11-④:君を、愛している。

「マジかよ…」

 セシルは呆然とつぶやいた。目の前には夜空を背景に、自身に剣を突き立てようと構えるレスター。


「こっちは絶賛胃潰瘍中だってのに…」

 セシルは「ははは」と力なく笑った。もう打つ手などない。あるにはあるが、それは本当の最後の最後に取っておくつもりだった。


―ってことは、これが本当の最後の最後ってことかい?


 セシルは心の中で、自身に自嘲気味に問う。そして思う。人生は案外あっけない終わり方をするもんだな、と。


―そう言えば、は一人だった。今はもう一人、傍にいるだけマシなのかもしれない。

 セシルは何となく、訳もなくそう思った。



「よくも今まで俺を誑かしてくれたな」

 誑かした覚えなど微塵もないのだが。それに、誑かすにはオレには色気というものが足りていないはず。まあそれはどうでもいいとして、


「おい、レスター。思ったんだけど、なんでお前神父の服なんか着てんだ?」

「うるさい、死ね」

 レスターは剣を振り下ろす。その切っ先がセシルの首に向かう。


「お前が罪人裁くなんて、似合ってねーから」

「…!!」

 セシルは思いっきり魔力をぶつけた。レスターは咄嗟に結界を張るが、耐え切れず吹き飛んだ。立ち上がろうとするやいなや、再び魔力の塊がレスターを吹き飛ばす。



「まだ、こんな力が…」

 立ち上がりながら、レスターは驚く。相手は、もうほとんど瀕死のはずなのに。


「ははは…はは…」

 セシルは笑いながら、ふらふらと立ち上がる。


「何がおかしい」

 レスターは急に態度を変えたセシルに、警戒の色を濃くする。


「おかしいさ。こんなの、がらにもねえ」

 セシルは自嘲めいて言った。


「…何のことだ」

「オレは罪人だ」

 セシルはそう言うと急に真面目な顔をした。そして、ふっと寂しげに笑った。


「その罪人が裁かれずに、人のために命を懸けて死ぬなんて」

 セシルは両手を空に突き上げた。

「聖人みたいなことをしようとしてんだ。笑うしかねえよ」

 青白い光の柱が天高く登る。刹那、すさまじい爆風がセシルを中心として発生した。


「…!」

 レスターは勢いよく、吹き飛ばされる。



「もうオレの体はロクに動かねえ。それどころか、ぼろぼろで魔法を制御できねえ。なら魔力を全部暴走させれば話はすむさ。それに、動かなくて済むしな」


 セシルはダンと魔方陣の中央に足を落とし、強制的に発動を速めた。風の向きが変わり、急速に魔方陣が広がり始める。レスターは剣を地面に突き立て、吸い込まれないように耐える。


「お前…まさかリトミナ王家の最悪の事態を…」

 レスターは空間に走り始めた青白い雷に、慌てて結界を張る。


「…逃げろレスター。特別に本来より倍の威力と速度にしてやった。代償にオレの体の崩壊と魔法の収束は早くなるがな。だからオレの希望としては、魔方陣に追いつかれない程度に、ゆっくりコレを堪能しつつ逃げろ。まあ、風が逃がしてくれないだろうから、嫌でも堪能せざるを得ないがな」

「何を訳の分からないことを言っているお前」

「訳が分からなくていいよ。どうせ訳の分からない奴がオレだ」


 セシルは肩をすくめてみせた。


「じゃあな、レスター。達者で暮らせよ。後、言い忘れたけどこの魔方陣には絶対に触れるな。死体すらなくなるからな」


 セシルはもう一つ、最後に言おうと口を開きかけたが、やめた。こんなこと言っても、もう何の意味がないから。それどころか、レスターが正気に戻った時に、その言葉が彼の一生の枷となるかもしれない。だから、代わりにセシルは別のことを言い残す。


「こうなったのはお前のせいじゃないから。オレがやりたいから勝手にやっただけで、お前のためじゃないからな」



―つくづく訳の分からない女だ

 レスターは思う。しかし、こうなったら、もうセシルを倒すどころの状況ではない。


「…くそっ」

 レスターは結界をもう2重張ると、剣を杖代わりに風に逆らいつつ、迫りくる魔方陣から逃げる。


「……」

 しかし、まあ良い。どうせこの魔法を使えば奴は死ぬのだ。逆に好都合ではないか。


「……」

 だが、レスターの心の奥底で、何かがセシルを置いていくことを責めている気がした。



 青白い雷が絶えず空間を走り、レスターの結界にぶつかり爆発を起こす。結界が破れる度に、レスターは内側から張り直すが間に合わない。そして、すべての結界が破れてしまった瞬間、待ってましたと言わんばかりに襲い掛かってくる雷を、レスターは必死に剣で薙ぎ払う。しかし、剣と接触するその度に爆発が起こり、しまいには剣が折れた。


「ぐ…!」

 もう一度と思い、レスターが結界を張った刹那、それと雷が触れあい爆発する。即座にレスターは雷に打たれてしまう。レスターは意識が朦朧としてそのまま倒れ、風に流されるがままに転がった。そして、しばらく転がったところで、地面から突き出ていた岩に、したたかに頭をぶつけた。



―あれ、俺は一体…?

 レスターが頭に走った激痛に目を開けるやいなや、霧が晴れたかのように意識が覚醒する。土煙舞う中、青白い雷がそこかしこを走っている。


―ここは一体…

 レスターは、頭をぶつけた岩を支えに、風に耐えつつ頭を上げる。すると、青白い雷がレスターめがけて飛んできたので、慌てて手に出現させた鎖で薙ぎ払う。ぼしゅんぼしゅんと音がしたので、レスターはそれが吸収魔法だと理解した。


―セシルがこの魔法をやっているのか?

 何の魔法だろう。こんなに規模が大きいものを見たことがない。そして、何故こんな不穏な、訳の分からない状況に自分はいるのだろうか。そう思って記憶を探った時、今までの記憶が怒涛のようにレスターに甦る。


「…俺は!」

―なんてことを!




 レスターは、セシルが居るはずの中心の方を見る。しかし、巻き上がる砂煙でセシルは見えない。


「セシル…!」

 レスターはセシルの元へと駆けだそうとした。しかし、風に危うく吸い込まれそうになる。足を踏ん張り目を凝らせば、もう目の前まで魔方陣が迫ってきていた。


―彼女を失いたくない

 レスターは両手に金色のリングを大量に出現させた。それを魔方陣めがけて投げる。リングと魔方陣が反応し、爆発が連続して起こる。レスターの狙い通り、爆発した場所の魔方陣は壊れて消えるが、壊れた端からもう再生が始まっている。


「…急がないと」

 レスターは結界を何重にも張った。そして、杖代わりに金色の槍を出現させると、リングで魔方陣を壊しながら前へと進む。


―彼女がこの世から消えるなんて考えたくもない

 レスターは、ぐっと唇を噛んだ。


―何故、そう思うのだ?

 レスターは心の底から沸いた疑問に、はっきりと答える。


―何を当たり前のことを聞いているのだ。それは彼女が大切だからに決まっているじゃないか


 即座に明瞭な答えが返せたのは、レスターが極限状態に感覚が澄んでいたおかげかもしれない。


―大切なのだ。自身に笑顔と幸せを与えてくれる彼女が


 レスターは思う。セシルのおかげで、イルマを失ってから感じたことすら無い、楽しく幸せで忙しい毎日を送ってきた。そんな幸せな日々を再び自分が過ごすことになるなんて、考えたこともなかった。それは皆、セシルのおかげだ。

 セシルがいたから自分の心は幸せで満たされた。そして、そんな青い鳥を大切にしたいと思うようになった。そして、青い鳥の傍に、ずっと居たいと思うようになった。そうすれば、いつでも自分は幸せになれるから。



―彼女を守ってやりたい


 彼女を失うのが怖い。それは、同時に自身の幸せも失うことを意味するからだ。だから、彼女を害する何ものからも守りたいと思う。

 それはすべて自身の幸せのため。利己的な感情。しかし今や、レスターはそれだけでは満足できなくなっていた。


―今度は俺が彼女を幸せにしてあげたい


 彼女に与えてもらった分、今度は俺も彼女を幸せにしてあげたい。与えられるだけでは、もう満足できない。彼女がくれた有り余る幸せな心地。自分だけでは抱えきれなくなったそれを、全部全部お返しして彼女を幸せで満たしてあげたい。いいや、お返しとは違う。おすそ分けしたい。これも少し違う。


 そうだ。彼女といつも共にいて幸せを共有すれば、俺たちはいつも、もっと多くの幸せを持つことができる。だからいつも共にありたい。

 幸せ一杯の時、彼女は一体どんな表情をするのだろう。どんな至高の笑顔を見せてくれるのだろう。その顔も見てみたい―



 そう思った時、レスターは、はっと顔を上げる。


―俺はセシルを愛している

 久しく形を忘れていたその言葉。そうだ、これが人を愛するということだ。そして、これを教えてくれたのは、


―イルマ…

 イルマのことを忘れた訳じゃない。今の俺があるのはイルマのおかげだ。誰かと共にあることの幸福な気持ちを、俺に教えてくれたのはイルマだ。そして、人を愛することを俺に教えてくれたのはイルマだ。イルマがいなければ、イルマと出会わなければ、セシルと共にいても幸せなどと思わなかった。セシルのことを愛さなかった。



―今ある感情は過去イルマのおかげ、そして俺は今あるものを守らなければいけない



 爆発音を立てて、レスターの結界が壊れていく。その度に何度も内側から張り直すが、次第にそのペースが追い付かなくなってくる。しかし、それはきっと中心に近づいているという事だ。もうすぐ愛しい人が見えてくるはず。

 湧き出てきた期待に、レスターは足を速める。



 やがて、光の柱が見えてくる。その中には小さな人影。

「セシル…!」

 レスターは叫び駆け出す。セシルは両手をだらりと力なくさげ、虚ろな目でうつむいていた。まるで、糸の切れた操り人形の様だった。

 そして、体中の肌という肌に水色の亀裂が走り、皮膚にはところどころ、得体のしれない水色の膜が張っている。


「セシル!セシル!俺だ!」

 レスターはありったけの力で叫ぶ。しかし、セシルは正気を失っているのか、微動だに反応しなかった。


「くそ…」

 魔方陣ですら触れたら消滅するのに、あんな光の柱に入ったらどうなるかわからない。しかし、やるしかないのだ。


 レスターは体に鎖を鎧代わりにまきつける。そして何重にも結界を張った。そして、レスターはかつてのトーンのように光の柱に飛び込んだ。


「ぐ!」

 あっという間に結界が爆発して消えていく。鎖がばちばちと不穏な音を立てる中、レスターはセシルの体をかっさらい、光の柱から脱出する。


「…よし」

 レスターは内心でほっとした。行使者を失った魔方陣は、きっとこのまま勢いを弱めるはずだった。そして、レスターが予測した通り、魔方陣の光は弱まり、風も雷もぴたりと止まった。



「な…!」

 だが、セシルが先程までいた中心から、何か、青白い光の塊が膨れ上がった。それは、蔓草の塊だった。爆発的に何百本もの蔓草が発生したのだ。その蔓草はレスターの抱くセシルめがけて一斉にのびる。


「何なんだ、これは!」

 レスターはセシルを肩に担ぐと、蔓を金の鎖で払いつつ元来た道を駆け戻る。しかし、追いすがる蔓が、レスターの結界にまきつき破壊する。


 レスターは結界を何度も張り直しながら、既に再生しつつある魔方陣を再び金のリングで破壊しながら、駆けつづける。しかし、そこかしこからも蔓が伸びだし、レスターに襲いかかる。


「…くそっ!」

 レスターは結界をあきらめた。幸い雷はおさまっている。鎖だけをたよりに、蔓を薙ぎ払いつつ進む。



 実は、レスターは知る由もなかったが、もう『王家の最悪の事態』は末期を迎えていた。そのため、行使者を中心から引きはがすという、トーンと同じ対処ではもはや止められない状態になっていた上、魔方陣がまるで意思を持ったかのように行使者を取り戻そうとする。



「がっ」

 蔓草がレスターの足にまきつく。棘が食い込み、レスターの魔力を奪う。慌ててレスターはそれをつかみ、自身の魔法で爆発させる。しかし、これ以上はきりがない。魔方陣の果ても見えないし、範囲外に出たところで魔方陣はまだ生きているから、セシルの体内に魔力はたまる一方だ。魔方陣の活動を止めない限り根本的な解決にはならない。


「どうすれば…」

 とは言いつつも、レスターはわかっている。魔方陣の要―中央部分を破壊すればいいのだ。しかし、これほどの大規模な魔方陣が破壊できるかどうか。


―とにかくやるしかないか


 レスターはあたりに金色のリングをできるだけ多くばら蒔いた。詠唱中にレスターに迫りくるだろう、再生する魔方陣への防護壁代わりのためだ。そして、セシルを足元の地面に横たえると、レスターは詠唱を始める。金色の光が、レスター達をドーム状に覆う。


 その結界に触れる度、蔓草が激しくのたうち、爆発して消えていく。最大強度までに強化した結界は割れないものの、レスターは爆発のたびに起こる衝撃に、足を踏ん張って耐える。そして、レスターは詠唱の最後の言葉を言い放った。


「発動!」

 レスターの体から、魔方陣の中央向けて、金色の光が放たれる。それは進むにつれ、光でできた鎖の塊になった。


「行けええ!」

 防ごうと襲い掛かる蔓草たちの妨害をものともせず、それは魔方陣の中央に着弾する。



 鎖の塊は、それ自体が意思を持ったかのように、鎖を触手のように操った。邪魔しようと伸びてきた無数の蔓草と、無数の鎖を絡み合せ、爆発させ消滅させる。そして、その間、別の鎖を、魔方陣の中央とその周囲の地面に、ぐさぐさと突き刺していく。やがてぱりぱりと静電気のような音を立てて、鎖の塊が震えはじめる。そして、


―バリバリィィイイィン!!

 落雷のような音と共に、大爆発が起きた。


「……ッ!!」

 すさまじい爆風に、レスターはセシルの体をかばい、伏せて耐えた。



 やがて爆風が収まり、恐る恐るレスターが顔を上げると、

「…やった」

 魔方陣の光が切れかけの蛍光灯のように瞬いたかと思うと、中央から波のように揺らぎが広がり消えていく。


「…よし!」

 レスターは『王家の最悪の事態』の消し方というものを心得た気分になり、誇らしげな気分になる。これでもし今後彼女に同様のことが起こっても―起こって欲しくはないが―止めることができる。だが、実はレスターは、トーンより魔力の保有量では上だったために、このような芸当ができたのだとは知る由もない。


「……!」

 しかし、ほっとしたのはつかの間だった。セシルを見れば、ひび割れた皮膚の隙間から青白い光が今にもこぼれ出しそうに光っている。魔法を収束させたところで、セシルの体内に吸収された魔力までは消えないということなのだろう。それは今にも器を突き破り、爆発しそうになっていた。


「セシル」

 レスターはセシルを抱き起こすと、体から幾つもの鎖を出現させる。そして、それをセシルの皮膚の割れ目に突き刺していく。


「しっかりしろ、起きろ!」

 ひび割れに入る分だけでは間に合わない。レスターは鎖を無事な皮膚にも突き刺し、体内にもぐりこませようとするが、異様に堅かった。


 もしかしてこの膜のせいか。レスターはセシルの皮膚に張り付く、水色の膜を手で払おうとした。しかし、それは見た目よりも脆く、簡単に崩れていく。原因はこれではないらしい。


―とにかく…

 レスターは何とか鎖を無理やりねじ込む。そして、セシルの体内の魔力を消滅させていく。


「…っ」

 しかし、いつまでたってもなくならない。それどころか、自身の魔力の限界が近づいてくる。膨大な魔力相手に、レスターは心が折れそうになる。


―こんなところで終わらせてたまるか

 レスターは自身を叱咤し、力を振り絞る。魔力の消滅を速める。


―だって、まだやるべき事があるから。君に謝らないといけない。そして、君に伝えなければならない

「君を愛しているんだ!」

 レスターは叫ぶ。それと同時に鎖の光が増した。そして、時をおかずして、セシルのひび割れから覗いていた光が消える。そして、皮膚のひび割れは、かすかな筋の後を残してふさがっていく。




「…これで…」

 レスターは肩で息をしながら、セシルの顔を見る。弱々しいがわずかに呼吸をしている。ちゃんと生きている。


「セシル、セシル。目を覚ませ!」

 レスターはセシルの頬をぺしぺしと叩く。すると、セシルはむずかった後、うっすらと目を開けた。


「ん…」

「セシル!俺だ!わかるか!」

 セシルはレスターを見た。すると、はあっと、失望まじりの安堵の息をついた。


「こりゃ予想外だな…やっと死ねると思ったのに」

「馬鹿言うな!」

 レスターは唾を飛ばして怒鳴った。すると、セシルは苦笑いをして、ちょっと考える風をした。


「考えてみれば、お前から酒樽365個貰わずに死んだら損だよな。ただし、こうなったら金庫が空になるまで飲んでやるぜ、公爵さん?…ってのは冗談だって!なんで涙目になってるの?!ごめん樽一個で我慢するから泣くな!」


 見てるうちからうるうると目に涙をためていくレスターに、セシルは慌てて前言を撤回までとはいかずとも、条件を下げに下げた。きっと、公爵さんの家計は火の車なのだと勘違いを起こして。


 レスターはそんな呑気な彼女にあきれつつも、込みあがる感情を抑えきれず、セシルを抱きしめた。

「そうじゃない!俺のためになんでここまで…この馬鹿!」

 レスターはセシルをぎゅうぎゅうと抱きしめ、涙声でセシルを責め続ける。


「…」

 セシルはその感情を察すると、左腕をレスターの肩に回し、小さくほほ笑んでよしよしと叩く。


「…泣くなって。何がともあれ、オレ生きてんだから」

「だけど、俺のせいで、君は危うく死ぬところだったんだよ…!俺のせいで!」

「もういいって…」

「もうよくない!」


 レスターはセシルの言葉に首をふる。そして、セシルの目をまっすぐに見ると、頭を下げた。

「すまなかった。今回俺が君にしたことは一生かけて償う」

「大げさだなあ…」

 セシルはあきれまじりに笑う。真面目だという事はいい事だが、行き過ぎるのも考え物だなあとセシルは思う。今回の件だってそれが大きな原因だと思うし。


「大げさじゃない。俺は君を殺そうとしたんだ。俺は君に殺されても文句は言えない」

 レスターは顔を上げると、セシルの頬を愛おしそうに撫ぜた。


「だけど俺を殺すのだけは止めてくれないか。君に殺されたら、それで俺に出来ることは終わってしまう。できるだけ長く、一生かけて償いたいから」

「わざわざ命かけて助けた奴を殺す馬鹿はいないし」


 何だか急に熱を持ったレスターの視線に、セシルは気恥ずかしくなって少しだけ目をそらす。レスターはそんなセシルの左手をとり、自身の左胸に当てさせた。それは、イゼルダ教の婚姻の作法―プロポーズでもしばしば行われる一儀式だった。


「一生、ずっと君の傍にいて、俺のすべてを君の幸せのために費やす…それが俺に出来る償いだ」

「償いで幸せにされても、なんかうれしくねえ…」

「え…」


 プロポーズを断られたと思い、レスターはショックを受けて固まる。しかし、セシルはイゼルダ教の宗教作法や習慣などをほとんど知らないことを、この時のレスターは考慮していなかった。それに、自身がプロポーズされているなどと知ったら、あまりもの事の飛躍にセシルは動転を起こしていただろう。


 だから、そんなレスターの心を知らず、セシルは続けて言う。


「そんな償いされるの、嫌だからさ。オレからお前に罰を与えるよ。レスター、オレと付き合って」

 もう言う事などないだろうと思っていた言葉。それをセシルは口にする。


「…!」

 レスターは驚いたかのようにセシルを見る。


「正直言うと、未だにこの気持ちが恋か何だかよくわかんないんだけどさ」

 セシルはおかしそうにふふっと笑う。

「お前のこと気になってる。お前の傍にいたい。後…今回、初めてお前を失うのが怖いって思った。だから、お前のこと守りたいって」


 セシルは、レスターをまっすぐ見る。


「この気持ちの答えをはっきりさせるためにも、まずはお前のことよく知りたい。だから、オレと付き合って。元々は嫌だったら気にせず断っていいって言うつもりだったんだけど、お前にはこんなに苦労させられたんだ。お礼に付きあってくれよ。もし断るなら今回のことは許さねえ」


 セシルはにやっと笑う。いつも通りの軽い調子の口調。しかし、目を見れば真剣に考えた結果の言葉であることは、レスターにも十分理解できた。



「馬鹿…断るわけないだろう。付き合ってあげるよ!」

 セシルを愛している自分にとっては、願ってもないことだ。そうでなくとも、命を懸けてまで自分を思ってくれる女性の告白を断る馬鹿は、本当の馬鹿だと思う。レスターは大きくセシルに頷いて見せた。すると、セシルはふふっと嬉しそうにレスターに笑いかける。


「だから、一緒に帰ろう?セシル」

「うん…」

 セシルは安堵したかのように、微笑む。



―早く医者に見せないと


 セシルは、大きな怪我は矢の刺さった背以外にほとんどなかった。しかし、魔法の影響だろう、明らかに衰弱していた。ただでさえ、内臓に怪我でもしているのか、血を何度も吐いていたのだ。

 レスターはピアスに手をやる。しかし、故障していた。おそらく雷に撃たれた影響だろう。


「くそっ…」

 こうなったら、負ぶって山を下りるしかない。幸い下には王都の夜景が見える。きっと、ここは郊外の山だろう。そんなに高くはないから、頑張って走れば30分ぐらいで麓へたどり着けるはず…



「レスター!」

「ノルン!」

 その声に、レスターはぱあっと顔を明るくして振り返った。ノルンがロイに肩を貸しつつ、駆け寄ってくる。天の助けだ。


「お前ら、最低1時間は待てって言っただろ」

 セシルが責めるように2人を見る。


「山にあんな光の柱が立てば、待てる訳がないでしょう。これでも待った方なんですよ。それにあなた、ただでさえ体に薬の負荷がかかっているというのに。来てみれば既に最悪の事態を引き起こしていて、かといって近づきもできないし、もう終わったとぞっとしましたよ」

「心配してくれてたんかよ。お前、オレが嫌いなんじゃないのかよ。気味わりい」

「失礼ですね。…主を命がけで救ってくれた恩人を、いつまでも毛嫌いなんてできますか」


 ノルンは少し罰が悪そうに目を背けつつ言う。


「ロイ、ノルン、すまなかった。俺は…」

「今は御託はいいから、早くセシルを!呑気にプロポーズなんかしやがって!声かけづらいじゃねえか!」

「お前ら見てたのか…」

 レスターはかああっと顔を赤くする。そんなレスターを「プロポーズ?」と首をかしげてセシルが見るが、「はて、何のことだろう?」ととぼけた。どうせ付きあえばいつかは言うのだから、今とぼけても問題はない。



「レスター、早くここへ!」

 ノルンは転送の魔法陣を張った。レスターはセシルを腕に抱き上げ、立ち上がる。


「レスター、あのさ」

「ん?」

 セシルの呼びかけに、レスターは立ち止まり微笑みを返す。


「オレ、今、人生で一番幸せだ。オレ、今までろくな人生送ってこなかったけど、こんな気持ちが味わえるなら、今まで生きてきてよかったよ」

 セシルはレスターの首に腕を回して抱きつく。レスターは苦笑した。


「これからもっと幸せにしてあげるよ。だから、今が一番だなんて思わないで」

 俺に殺されかけた直後の今が人生で一番だなんて。こんなことを彼女の人生一番の幸せにされたら、俺は最低の男になってしまう。


 これから、もっと幸せにしてあげる。こんな思い出忘れてしまうように。



「ねえ、セシル…?」

「ん?」

「実は聞いてほしいことがあるんだけど」

 レスターはふふっと笑うと、あの言葉を口にしようとした。


「ん…?」

 しかし、ぴしっという音がレスターの耳元で鳴った。セシルの回された腕から、急に力が抜ける。そして、何かがとすっと地面に落ちる音がした。


「…」

 レスターが地面を見れば、腕が落ちていた。何だ腕か。


「…え?」

 レスターは見間違いかと、目をもう一度瞬かせた。しかし、見紛うことなく、それは人間の腕だった。

 レスターはこわごわと、少し体を離してセシルを見る。セシルは青白い顔をして目を閉じていた。そして、左腕は…なかった。

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