす者もいたが、それに立場というものをわからせて再び従える時の高揚感に、マンジュリカは陶酔した。


―あなたは私のモノなの。それをよく理解して

 そう言われた時に相手が見せる、支配から逃れられない事への絶望の顔。それを見るとき、マンジュリカはこの世で一番心が満たされる気がした。



 そして、同時に、マンジュリカはコレクションへの飽きも早かった。


 何故ならそれは自分が操って相手を従えているという、無機質な関係のためと言うのが理由だが、マンジュリカ本人は気づいていなかった。ただ、数か月経つと何だかそのコレクションを相手にしているのが面白くなくなり、それを実験用に転用したり、自ら壊すのだ。

 そうして、マンジュリカは新鮮さを求めて次のコレクションを手に入れ続ける。



 そして、当初の破壊目的の活動は、いつしか変化の様相を見せた。

 マンジュリカは人々を蹂躙していると、自分が、この世のすべての生殺与奪を支配している、支配者の気持ちになれた。更に、その行いは自身の虚しさを埋めてくれ、快楽を与えてくれる。その快楽にマンジュリカは陶酔した。そして、その快楽を求めて、マンジュリカは更に人々を嬲るようになった。




 マンジュリカは自身の起こす事件では必ず、自身の存在をほのめかす証拠を残した。リトミナ王太子―その時には国王となっていたが―への復讐のアピールとして。しかし、国王は、かつての自分の行いをひた隠しし、かつての副魔術師長の怨恨…ただの一方的な逆恨みとして扱っていた。


 マンジュリカはそれが腹ただしかった。だから、ある時、国王に精神操作をかけに行った。国王の理性を消しとばし、生きながらにして殺してやろう―白痴にしてやろうと。そうして周囲にありったけの醜態をさらさせた後、最後に我に返らせてプライドをずたずたにしてやるのだ。


 だが、マンジュリカが魔法を発動させた瞬間、邪魔が入ってそれは叶わなかった。ただ、マンジュリカは邪魔が入ったのに驚いた時、うっかり国王の頭の中の変な所に触れてしまったらしく、国王は短絡的で自身の欲望に忠実な男になってしまった。

 女あさりがひどくなり、豚のように肥えていき、周囲から呆れられるようになった。予想外ではあったが、せめてもの復讐にはなったと、マンジュリカは考えることにした。




 そんな日々の中で、ある時、マンジュリカは考えた。

―自身で一から造ったコレクションは、どんなものになるのだろうか


 きっと自分が思ったとおりの、飛びきり美しいものになるに違いない。

 それに、どうせなら、自身がより力をつけられるコレクションがいい。


 だから、マンジュリカはリトミナ王家の者に手を出すことにした。国王は嫌いだが、リトミナ王家の魔法は魅力的だった。きっと自身の大きな手駒となってくれるはず。


 その計画の過程で、リトミナ王家直系の魔法は屑と成り果てていることを知り、マンジュリカはリートン家の者を狙った。エレナという妙齢の女性に目を付け、彼女にコレクションを産ませることにした。

 そして、産まれてくる子供の質のため、顔が良くて魔力も強い平民を見繕った。王族が平民と恋をすれば駆け落ちするしかない。後々奪いやすくなるからだ。


 そして、産ませたその子供―セシルに幸せな日々を送らせた後、盛大に突き落す。幸せの後の絶望程、堪える物がないことを、マンジュリカはよく知っていた。だから、並々の不幸ではないものをセシルのために用意した。

 エレスカのスティア侵攻、エレナの強姦と売春、セシルの虐待、そして父親の失踪と裏切り。すべてマンジュリカが用意した砥石だった。そして、自身の研究のためでもあるが、セシルのサポート役として、あらかじめアメリアとカイゼルの用意までしておいた。


 そうして、予想通り良い輝きをしてくれるようになったセシル。だから、マンジュリカは、コレクションの中でも彼女を最も可愛がった。そして、意外なことに、セシルと言うコレクションは飽きなかった。だから、マンジュリカはその分、より深くセシルに執着していく。なぜなら、


―彼女だけは私のもの。彼女だけは絶対に私を裏切らない

 一度は裏切られて殺されたものの、きっと少し気まぐれを起こしただけだ。また絶対に自分の所に帰ってくる。そうでなければ、力づくで従えてやる。誰にも渡しはしない。


―だって彼女はこの世で唯一、私が造った、私だけのものなのだから



**********


『心外だが、お前の気持ちはよくわかるよ』

「…がっ!」

 少年は掴みかかるマンジュリカを、魔力ではじきとばした。倒れ伏してもなお睨んでくるマンジュリカを、少年は見下す。


『だが、先程も言ったが、最早同情には値しない』

「…!!」

 刹那、マンジュリカの周りに魔方陣がうきあがる。マンジュリカが咄嗟に逃げようとするが、瞬時に生えた青白い蔓草がそれを許さない。少年はにこりと寂しげに笑うと、手を振った。


『じゃあね、バイバイ』


―ばしゅん!

 その音と共にマンジュリカの体に光が走る。そして、その体はびくんと痙攣したかと思うと、一拍遅れてばらばらと割れ落ちていく。その破片は地面とぶつかると水色の砂となり、虚しく散っていった。



『…さて、掃除しなきゃ』

 少年はマンジュリカだった砂を集めつつ手でつかむと、口に放り込んだ。じゃりじゃりと咀嚼し、『うへえ、変な味』と飲み込む。


 やがて砂をすべて胃に収めると、少年はけふとゲップをつき夜空を見上げた。その目はどこか寂しげだった。


『…これでこの亡霊も、ちゃんとあの世に行けるでしょ』

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