11-③:その子を殺して。

―レスター、レスター

 誰かが自分を呼ぶ声がする。誰の声だ。


―レスター、私よ

――イルマ。どうしたんだい?

 顔を上げるとイルマがいた。泣きそうな顔をして自分を見つめている。だから、レスターは不安に思い、その頬に手を伸ばした。しかし、イルマはふいとその手を避ける。


――イルマ?

 レスターは急に不安な心地に襲われた。イルマに避けられるなど、今までなかったことだからだ。すると、イルマは急に自分に抱きついてきた。


―私はあなたのことを愛している

 何を今更当然のことを。レスターはイルマを抱きしめ、その髪の感触を頬に感じつつ幸せな気分になった。俺も君のことを愛している。


―本当に?

 イルマは少しだけ顔を離して自分を見た。本当だともと頷くと、イルマは疑わしそうな目を自分に向けた。


――本当だよ

 レスターはそんな視線をイルマから向けられるのを心外に思った。だから、大きく頷いて見せた。


―だったら

 イルマは体をレスターから離すと、指差した。示す先にはいつの間にかセシルが倒れていた。喉を押さえて、ひゅうひゅうと苦しげな呼吸をしていた。


―私の事を愛しているのなら、その子を殺してよ

――……


 頷こうとして…しかし、レスターはなぜか躊躇した。よくはわからないが、この子を殺してはいけないと、心のどこかが叫んでいる気がした。


―どうしたの?やっぱりあなた、私の事を忘れてこの子を愛そうとしているんでしょ!

 イルマは、詰るかのような目線でレスターを睨みつけた。


―よくもそんなことができるわね。私を不幸にしておいて!

 レスターはそんなイルマを直視できなくて、思わず目線をそらす。



―あの時私を止めていてくれたら!


 当時、周辺の国に攻め入り、勢力を広げていたエレスカ。大国であるサーベルンには直接手出しはしなかったものの、その脅威はサーベルン属国にも及んだ。


 属国から国防の支援を欲求される事が日増しに増える中、突如としてエレスカからサーベルンの傘下に入るという申し出があった。そして、同時に、サーベルン王家と姻戚関係を結ぶことを求められた。


 輿入れ候補として、白羽の矢が当たったのはイルマだった。その頃の王家の女性は皆、既婚者か子供ばかりだったからだ。国王は悩んだ。その時は丁度、イルマとレスターの婚約を発表する一月前だったからだ。国王は一縷の望みをかけて代案をいくつも出したものの、エレスカは頑として首を縦に振らなかった。


 エレスカの申し出を断ることもできる。しかし、エレスカは、このまま放置するには見過ごせない国であった。しかも、次はサーベルンの地方都市―王妃の実家のある地域を攻め入ることを暗にほのめかしていた。



―自国の民たちを、戦に巻き込みたくない。私の身一つで解決できるなら安いものよ


 イルマはそう言って、エレスカに輿入れすることを自ら決めた。自分の幸せよりも、王女としての役割を優先させたのだ。レスターはイルマに考え直すように何度も説得した。しかし、そんなレスターを無視し、イルマは自らエレスカの使者に申し出を受諾する意思を伝えたのだ。


 レスターはもう何も言えなかった。国家間で締結されてしまった取引を、第三者が穏便に取り消しすることなどできる訳もないからだ。



――なんであの時止めなかったんだ。その場から引きずりだしてでも、どこかに閉じ込めてでも、やめさせるべきだった



―あの時もっと早く助けに来てくれていたら!


 エレスカの裏切りが起こった当初には、まだ生きていたはずのイルマ。その時、すぐにでも乗りこめばよかったのだ。


 国を守る事よりも、各々の手柄を第一に考える諸侯たち。そのために、中々定まらない作戦。そして国の軍からの口出し。イルマの命に比べたら、そんな有事の組織のしがらみや、それに支配されてしまう自身の地位などどうでもよかったのだ。そんなわずらわしいものをすべて無視して、最初から単身、エレスカの城に乗り込めばよかったのだ。




『お前がレスターか』

 レスターは、イルマの夫だった男の、忌々しい顔を思い出す。


『お前の女なら、四肢の肉を削いで、残りは魔物に食わせてやったよ。面白かったぜ、最後の最後までお前の名前を叫んでいたんだ。すぐに分かったぜ、お前があの女の想い人だったってな』


 燃え盛る王城。そこら一帯に転がる、王族や彼らに仕える者たちの死体。

 胸に金色の矢が刺さったその男は、最後の強がりか、レスターに不敵に笑って見せた。だがその男の言動は、レスターの激情に火をつけるなどということは無かった。


 とうに火はついていたからだ。


 レスターは狂ったように、剣で男を切り伏せた。男がとうに死んでからも、それが人間だったとわからなくなるまで、切り刻み続けた。

 陣を単身離れたレスターを、慌てて追いかけてきたロイとノルンが、レスターを2人がかりで羽交い絞めにしなければ、ずっといつまでもそうしていただろう。




―私を不幸にしておいて、それを忘れて自分だけ幸せになろうというの?

 イルマはうつむくレスターを、非情にも詰り続ける。


―忘れていないとは言わせないわよ

 レスターは耳を塞ぎたくなる言葉を、しかしそれが自身の義務だと聞き続ける。


―あなたが私を殺したの

 イルマはレスターの耳元に口を寄せる。


―だから、あなたは私を愛し続けなければならないの。一生、永遠に




 それはイルマであって、イルマではない。

 イルマそれはレスターの自責と後悔の念による、空想の産物であった。

 しかし、それは生みの親レスターにとって、自身が思うところと一寸違わぬ罪の象徴、そして絶対的な真実であった。



―だから、

 イルマは再び指でセシルを指し示す。セシルは、ごぽりと口から血を吐いたところだった。


―その女を殺しなさい!

――ああ、そうしよう。君が望むのなら

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