9-⑥:か弱い人間
「はあ、なんでオレが…」
レスターの従者ロイ・ウォーカーは、別荘の庭で剪定をしていた。庭が少し荒れてきていたのだが、セシルとユリナがいるためうかつに庭師を呼べないので、ロイがさせられていた。
「ロイ様、頑張ってください♡」
「おお!頑張るからな!」
だが、庭の草むしりをしている侍女たちにウインクされ、ロイは俄然やる気を出して剪定をする。そう言うロイの単純さをよく知っている侍女たちに操られているとは知らず。
「ロイ様!庭師顔負けの腕前ですわ!」
「そうか?照れちゃうな!」
そうしたやり取りが何度か続き、庭は整えられていく。実際、ロイの腕前はお世辞でもなんでもなく、完璧だった。あっという間に、木々が熊やら鳥やらの形に変えられていく。
「ふう、あともうちょっとだな」
ロイは立ち上がり腰に手をやる。少し水でも飲もうと、玄関の方に行くと、
「……」
セシルが玄関前の階段に座っていた。頬杖をついてぼうっと前を見ている。
ロイはその脇を面持ち緊張したまま通るが、セシルはこちらに気づいた様子もなく、前を見続けている。ちらりと見れば、目はどこにも焦点が合っておらず、虚ろだ。
―そりゃ、あんなことがあればなあ…
ロイは昔の自分もあの時はこんな風だったのだろうかと思い、よっぽどショックを受けたに違いないと同情する。
ロイはレスターから、セシルとノルンの云々について聞いていた。ノルンは任務のためなら女と寝ることもあると聞いていたけど、まさかセシルに手を出そうと、しかも凌辱しようとするなど思ってもいなかった。
ロイは台所に向かい、冷蔵保管庫から冷えたジュースの入った瓶を取り出し、コップに注ぐ。侍女たちの分も淹れようとして、ふと、あいつはいつから座っているのだろうかと気になる。一時間ほど前に水分補給をしに来た時にはいなかった。そのすぐ後からずっといるとしたら、喉が渇いているかもしれない。
「……」
敵に優しくするのも…。でも、今は厳密言うと敵じゃないし、それに可哀想なことになっているし。少し躊躇したものの、結局ロイはもう一つコップを棚から取り出した。
「おい」
ロイは侍女たちにジュースを渡した後、セシルのところへやってきた。しかし、呼びかけても何の反応もない。
「おい、ジュースだぞ!」
先程より大きな声をあげて、セシルの顔の前にコップを差しだす。しかし、これまた何の反応もない。
「……はあ」
よっぽど重症だな。まあ、そうなってしまう気持ちはよくわかるけど。そう思いつつ、ロイはコップをセシルの頬にぴとっと付けた。
「…?」
その冷たさで我に返ったのか、セシルはやっと驚いたかのようにロイを見る。
「ほら、喉乾いたろ?」
「…あんがと、ロイ、さん」
「ロイでいい」
「わかった」とぼそりとつぶやき、コップを受け取るセシル。ロイはふうと息をつき、隣に座って自分もジュースに口をつける。
彼女の気を紛らわせるための話題を頭の中で探そうとしたが、すぐにあきらめる。自分はすぐに顔に出るから、余計な気を使わせるだけだ。
「…すまんな、うちのノルンが馬鹿なことをして」
だから、ロイは開口一番、単刀直入に謝る。
「…別に、もう忘れたから」
セシルは目をそらした。
「ウソつけ」
その証拠にお前は様子が変だ。それに、レスターからあの日以降、彼女は男の服―レスターの昔のお下がりを着ていると聞いている。それまでは、ユリナのお下がり(とはいっても、若い頃のユリナが自身の顔の地味さのために、部屋でこっそり着ていた可愛い服で一度ぐらいしか袖を通していないもの)を毎日着せられていたのに、あれ以降セシルは女の服を着るのを本気で嫌がるようになったという。きっと、女の格好をすれば、またノルンに襲われるような気がしているからだろう。それに、
「…あんなこと、早々忘れられることじゃないだろ」
「…」
セシルは、急に声音が変わったロイを振り返る。
「怖かったろ?…気持ち悪かったろ?あんなの、同じ人間がやることとは思えねえ。しかもそれをダチのノルンがやったなんて」
ロイはぎりと奥歯を噛み、コップを割らんばかりに握る。
ロイは、レスターからノルンの話を聞いてからついさっきまでは、今回の件は自分の家族でもなんでもない敵の女のことだからと自分に言い聞かせ、あまり考えないようにしていた。しかし、話しているうちにどんどんと昔のことが思い出され、強姦という忌まわしいことに対する怒り、そしてそれを受けそうになった彼女に対するいたわりの気持ちがわき上がる。そして、その忌まわしい事を信頼していた友達がしようとしたという事実に向き合わざるを得なくなり、ロイは頭がかああと熱くなる。
「…お前」
その声にロイははっとする。セシルがこちらを見ていた。
「…すまん、ちょっと頭に血がのぼっちまった」
ロイは座りなおすと、ぐいっとジュースを飲みほした。ぷはあと息をつく。いけない、こんなことをろくに話したこともない相手に気づかせるなんて。なかったことにしよう。
「……」
しかし、セシルはまだこっちを見ていた。やはり勘付いたらしく、その話を聞きたいみたいだ。ロイはどうしたものかと戸惑ったが、じっと自分を見る視線にしかたないと口を開く。
「…オレもずっと昔、無理やりヤられたことがあるからちょっとはわかるんだよ、お前の気持ち。…8歳ぐらいの時、オレの母親がオレを売ったんだよ」
「母親が、売った…」
セシルはその言葉を呆然とつぶやく。
「最低な母親だったよ。エレスカのスラムで娼婦をやってたんだけど、骨の髄から男狂いのキチガイで。『お前なんか欲しくなかったのに産まれてきやがって』って、物心ついた時から殴られたり蹴られたりしてた。さっき8歳ぐらいって言ってたけど、オレの母親、オレの産まれた日どころか年すら覚えてなかったから、いまだに本当の歳がわかんないんだぜ。レスターと同い年ってことになってるけど」
「……」
「そんなんでも大事な母親だったよ、なんというかやっぱ母親だから。たまに気まぐれで優しくしてくれるときがあったし、オレを殴ってそれで機嫌が良くなるのならそれでいいと思ってたし。…だけど、ある日、家の前に変な男達が来ていて、オレを連れていこうとしたんだ。怖くて母さんに助けてって言ったんだけど、母さんにこにことしてオレに手を振るんだ。『ロイ、産まれてきてくれてありがとうね。やっぱり子供は持つべきモノよね』って」
その時のロイは、母親の言った言葉をさっぱり理解できなかった。だけど、生きてきて初めて、自分が母親から認められたような気がして、嬉しかったのを覚えている。だが、現実はそうではなかった。
「そのまま変な所へ連れて行かれて、そこにはまた別の男たちがいて、何が何だかよくわからないうちにオレは…犯された」
忌まわしい記憶と共に来た怖気に言葉が詰まりそうになるが、ロイは声を絞り出す。
「犯されながら男達から色々教えられたよ。それで初めて母親に売られたことを知ったんだ。…それからも店に出すために仕込むからと、毎日のように犯された。最初の内は嫌だったけど、次第に犯されてることが…好きになって」
ロイは、忌々しい自分の体を傷つけるかのように、握った手のひらに指をくいこませる。
「そうして店に出されて。…それから半年ほどした時、客引きをしていて旦那様に出会った」
「旦那様って…」
「レスターの父親だよ」
セシルを振り返ったロイは、人を思う幸せそうな目をしていた。
「その日もいつも通り、どうやってこの人を喜ばせて、お金を絞りとってやろうとしか考えていなかった。けど、旦那様はオレの手を引いて、直接店の偉いさんに会いに行ったんだ。オレを身請けしたいと」
「…」
「身請けって言葉は仕事の中で知っていたから、オレはああこの人に一生飼われるんだなあって思った。もうその頃のオレには正気はなくて、男に抱かれるのが…大好きになっていたから、これで毎日ヤってもらえるなんて内心喜んでたぐらいだ。旦那様はオレを家に連れて帰ると、良い服を着せてくれて部屋まで与えてくれた。オレは、それはこれからの仕事に対する対価だと思って、旦那様に早速色目を使った。だけど、これからは普通の男の子として生活してくれと言われて」
ロイは、誘惑しようとする自身の行動をやめさせ、慈しむかのような目をして頭を撫でてくれた優しいトーンを思い出す。
「けど、普通の男の子になれと言われたって、あの頃のオレは普通がわからなかったっていうか、強いて言うなら自分が普通だと思っていたから困ったよ。しかも、その頃のオレは、『旦那様が言う普通の男の子になれたら、オレを抱いてくれるのかな?』と考えるまで狂っていた。最初の一週間ほどは、部屋にこもったまま毎日ぼけっとして『いつになったら抱いてくれるのかな?』なんて考えて、食っては寝てを繰り返していたよ」
ロイは、過去の馬鹿な自分を思い出して苦笑した。
「そうしてある日、レスターとノルンに会わされた。一緒に遊んでやってくれって。それから毎日、オレは一緒に遊ぶというよりも、こいつらが旦那様の言う普通の男の子なのかなと思って、一生懸命同じようになろうとした。そうすれば旦那様に気に入ってもらえると思って」
木登りやら、鬼ごっこ、読書、乗馬。そして、剣術や勉強も教えられ、ロイは一生懸命に普通の男の子になろうとした。
「だけど、そのうちわかってきた。このレスターってのが、親から愛情を受けて育った普通の男の子だって。それで、オレは全く普通じゃなかったんだって。その時、虚しくなったんだ。世の中には
父母から当たり前の愛情を注がれて日々を過ごすレスターをみて、そして遊びに出かけた街で普通の男の子―家族や友達と楽しそうに過ごしている少年たち―を何度も見かけることで、ロイが次第に理解した事実。普通の男の子は親から蹴られたりなんてしない。売られたりもしない。そして、当たり前に遊べる。当たり前に勉強ができる。当たり前に好きなことができる。オレだけが異常、オレだけが不幸。
「オレをこの世に産んだ母親を恨んだよ。殺してやりたいって思った。今までのことも全部復讐してやりたいって。だけど、旦那様が言ったんだ、お前が幸せになることが何よりもの復讐だって」
ロイは、少し寂しげにしかし幸せそうに微笑んだ。夜中に短剣を一本持って、屋敷を出て行こうとしたロイ。子供一人の足で行けるわけもない距離に、今もいるはずであろう母親を殺しに行こうとして。そんなロイの頬を叩き、抱きしめてくれたトーン。あの日から、彼はロイの中で、実の親以上に実の親らしい大切な存在になった。
「…」
ふと、オレは何でこんなことまで話しているんだろうと、セシルを振り返る。セシルはじっとロイを見て、聞き入っていた。
「…とにかく、オレは強姦は許さないってことだ。オレ、レスター程頭良くないし役に立たないかもしれないけど、お前の相談ぐらいなら乗れると思うからさ。思いつめる暇があるなら、オレに話してくれ」
「うん…ありがと」
何だか少しだけ晴れた顔でセシルに頷かれて、ロイはちっとは慰めになったのかなとほっとする。
「暗いこと長々聞かせてごめんな。お詫びに庭の手入れが終わったら、もう昼だし飯作ってやるよ。うんまいの作ってやるから、食って寝たら全部忘れて…ってのは無理だと思うが元気は出せ」
「…あんがと」
ロイは元気を出せと、ぽんぽんとセシルの頭を撫でてやる。するとまだ暗い影は残っているものの、セシルは嬉しそうな顔をする。
「…」
―かわいい
ロイはつい思ってしまい、慌てて打ち消す。いかんオレ。こいつは化け物だから!
だが、ロイはそう自身に言い聞かせようとした時、心の奥底が反論する。
―この子は人間。こんなことで落ち込んでしまう、オレと同じか弱い人間
「…」
ロイはセシルをじっと見つめる。セシルが不思議そうに首をかしげたのに我に返ると、ロイはごまかすために慌てて立ち上がった。
「さ、そうと決まったら、オレはさっさと仕事を終わらせてくるから。お前は中で待っとけ」
「うん」
ロイは立ち上がると、セシルに背を向け庭へと向かう。なんだか胸に、暖かい心地がわき上がってくるのを感じつつ。
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