9-⑤:今度はオレが守る。
「…ふー、読み終わった」
セシルはレスターに勧められた本をやっと一冊読み終わった。中々分厚い本だったから、もう深夜である。
「やっぱりハッピーエンドはいいなあ」
セシルはぱたんと本を閉じると、ベッドわきの机に置いた。掛布団に体を滑り込ませると、さあ寝るかとランプに手を伸ばして消す。
「…うふふ」
セシルは横になると、うれしくて思わず笑いをこぼした。
―明日もレスターが来てくれる
レスターはノルンを、言い負かしてくれたらしい。セシルはレスターがノルンの尻に敷かれていることを気配的に察知していたから、あいつに見つかったからにはもう会えないことを覚悟していた。しかし、この意外な結果にセシルはうれしい気持ちを隠せない。レスターは、これからは堂々と遊びに来るからと言っていた。
―楽しみ
そして、早く寝て明日になるのを待とうと思い、セシルは目を閉じた。
「……」
しかし、やっぱりうきうきしすぎて寝られない。
―早く寝ろ自分。早く寝ないと明日にならないぞ
セシルは自分に暗示にかけて寝ようとするとするが、逆に頭が冴えてきた。
「…」
―寝ろ、寝るんだ
まぶたをぎゅっと閉じた。そうして30分程たった頃、
「……」
部屋の中に、気配を感じた。
―誰だ?
足音を消して、近づく気配。相手の体から、かすかに漏れる殺気。
セシルは自身の呼吸が不自然にならないよう注意しつつ、最初の攻撃を避けることを考える。
「…!」
距離を詰めた人物に、掛布団を目隠しに掛ける。セシルはすかさずベッドから飛び降り、逃走経路の確保―ベランダへの扉を開いた。カーテンが夜風に翻り、部屋の中に月明かりが入り込む。
「…お前…!」
月明かりに照らされた人物は、無表情のままセシルに歩み寄る。その手には、何かが中でうごめいている瓶が握られている。
「…まさか、気づかれるとは思っていなかったですよ」
そのセリフの割に、驚いている様子もなく淡々と言うノルン。
「陛下やレスターのことを考えて、穏便に死んでほしかったんですがね。夜、森に逃げ出したものの、運悪く毒蛇を踏んで噛まれて死んでしまったと、ね」
見れば、ノルンが持つ瓶の中に要るのは蛇だ。それを寝ている自分の足首に噛ませて殺し、死体を森に捨てるつもりだったのだろう。
「…?」
しかし、ノルンは近くの棚の上に、瓶をごとりと置いた。
「まあ、冷静になってみれば、あなたを殺すのはやり過ぎですし、惜しすぎますね…それは反省しましょう。…こうしてあなたに気づかれてしまった事もまた神のご意志と言えるのでしょうし。…あなたに選択肢をあげましょう。セシル、あなたに問います」
この男の言う事だ。どうせ自身にとっては不利な選択肢だろうことを、セシルは理解しつつも言葉を待つ。
「私の子を産んでくれますか?」
「………」
セシルは何と言われたのかわからず―いいや、その言葉はちゃんと言葉として耳に入ってきたのだが、頭の方がその音声情報を言語情報に直した瞬間に、認知をつかさどる部位がキャパシティオーバーを起こし―固まった。
「聞こえなかったのですか?私の妻となり、子供を産めと言っているんです」
「な、なんでお、オレがお前と!」
セシルは突拍子もない話に本気かと相手の顔を見るが、からかっている様子もない…としか言いようのない無表情。
「あなたに子を産ませて、その子を後々サーベルン王家に側室としてでも入れれば、あなたの血を王家に取り入れることができます。この説明は前に言いましたよね。ですが、そのようなことをすれば陛下が黙ってはいないでしょうから、目を欺くためにあなたと夫婦になりたいと思っています」
そう言えば、そういう話はとっ捕まったばかりの時に、こいつに言われた。しかし、国王から誘拐理由を聞いて後は、関係のなくなった話だから全く忘れていた。
「その話は最初からなかったも同然だろ!」
しどろもどろになりながらも、セシルは言い返す。
「私はそうは思っていません。こんな貴重な機会を逃す等、陛下はくだらない恩義に囚われて、なんと馬鹿なことをしようとしているのでしょうか。…だから、私は陛下や誰が何と言おうと、この家と国のためになる行動だけをする。…レスターも陛下も何年か先には私の行動のありがたみが理解できるはずです。…さあ、私の子を産むか産まないか、どちらですか」
「だ、誰がお前と!っていうかお断りだ!」
「そうですか」
すると、ノルンは冷たい目をセシルに向けた。セシルはじりと後ずさる。
「同意か非合意か。あなたは後者を選んだいうことですね」
「…!」
次の瞬間には、ノルンは目の前にいた。驚愕にセシルが飛びのくよりも早いか、その腕をつかむ。
「離せ…!」
セシルが力任せに腕を振り払おうとした瞬間、どさと押し倒される。気づけばベッドの上に移動していた。
「…!」
セシルは咄嗟に男の体から身をよじって逃げようとする。しかし、ノルンはすばやくセシルの両手首を、自分のベルトでまとめて頭の上で押さえつけた。
「セシル、愛しています。私と結婚してください」
淡々とした感情が全くない、冷たい死刑宣告のような声。そこまでして体裁をとっておきたいのか。セシルは背筋がぞっとするのを感じた。
「…や!」
寝巻の裾を、胸元まで一気にまくり上げられる。セシルはなんとか手の拘束を解こうとするが、ベルトは解けない上、相手の力が強すぎてどうにもならない。
「…やめろっ!」
下着に手をかけられる。セシルは脱がされまいと足をきつく閉じるが、力任せに引き降ろされる。
「大人しくしてください。私があなたを生かしておく価値等、リトミナ王家の女であることぐらいしかないのですから、それをよく理解してください」
ノルンがセシルに覆いかぶさる。かさついた男の手が、体をまさぐる。
嫌だ。気持ち悪い。呼吸ができない。セシルは必死に酸素を求めてあえぐ。
相手の喉を噛み千切ってやろうというセシルの気力は、しかし、急に脳裏に浮かんだ過去の記憶にからめ囚われてしまう。
―いやだ
べたべたと、脂ぎった手で、舌で体を触られる
―いやだいやだ
目の前には黒い複数の影。生臭い男たちの息
―いやだいやだいやだいやだいやだ―-------------!!
嫌だ、ですって?あんたが女に産まれてきたから悪いのよ、自分の責任じゃない。
くすくすと笑う女の声
――あたしが悪いの?ほんとうに?
セシルは、涙でにじむ視界の中で思う。
お母さんが変になったのも、あたしがこうなったのも、私が子供で女だからなの――?
「セシル!」
「…!」
扉を突き破るかのように、部屋に転がり込んできたのはレスターだった。
「レスター、なぜ…ッ!」
レスターは、驚きに振り返ったノルンを殴りつけた。そのまま、ノルンはベッドから床に転がり落ちる。
「セシル!」
レスターはベッドに横たわるセシルを抱え起こす。セシルはぐったりとして目を閉じている。レスターは慌てて拘束を解き、セシルの頬をぺちぺちと叩く。
「れ、すたー?」
すると、セシルが青い顔をして、うっすらと目を開けた。
「…大丈夫か?」
「うん…」
セシルはぼうっと頷く。ショックを受けているから当然だろう。レスターは自身の上着を脱ぐと、セシルに掛け、包み込む。
「…ノルン、お前、この子に何をしようとした!」
レスターは怒鳴った。こんなに本気で怒鳴ったのは、人生で二度目ぐらいかもしれない。しかし、ノルンは無表情のまま、口元の血を腕で拭い立ち上がる。
「…見てのとおりですよ。この女を生かしておけば、後々あなたや陛下の災いになるだろうから毒蛇に噛ませ、事故に見せかけて始末しようとした。だけど考え直して、この女の血を王家に取り入れるために、孕ませようとしただけのこと。残念ながら、あなたが来たので未遂に終わりましたけれど」
「お前、よくもそんなことが淡々と言えるな」
セシルを抱きしめ、レスターはノルンを睨みつけた。
「セシルさん!何かあったの?…え、どうしてレスターが?…ノルンも?」
騒ぎを聞いて起きてきたのだろうユリナが部屋に駆け付けたものの、状況を理解できずおろおろとしている。
「セシルさんに何かあったの、レスター…?ノルンも…いったいこれはどう言う事?」
しかし、一触即発の空気でにらみ合う二人からは何の返答もない。
「ノルン、今後一切、この子に顔を見せるな」
「それは無理な話ですね。あなたにこの女の監視ができるとは思えません」
唸るように声を出したレスターに、しかしノルンは淡々と応じる。
「これは命令だ!逆らうならいくらお前とはいえ、容赦はしない」
「…そうですか。では仰せのままに。」
差して気に障った風もなく、ノルンはすっと礼の姿勢を取る。
「わかったらさっさとここから出て行け!」
「承知しました」
ノルンは踵を返すと、部屋から出て行く。そしてレスターは、転送装置のある部屋まで、ノルンの足音が向かい消えたのを確認する。
何よりも先に、この子の視界からノルンをいなくすることが大事だと思っていた。レスターは少し落ち着くと、腕の中のセシルを見た。
「レスター、ありがと…」
弱々しく言うセシルに、レスターは礼を言われるどころか責められるべきだろうと、首を振る。
「ごめん、助けるのが遅くなって。もっと早くに来られたらよかったんだが」
レスターはあれ以降ノルンの行動を警戒していたのだが、まさか早速当日に、しかも夕飯に薬を盛られているとは知らずに食べてしまい、執務机に座ったまま眠りこけてしまっていた。たまたま何の拍子にかバランスを崩して椅子から転げ、床に側頭部が激突したところでレスターは目が覚めたのだ。
レスターはよく知っているが、ノルンはラングシェリン家や王家、レスターに敵対する可能性のある人間には容赦しない。ただ、その行動の一環で、主である自身にもそこまでされるとは思っておらず、油断していた。ノルンを甘い目で見てしまっていたことに、レスターは反省する。
ただ、実はレスターは知らなかったが、ネズミを使って監視していたノルンはセシルが眠るまで待っていたのだが、レスターが本を貸していたおかげでレスターの薬が弱まるまでの時間を稼ぐことができたのだ。
「…レスター…これは一体どう言う事?」
やっと機会を得たユリナが遠慮がちに、レスターに問う。レスターは、ユリナと同じく騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう侍女たちを下がらせると、事の次第を簡潔にユリナに説明する。
「ノルンがそんなことを…」
ユリナは唖然として言う。レスターは、ノルンを心底忌々しく思いながら頷く。
「とにかく、今はこの子を頼みます。俺は一端帰ってもう一度あいつに強く言ってきます。あれでは反省していないでしょうから。…ん?」
立ち上がろうとしたレスターは、自身の上着をぎゅっとつかまれた。見れば、セシルが心細そうな顔をして見ていた。
「大丈夫、ちゃんと言ってきてあげるから」
「…やだ」
「…ん?」
セシルが小声で何か言ったので、聞き返した。
「…やだ、行っちゃやだ」
「…」
ぎゅうと上着をつかむ手に力が入れられる。あんなことがあった直後だ。とても怖いのだろう。レスターはベッドに腰掛けるとそっとセシルを抱きしめた。
「…大丈夫だからね。」
レスターは幼い子に言い聞かせるように、頭と背を撫でつつ言う。
「…うん」
セシルがレスターの腰に手を回し、ぎゅっと力を入れる。
「……」
レスターが少し身じろぐたびに、放されるのではないかと不安に思っているのだろう、そのたびに離すまいとしているのかセシルの手に力が入る。
「……大丈夫、大丈夫だから」
「……うん」
暖かな存在を護るかのように、レスターはセシルを抱きしめて撫でる。
この子を絶対に守る。
―今度はオレが
何分間そうしていただろうか。暖かさについ意識がぼうっとなった時、レスターは何かを思った気がした。しかし、同時にかくんとセシルの体から力が抜けた。はっとして見ると、セシルは小さな寝息を立てていた。
「…ふふ」
落ち着いてくれたのだろう。レスターは少しだけ安心して微笑む。その寝顔の頬を軽くなでると、レスターはセシルを起こさないように注意しつつベッドに横たえた。そして、黙って見ていたユリナを振り返る。
「母上、後はよろしく頼みます」
「え、ええ…」
ユリナは今我に返ったかのようにはっとして、慌てて返事をした。しかし、レスターはその様子に気づかず、蛇の入った瓶をつかむと部屋を出る。
『…ノルンの奴め…』
レスターは、ノルンへの怒りがわいてくるままに廊下を突き進む。
『セシルを守るためにもがつんと言わなければ』
レスターはぐっと拳を握りしめた。
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