9-④:俺はスケベじゃない、ただのラッキース…
「…ひま」
風呂上がりのセシルは自室に与えられた部屋のベッドで、ごろごろとしていた。
ここでは庭をいじったり外をそぞろ歩きすること以外、暇つぶしできそうなものは何もなく、本すらない。本は昨日レスターが持ってきてくれると言っていたが、昨日来たのはユリナがたまたまいなかったからで、今度会えるのはいつになるかわからないだろう。それに考えてみれば、セシルを何かと敵視し警戒しているあの従者ノルンが(うれしくないことに毎日一度は必ず別荘に顔を見に来るのだ)、レスターをそんな用事で自分の元に来ることを許すとは思えない。セシルはレスターに頼まず、ユリナに頼めばよかったと少し後悔する。
「……」
まあ、ユリナに代わりに頼んでくれるかもしれないけれど。そうでなくとも、自分がユリナに言えばいいだけだし。
「……」
ただセシルは、やっぱりレスターに持ってきてもらいたいと思う。また、会いたいから。
そう思った時、セシルはそんな自分の気持ちに驚く。
「…そう言えば、何オレ、アイツと仲良くなってんだ。敵だってのに」
セシルは体を起こすと、枕を抱きしめる。
「そうだよ。敵なんだから、顔も合わせたくないし、今日にでも逃げ出してやる」
セシルは自分が思うべきことを、口に出して言ってみる。しかし、言葉に全く気持ちがこもらない。
「……」
そんな気持ちもうないくせに、とセシルはあきらめて自身に小さくため息をつく。
セシルはここへきて数日のうち、居心地の良さを感じてしまって、ここから出たくなくなっていた。なぜならここにいると、余計なことを考えなくて済む。全く何ものにもとらわれずに、日々を送れるから。
それに、レスターが偽名で自分をだましていたのだって、誘拐したのだって、国王の命令を受けたからだけなのだし。それに、最初はなんだか許せなくて拒絶していたのだが、関わってみると当初思っていた通りいい人だった。
「……」
これからどうしたらいいのか。
セシルはふと思う。あの国王のおかげで自由にはなった。だけど、これから何をすればいいのか全くわからない。将来を考えてほしいと言われたが、そんなもの全く思い浮かばない。
―どこかの街でひっそり暮らすか?
そんなことぐらいしか、思いつかない。
―そう言えば、昔自分は何をしたかったのだろう
セシルは思い出そうとする。しかし、思い出せるのは友達が欲しいとばかり思う幼い頃の自分で、夢なんか何も持っていなかったように思う。
「…うう」
セシルは寂しすぎる自身の幼少期に、ふしゅうとうなだれて、顔を抱いていた枕に押し付けた。その時、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
2人の侍女の内のどちらかだろう。サアラとは大違いで文句も言わずてきぱきと日々の世話をしてくれる侍女たちは、しかし、セシルにとっては人間味が無く感じられて寂しかった。それに、たぶんノルンが監視の目代わりに置いている奴らだろうから、あまり関わりたくはない。しかし、世話をしてもらっているので、はねつけるわけにもいかない。セシルは分からない程度にため息をつき、入ってきた人物を見ると、
「…おはよう」
「…!れ、レスター?!」
思わぬ来訪者に、セシルは自身の体を、枕をさらにぎゅうと抱いて隠す。だらしない部屋着姿のままである。
「約束通り、本を持ってきてあげたよ」
レスターはそんなセシルの様子を気にした風もなく、どっこいしょと大きなカバンを床に下ろす。
「お前、なんで」
「なんでって、約束しただろう?」
レスターは「忘れたの?」と不思議そうに首をかしげる。いやいや、よく覚えているけど、まさか昨日の今日でホントに来るとは。
「だって、お前、あのノルンに何も言われなかったの?」
「その件なら心配しなくていいよ。母上に色々とアリバイ作りやら協力してもらったからね。こっちの侍女たちも丸め込んでもらったし」
レスターはいたずらが成功したような嬉しそうな顔をして、ウインクする。
「ユリナさまさまだな…」
セシルは感心した風に言う。
「その通りだね。俺もあの人には頭が上がらないよ」
レスターはもう一度重たいカバンを持ち上げると、セシルの元へと向かう。ベッドわきにカバンを置くと、「ふう、重かった」とベッドに腰掛ける。
「さ、色々と持ってきたよ。どれから読む?…これは俺が一番好きな本なんだけれど…」
「どんな本?」
セシルはうきうきとレスターの脇へ寄る。
「この国の、昔の童話だよ。ちょっと子供向けだけど、中々面白くて」
レスターがペラペラと本のページをめくってみせる。時折見える挿絵が綺麗で、セシルはよく見ようと身を乗り出す。
「……」
距離が近い。レスターは少々どきどきとする。お風呂上がりだったのだろう、半乾きの髪の毛からふわっといい香りがする。レスターが思わずセシルの方を向くと、前かがみになっているセシルの部屋着の襟ぐりからは、白い胸元が今にも覗きそうで、
「…!」
レスターは素早く視線を本に戻すが、セシルは気づいていない風でレスターがめくる本をのぞいている。こんな無防備な格好、俺は真面目だからともかく他の男には見せられない。今は誰もいないが、万が一ノルンはともかくロイが乗り込んで来たら!
「セシル、寒くないかい?」
「ん?別に?」
急に話を振られたセシルはきょとんとした顔をする。レスターは何か羽織る物がないか、部屋をさっと見回す。すると、丁度助け舟のように、ショールが椅子の背もたれに掛けてある。とにかく、あれを着せよう。レスターはセシルに持っていた本を半ば押し付けるように渡すと、ショールを取りに行く。
「別に寒くないって言ってるのに」
ショールを着せかけると、セシルは口を少しとがらせて言った。君は良くても、俺の心が落ち着かないから。レスターはショールの前を面持ちしっかりめに結ぶ。
「これ、どんな話の本?すごく絵が綺麗だけど」
セシルは絵の描いたページを探しては、目を輝かせていた。
「この本の挿絵は、たまたま絵師さんが良かったんだろうね。童話だから、同じ内容で色々なところから本は出ているんだけれど、挿絵が下手なものもあればまったくないものもあるし。…内容は冒険物だよ。悪い氷の悪魔に幼馴染を攫われてしまった男の子が、彼女を助けに行こうとする物語」
小さい頃はよく、攫われた女の子をイルマに、そして自分を主人公に重ねあわせて妄想を楽しんだものだ。…とセシルに言えば若干引かれた。しかし、セシルは本をもう一度覗くと言った。
「『雪の女王』みたいな話だな」
「雪の女王?」
「知らない?幼馴染の男の子を雪の女王っていう悪い奴…なのかな、まあとにかくそいつに攫われて、女の子が助けに冒険するって話」
「へえ、リトミナにも似たような童話があるんだね」
しかし、セシルは首をふって、それから後、首をかしげた。
「いや、リトミナじゃなくて、あれ…どこのだっけ?読んだのが小さい頃だったから覚えてないのかな…」
しばらく考え込むセシル。しかし、思い出せずあきらめる。
「そう言えば、リトミナにはどんな童話があるんだい?」
レスターは、ふと気になったことを聞いてみる。童話は風土記に由来するものだから、きっとサーベルンのものとは違うのだろうと興味を持ったからだ。
「…う~ん。オレ、こういうのを読む年の頃は、リトミナにはいなかったからなあ…よく知らない。あっ、でも建国関連の物語は、全部勉強に読まされたから知ってる。それも一応童話みたいなものかな…」
すると、セシルは、はっといたずらを思いついたかのような悪い顔をした。
「それじゃあ、ラングシェリン家のお前の気分を害する目的で、リトミナの初代王妃の物話をしてやる。」
「…いいよ、聞かせて」
にやりと挑発的な視線を送ってきたセシルに、ははとレスターは苦笑いする。
「えっと、昔々。はるかはるか北の地に女の子がいました。小さい頃から山の洞窟に閉じ込められて暮らしていたその子には、名前はありませんでした。あったのかもしれませんが、本人が覚えていないぐらい昔から閉じ込められているために分かりませんでした。時折食事を持ってくる者達からは、名前ではなく化け物と呼ばれていたので、女の子はいつしか自分の名前がバケモノだと思うようになっていました。……………」
暗唱するように話し始めたセシルの話を、レスターはじっと聞く。確かにサーベルンとリトミナは長年敵対関係にあるが、何も相手の国民全員を皆殺しにしたいぐらい憎んでいるという訳でもない。ただ、連綿と続いてきた領土と覇権争いで、色々とわだかまりがあるだけで。
レスターもどちらかと言えば、争い事は嫌いで、できれば友好的な関係を築きたいと思っている。だから、そのためには相手の国を知るということも大切だ。同じ人間である彼らがどんなことを思って、自分とは違う国に暮らし、生きてきたのか。
「…山脈を抜け、北の地から逃れてきた彼らは、リザントという地でしばし休息を取ることにしました。その地の長の元に身を寄せ、女の子は魔法を覚え、言葉を覚えました。そして、女の子と王子様は、山や野を駆けまわり、幸せでゆったりとした日々を過ごしました。そんなある日、王子様は女の子に名前を付けることにしました」
―へえ…
レスターはよく聞き覚えのある地名に、そんなに昔からあるんだと思った時、どどどと階段を駆け上がる音が聞こえた。慌ただしい足音が廊下を近づいてくる。
「「…」」
レスターはセシルと顔を見合わせる。
―嫌な予感
「レスター、隠れろ!」
セシルは立ち上がると、慌てて本の入ったカバンをベッドの下に押し込む。レスターもそこに隠れようとするが、狭い。しかし、足音の距離からすると、衣装ダンスの中はもう無理だ。
「ここ入れ!」
「え…」
レスターは問答無用で布団に押し込まれる。そして柔らかな感触がレスターの顔と頭を包み込んだ。その感触が何の物かすぐには理解できず、レスターの頭の中は疑問符で占められる。しかし、その次の瞬間ドアがバンと開き、レスターは恐怖に硬直した。
「レスター!どこですか?隠れても無駄ですよ」
やはりノルンだった。レスターは息を殺す。
「なんだよ…うるさいな…」
セシルが布団から顔だけを出して、寝起きのような声を出す。どうやら昼寝をしていたふりをして、とぼけるつもりだ。レスターは自身がいる部分の掛布団の盛り上がりが、彼女の体格として不自然じゃないか不安になる。
「セシル。とぼけても無駄ですよ。ここにレスターが来ているのはわかっているんです。どこに隠したんですか?」
「ここに来てんのか、あいつ。風呂入った後、寝てたから見てねえけど」
セシルは、ふぁあと欠伸をした。渾身の演技に、レスターは思わず感心する。
「そうですか…。それでは別の部屋にでもいるのでしょう…」
ノルンが部屋を出る気配に、レスターが少し安心した時、
「か!」
「おわっ」「ひい!」
一瞬にしてベッドの前に転移してきたノルンが、がばっとセシルの掛布団をめくりあげた。
「そうやって誑し込まれたんですね、この馬鹿が!」
「…え?」
レスターはノルンのセリフを理解できない。しかし、それとほぼ同時、明るくなった視界で、図らずも自身がセシルの胸に顔をうずめる形になっていたことに気づく。
「違う!これは!」
「ひゃあ!」
レスターがノルンに言い訳するのと、セシルが悲鳴を上げてレスターを蹴り飛ばすのは同時だった。
「どこさわってんだ、馬鹿!」
「触ってない!君が急に抱きつくから!」
「どうでもいいですから、こっちにこい阿保!」
ノルンは床に転がっているレスターの襟をつかむと、部屋の外へと引きずり出した。レスターは「いだい、首が締まる!」と言いながら、こんな時にかぎって転送を使わない従者を心底恨めしく思う。
そのまま、別室に連れていかれレスターは、ノルンにぽいと離され、解放される。やっと入ってきた空気がのどに染みて、レスターは咳込む。
「な、なんで、俺がここにいることを……」
「あなたが昨日帰ってきてからの様子がおかしかったので、まさかと思って今日はネズミに後をつけさせていたのですよ。」
そんなに様子がおかしかったか?と首をかしげるレスターに、ノルンは言う。
「口角がいつもより3度ほど上がりっぱなしで、声の調子が若干高め。後、歩くときに膝の上げ具合がいつもより1センチほど高かったので。それに書庫に行かれたようですが、書庫から無くなった本を調べれば童話や小説ばかり。大方、暇な彼女に持っていくつもりだろうことは簡単に想像できました。後、あなたが彼女に親しみを持ってしまっていることもね。侍女からの報告ではあなたとセシルはずっと険悪だったと聞いていましたが、彼女たちが奥様に丸め込まれていればあてにならないと思いましたし。…実際全部予想は当たっていたようですが」
そんな細かいところまでこいつは見ているのかと、驚くレスター。ノルンはまったくと息をつく。
「…何仲良くなんてなっているんですか?私は相手は腹の底で、何を考えているかもわからないのに。あなたには警戒心というものがないのですか。…まあ、あなたに世話を任せた私の責任もありますし、もういいです」
「もういいって…?」
レスターは顔をあげる。
「今までは甘い目でみてあげていましたが…あなたまでこうなった以上、今後の懸念は増えるばかりです。きっちりと今、まだ早いうちに対策をしておかなくてはなりません。だからあなたには、もう二度とセシルに会わせません。当然奥様にも。後は私の指示の下、侍女たちに面倒を見させます」
「何もそこまで…」
レスターは慌てて立ち上がる。
「あなたは甘いんです。」
ノルンは蔑むような冷たい目線を送る。その視線に、レスターは少し後ずさる。
「あいつは自分に情けをかけさせるために、あなたと仲良くしようとしていることがわからないんですか?きっと今頃あいつは、扱いやすいあなたを利用してやろうなんて考えているでしょう。今度会わせたら、あなたに何を吹き込むかわかりません」
「あの子はそんな子じゃない」
レスターは思わず言い返す。しかし、ノルンは腕組みをし、レスターに挑発的な視線を送った。
「まともに会話したのは昨日だけ。それだけで彼女を信用に値する人間だと、あなたは言うのですね?」
「……」
レスターは何も言えない。ぐぐと拳を握りうつむく。
―だけど、
ノルンの言う事はいつも正しいから刃向わないけれど、今回もその懸念は正しいかもしれないけれど、レスターは言う事を聞く気にはなれなかった。レスターは足に力をいれ、ノルンの顔を正面から見据える。
「あの子はそんな子じゃない」
レスターは言い切る。
「そんな子じゃないって……あいつは敵国の、しかも王族の人間ですよ」
ノルンは信じられない、という顔をしてレスターを見る。
「わかっている。だけど、今はリトミナと戦をしている訳でもない。それに、あの子にそういう肩書はあるけれど、そんなものとあの子の人間性には関係がないだろう?」
「人間性なんて簡単に見抜けるものではありません。それに肩書で言わせてもらうと、リトミナ王家にとってラングシェリン家は因縁の宿敵です。いくら8年前のことがあるとはいえ、そんなに根深いものを彼女が無視すると言い切れるでしょうか。…もしかしたら、逃亡どころか、あなたを殺して家を絶やしてやろうなんてことを考えているのかもしれませんよ」
「あの子はそんなことを考えない」
「どうしてそんなことが言い切れるのですか?あなたはあいつの心をのぞけるわけでもないのに。何をもってそう断言できるのですか?」
ノルンは首を少しかたむけ、細めた目でレスターの目を見下ろす。
―そう言えば、何故自分はここまで彼女を信用しようとするのか
レスターはふと考える。
「信頼できる、それだけの事を彼女は証明してみせたのですか?違うでしょう?あなたのただの主観でしょう?」
確かに、ノルンの言うとおりだ。ただの主観である。しかし、何故か信頼できる子だと、レスターは心の奥底で本能的に確信している。
「それでも俺は信じる。あの子を」
いつもなら引き下がっているはずのレスターの強い調子に、ノルンは思わず息を飲む。しかし、数秒後、ふうと息をつくと、レスターに試すかのような視線を向ける。
「…そこまで言うのなら、今すぐにでも敷地の結界をすべて解除しましょうか?あなたも彼女にかけた封印を解いて下さい。できますか?」
「……」
レスターはわずかに逡巡した。しかし、ノルンはそれを見逃さない。
「今気づいたはずです。あなたも心の底から彼女を信頼できていないと。彼女は籠の中で生きていくために、大人しくあなたに従い頼るしかないだけ。あなたも、牙をへし折った相手だからこそ、そんな友達ごっこができているだけ。奥様だって、彼女を可愛がっている割には、封印や結界を解除してくれなんて頼んでこないでしょう?同じことですよ」
そんな事はない。しかし、レスターのその言葉は声にはならない。
「私は一切彼女を自由にするつもりはありません。これから先、永遠に。陛下は後々は自由に生きてほしいみたいなことを言っておられますけど、私は従うつもりはありません。いくら陛下が人の心が読めるとはいえ、それは目が合っている間だけのこと。その後に彼女が何を企むかなんてことは、わかりません。この誘拐の件で彼女は私たちのことを恨んでいるかもしれないのに、自由にしたらいつどんな復讐を受けるか分かりません。それに、彼女がリトミナ王家に帰ることを選んだとすれば、もしかしたら彼女は王妃となり、彼らの力を増強させることになるやもしれません。それに我々の誘拐やこちらの王家の力のことを明らかにされれば、外交関係では最悪の事態を引き起こしかねない」
レスターはノルンの言う事を、何も言い返すことができずじっと聞いていた。しかし、やっとのことで、言葉を絞り出す。
「…とにかく、俺は会うのをやめない。母上にもこれまで通り、彼女の世話を任せる」
「……」
ノルンは黙ったまま、じっとレスターの顔を確かめるかのように見ていた。しかしやがて、すっと後ろに下がる。
「…わかりました。もうとやかく言いません」
「…」
ノルンは踵を返すと、部屋を出て行く。もうあきらめたという気配を漂わせて。しかし、
―あいつの性格上、これで終わりとはいかないだろう
レスターは黙って閉じた扉を見ていた。
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