第12章:キミの名は

12-①:『その子を大切にね』

 セシルがいなくなってから10日ほどが過ぎた。



「セシル…」

 別荘のセシルがいた部屋。レスターは眠るときは屋敷の者に適当な理由をつけて、いつも別荘のこの部屋に来ていた。そして、レスターは、その夜もいつものように、水色の砂の入った瓶を抱きしめ床についた。


「セシル、知っているかい?ツンディアナはガラス工芸が有名でね、中心部に行けば専門店ばかりが集まった通りがあるんだ。太陽が商品に反射して、それはそれはきれいな通りなんだよ。商品もすごく綺麗なものばかりで、中でも一番のお店はカットガラスの食器が売ってあるお店なんだ。他にも、ガラスでできたアクセサリーが売ってあるお店もあってね。さざれのガラスを使った髪飾りなんかも、君の髪によく似合うと思うよ。今度一緒に見に行こうか」


 瓶にそう話しかけるレスターは狂っていたわけでも、セシルの幻覚を見ていたわけでもない。そうしてしつこく話しかけていれば、セシルが夢枕に立ってくれるような気がしていたからだ。しょうがないなあと言う顔をして、仕方なく出てきてくれるような気がしていたのだ。



―お願いだから、今日こそ出てきてくれ…


 そして、彼女に、頭を地面に擦りつけて謝りたかった。そして、彼女を抱きしめて、あの時言えなかったあの言葉を囁きたかった。たった一度でいい。そうしたら、これからは彼女の望み通り懸命に生きていくから。レスターはぎゅっと目を閉じ、瓶を抱きしめた。



「……」

 ベッドに残るセシルの香りを吸いつつ目を閉じていると、やがてうつらうつらとした眠気がレスターを襲う。それはすぐに、ふわふわと酩酊した心地に変わる。もうすぐ夢の世界に落ちるだろうという時、ふとレスターはそばに気配を感じた。


―もしかして、来てくれたのか

 レスターは、はっと意識を浮上させようとして…しかし、目が覚めればせっかく来てくれた彼女が消えてしまうだろうことに気づいて、そのまま夢の世界に入ることに集中した。だが、そんなレスターを、その気配の持ち主は


『おい、目ぇ覚ませ』

「…づ!?」

 無情にも叩き起こした。いや、ベッドから蹴り落とした。


「…なな何だ!!?」

 レスターは慌てて瓶を抱きしめ直すと、寝ぼけ眼を無理やり開いて辺りを見る。すると暗闇の中、ベッドの向こう側に誰かがいる。


「な、何者だ!」

 レスターは咄嗟に身構える。部屋に忍び込んだうえ、寝ている人間を蹴り落とした者が、自身の味方であることなどないと思う。


『そんなに警戒することないと思うけど』

 相手は声と闇に浮かぶ影を見る限り、少年のようだった。だから、明らかに待ち焦がれていたセシルではない。レスターはすかさず鎖で相手を拘束した。だが、相手はさして驚いた風もなく、『およ?』とまぬけな声をあげた。


『あのさあ、僕、キミを助けに来たんだけど。怪しい者じゃないから』

 少年の影はレスターに両手を上げる。ただ、拘束されているので、手のひらを上げて見せただけだが。


「部屋に忍び込んで、さらに人を蹴り落としておいて『怪しい者じゃないです』だと?信用できるか」

 レスターは、勝手に開けられていたベランダを指差し言う。閉められたカーテンをはためかせつつ、夜風が入ってきていた。


『信用させるにも、拘束されたままじゃ信用させられないじゃないか』

「うるさい」

『とにかく明かりをつけてよ。話はそれからだよ』

「…」


 闖入者にしては、どこか呑気すぎる相手に、レスターは少し警戒を解いて言われた通り明かりをつけた。


「……!」

 すると、黒いローブをまとった、銀髪の少年が浮かび上がる。


「…貴様!!」

 レスターはあの時の女の仲間だと思い、拘束している鎖に魔力を注ごうとした。


『ちょっと待ってよ!キミの考えていることはわかるけど、あいつと僕、関係ないから!』

「……じゃあ、お前は何者だ」

『その問いは聞かれると思っていたけど、ごめん今は答えられないよ。だけど、僕のことを信じて今から言う話を聞いてくれないかな』

「名も名乗らない者のことを信用できると思っているのか?」

『答えたいのはやまやまだけどさ、人には事情ってものが色々あるでしょ?僕にもその事情があるから、ごめんだけど言えないんだよ』

「何を訳を分からないことを言っている」

『ごめん、遠回しにしか言えないから訳が分からなくなるのも仕方ないんだよ』


 なら、はっきり言え。レスターが問い詰めるかのように睨むと、少年は申し訳なさそうに肩を縮ごめた。そんな少年を見て、レスターはまるで叱られている子供みたいだなあと、ちょっとやりづらく思った。自分が彼をいじめているかのように思えて。


『だけど、これだけははっきり言えるよ!』

 少年は態度を軟化させたレスターに、うって変わって一生懸命に話しかける。


『キミの恋人なら、僕が生き返らせてあげられる』

「…!!」

 レスターは驚きに目を見開いた。すると、少年はえっへんと胸を張る。



―本当か…いや、本当にできるのなら


 レスターは思わず、「頼む、やってくれ!」と叫びだしそうになった。しかし、理性があわててそんなレスターを止める。


「…その話、信頼できない」

『ええっ、どうして!?』


 少年はガーンとショックを受けたようだった。少年に急に泣きそうな顔をされて、レスターは自分が悪いことをしているような気分になるが、それでも無視できない気になることがあった。


「お前、さっき『あいつと僕、関係ない』って言ったよな?ということは、銀髪のあの女を知っているということだ。あいつは過去のマンジュリカ事件ではいなかったはずの女だ。現在のマンジュリカ事件でも出没したのは、俺が知っている限りではリトミナとサーベルンでのわずか3回。他の国は、その存在すら知らないはずだ。まあ、知っていても隠している国もあるかもしれないがな…。とにかく、どうしてお前は、そんなめったに姿を現さない奴のことを知っている。そして、何より気になるのが、どうしてお前も奴と同じ銀髪なんだ?……これらの疑問の答えとして考えられるのは、お前が奴の仲間かもしれないということだ」


『ひどい、あんなやつと同類にしないで!』

 うううと涙を目に溜める少年。しかし、レスターは、わき上がる罪悪感を無視して、少年を問いただすかのようにじっと見つめいていた。


『僕のこと信用してよ~!わざわざキミのために北の地に行って、やっとこさサーベルンまで来たっていうのに…』

 少年はこらえきれず、べそをかき始めた。


「…」

 北の地?そう言えば、それはリトミナの初代王妃の出身地だったはず。


『…お願いだから、その子を僕に生き返らせてよお…』

 ぐすっ、ひくっとしゃくりあげて、レスターに懇願する少年。



「……」

―信用してもいいのでは?


 レスターはそう思う。泣く少年に同情してしまったというのもあるが、これほど言ってくれているのだ。信用してもいいかもしれない。何より、彼に任せて万に一つでもセシルが生き返るのなら、彼に一縷の望みをかけてもいい。


 レスターは、少年に強い意思の籠る目を向けた。


「…わかった。そんなに言うのなら、セシルの事を生き返らせてくれないか?」

『…ホントに?』

「ああ。やってくれないか?」


 すると、少年はぱあっと顔を明るくして、大きく頷いた。しかし、頷いてから急にはっとした顔をして、何やら不安そうにもじもじとし始めたので、レスターも急に不安になる。



「…どうしたんだい?」

『実は、その…』


 言いにくいんだけど、と指先をもじもじとしながら、いつまで立っても言う気配のない少年を相手にレスターはしびれを切らす。


「今更できないっていうんじゃないだろうな?」

『違うんだよ!』


 少年は慌てて首をする。そして意を決したかのように口を開く。


『生き返らせることはできるんだけど、失敗する確率もあって。1つ目は肉体が生き返ったのはいいものの、その中に魂が再び返らないかもしれないという事。2つ目は…』

「2つ目は…?」


 レスターは、言いにくそうにうつむく少年に、問い詰めるかのように視線を送る。少年は諦めたかのように口を開く。


『肉体も生き返って魂も戻るんだけど、肉体は異形のものになって、精神も退行するかもしれないという事…』

「…え…」

『それがどの程度になるかは色々推測できるけれど…最悪の場合、魔物みたいになるってこと。見た目は異形の動物、精神も動物のように本能のままに生きるようになるかもしれない。そして、その異形の生物が喰らうのは生物の肉と魔力…』

「……!」


 レスターは息を飲む。そんなレスターを、少年はじっと見る。そして口を開いた。


『この子がもし、化け物になっても愛せるかい?』

「……」

 レスターは何も言えずに立ち尽くした。そんなレスターを少年は感情の見えない瞳で、じっと見守る。



「……」

 レスターは思い出す。彼女が自身に向けてくれた笑顔を、笑い声を。そして、怒った顔を、必死な声を…すべてを。

 …そんな彼女のすべてをこの世から消したのは自分だ。自身の罪だ。



―彼女を生き返らせて、愛し償えるのなら…


 例え、化け物になっても、彼女は彼女だ。もう再び彼女の愛しい表情を見られなくても、もう再び彼女の愛しい声を聞けなくとも、自身が生涯をかけて、その化け物を愛し守ろう。例え自分が喰われることになったとしても。

 それが俺に出来る、彼女に対する償いだ。償いができるのなら、彼女が化け物になっても関係はない。



「愛してやるさ…!」

 レスターはぐっと拳を握り、少年をまっすぐ見つめた。


『…わかった』

 少年はレスターの決心を受け止めるかのように、真剣な目をして頷いた。


 レスターは少年の拘束を解く。少年はレスターの前に歩み寄ると、ローブの内側から小瓶を取り出した。そこには水色のガラス質の粉が入っていた。


「…」

 セシルの砂によく似ている。ただ、セシルのよりはるかに細かい。


『その瓶を貸して』

 レスターはぎゅっと瓶を抱きしめると、意を決したように少年に渡す。少年はそれを受け取ると、2つの瓶を小脇のテーブルに置いた。そして、両方の瓶の蓋を開けた。

 少年は持ってきた小瓶の中の粉末を、セシルの瓶の中に全部入れた。そして、再び瓶の蓋を閉めると、混ぜ合わせるためかよく瓶を振った。


 そして、次に少年は瓶のふたを緩めつつ、詠唱を始めた。すると、その言葉の強弱に呼応して、瓶の中の砂が青白く発光しはじめる。レスターは驚ききつつも、じっと黙って眺めていた。その詠唱はレスターにはよくわからない言葉だった。しかしふと、セシルが前に腕を直した時の言葉によく似ていると思う。



『発動!』

「……な、なにを!」


 少年は詠唱を終えると同時に、瓶の中身をぶちまけた。大切な人だったものを床にぶちまけられて、レスターは怒りに思わず少年の肩をつかんだ。


「…!」

 しかし、レスターは少年の視線に促されるまま、床を見て驚きに目を見開く。砂が液体のように流動性を持った物質となり、うねうねと動いている。そして、やがて人型となっていく。


「…」

 レスターは思わず、口に手を当てた。愛しい者の形を取っていくそれに、喉元まで歓喜の声が込みあがってきていたからだ。しかし、まだ終わってはいない。レスターはぐっとこらえて、その状況を見守り続ける。



 やがて、青白い光の物質は、人の形を取り終えると固まった。そして、その表面にひびが入る。そして、ぱらりと水色の物質が剥がれ落ち、光の粒となって胡散し消えていく。はがれた物質の跡には、やわらかな人間の皮膚が覗いていた。


「…」

 レスターが驚き見ている間にも、ぱらぱらと水色の膜がはがれて消え、人間の体が現れ始める。

 そして、すべての水色の破片が消えた時、床には愛おしい者の体が横たわっていた。少年はその体に、自身のローブを脱いで掛ける。



「…セシル…」

 レスターは少年の顔に目を向けた。すると、少年は微笑んで、レスターに「行け」と目で合図する。レスターは恐る恐るセシルの傍へ行くと、ひざをつく。


「…」

 こわごわと素肌に触れる。柔らかな感触。だけど冷たい。温めるかのように抱きしめれば、弱々しいが確かな鼓動を感じた。


『肉体に関しては成功だよ。しかし、その中に魂が再び返るかどうかはわからない。返っても、もしかしたら精神が退行しているかもしれない』

「それでもいい。この子が生きていてくれるのなら…」


 レスターは、セシルをぎゅっと抱きしめ、頬刷りをした。そんなレスターの背をじっと眺めつつ、少年はふっとやわらかくほほ笑んだ。



―やっぱり、真剣な恋って、見ているだけでも心が温かくなるね

 少年の体の輪郭が薄くなる。しかし、セシルを抱きしめ続けるレスターは気づかない。


―テス、キミもそう思うだろう?



 少年は青白い光の塊となる。その光に部屋が明るく照らされ、レスターははっと振り返る。


『じゃあね、その子を大切にね』

 青白い光の塊はそう言うと、驚くレスターの脇を通り、開いたベランダから外へと飛んで行った。


「ちょ…」

 レスターは慌ててセシルを横たえると、ベランダへと駆け寄る。手すりから身を乗り出して見るが、もう光はどこにも見えなかった。



「…お礼、言えなかったな…」

 レスターはぽつりとつぶやいた。しばらく気の抜けた表情で空を見ていたが、レスターははっと我に返る。


「俺、結構危ないことをしていたんじゃ…」

 どこの誰かともわからない者の―しかも、マンジュリカがはびこるこんな物騒なご時世に―言葉を信用し、大切なセシルの身を任せるなど。結果的に良かったものの、もし何か1つでも間違えていたら大変なことになっていたかもしれない。



 ただ、あの人は、本当に優しい声で『その子を大切にね』と言った。


―……あの人は、良い人ではなかったとしても、悪い人ではないだろう


 レスターは小さく「ありがとう」とつぶやくと、セシルの体が冷えないようにと、ベランダの扉を閉じた。

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