10-③:処世術

「…いけない、そろそろ開店なのに危うく寝るところだった」

 店主―テスファンは目をこすりつつ、倒した椅子を起こす。


 うっかり寝過ごさなかったのはありがたいが、何ともいえない寝覚めの悪い夢だった。子供の頃はあれから1週間は夜に寝れなかった。家族は皆、寝不足で憔悴していく自分を心配してくれたものだ。かといって、村長のところの機密情報(かもしれないもの)を見たから眠れなくなったなんて言えば、村長にばれて殺されそうだし、リアンもこっぴどく怒られるだろうから、その理由は言えなかった。


「…よくあいつはあんなものを見れたな」

 再び椅子に座りつつテスファンは思う。医者志望だったとはいえ、人間の中身がぐずぐずになってさらけ出されていく様など、子供が平然と見れるものではない。


「……変わった奴だったな」

 テスファンは懐かしむ。子供の頃は、自分と彼の仲の良さは近所でも評判だった。彼の外見は男の子なのにあまりにも可愛らしく、自分との関係を変に勘違いされることもあったからよく困っていたものだ。おまけに自身の名前のせいで、彼まで変なあだ名をつけられていた。気にいってくれていたのが幸いだったが、もし気にいってくれていなかったら、気恥ずかしさに自身と疎遠になったに違いない。


―今じゃ、疎遠どころか、絶交だもんな…


 …自分のせいで。テスファンはふうと吐息をつく。


―そう言えばあの後、驚かせたお詫びだと、もう一つ物語を教えてくれたっけ?


 確か、題名は『女神さまの瞳と涙』だった。『女神さまの嫁入り』の続きらしく、これもまた意味のよく理解できない物語だった。確か『女神さまの藍色の瞳に堪えようのない涙があふれました。すると、その涙は青白く輝き、水色の美しい氷となりました。その氷は山から空高く打ち上げられると、雪となり大地に悲しみの呪いとなって降り注ぎ、大地を覆ったのです』とか何とか…



「こんにちは」


―…!!


 客らしき男達が店の扉を開けて入ってくる。

「すみません、まだ開店前なんですけれど」

 テスファンは慌てる内心を落ち着けつつ柔和な笑みを浮かべ、どっこいせと立ち上がる。


「いいえ、我々は飲みに来たわけではありません。少々尋ねたいことがありまして」

 そう言って扉を閉め入ってきた2人組の男は、見かけない顔だった。旅人かとおもうが、それにしては少々雰囲気が刺々しい。


「単刀直入に聞く。セシル・フィランツィル=リートン殿を、最近このあたりで見かけたか、そういったことを客から聞いたことは無いか?」

「…?セシルさんですか?」

 あの小さな騎士が、村を魔物から救ってくれたのは約2か月前。あれ以降、会ってなどいない。


「見かけませんでしたし、そんな話なんて聞いたことはありませんけれど」

 テスファンは思い出す風を装いながら、言いつつ、考える。


 こんな事を聞かれるなんて、考えられることは1つ。あの小さな騎士はおそらく行方が分からなくなっているのだろう。家出か誘拐かその他かまではわからないが、おそらくこの二人組は王都から送られてきた人間で彼を探している。


「本当か?」

「?…本当ですけど?」


「知っているのに黙っていたとなれば承知はしない」と言外に言っているのが感じられたが、それすら理解していないかのようにとぼけておく。住民や旅人のたまり場である酒飲み場には、こういったややこしい人間が何か情報を探りに来ることも多い。下手に対応すれば自身の命が危なくなることもある。だから、テスファンにとって、阿呆のふりをして身を守ることも、手慣れたものだった。


『…どうやら本当のようだ』

 そう2人が目くばせし合ってるのをちらりと確認しつつ、テスファンは今回の件には巻き込まれることは無さそうだと内心安堵した。


「今日我々が来たことは、誰にも話さないように」

 男が、カウンターに重そうな袋を置いた。じゃりんと袋の中身が擦れる音がする。

 口止め料だろう。テスファンは金を貰わずとも、厄介ごとに関わりたくないからこんなことを言い触らすつもりはない。ただ、断わって変に勘ぐられるのも嫌だ。了承と恭順の意を見せるためにも、受け取っておいた方がいいだろう。だが、すんなり受け取っても、妙に思われる。


 だから、テスファンは訳が分からなくて戸惑う振りをすると、狙い通り男は「黙って受け取っとけ」とテスファンの手に押し付けてくれた。

 そして、男達はさっさと出て行く。その気配が前の通りから完全に消えてから、テスファンは椅子に座り安堵のため息をついた。


「それにしても、セシルさんが行方不明…」

 先月の末頃に王宮の一角が爆破されたと聞いていたが、もしかしてその関連だろうか。要人に犠牲者は出なかったと聞いていたのだが。いや、もしそこで彼が行方不明となったのならば、こんな辺境に聞きこみに来るはずもない。なら、一体何なのだろう。


「……」

 考えてみてもわからないものはわからない。だけど、あの二人の様子から、これ以上関わらない方が賢明だということだけはわかった。

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