8-③:冷淡の影

 セシルが仕事から帰ったのは、宵闇の迫る頃だった。


「アメリアが、か。アーベルの奴…」

 帰るなりラウルに呼ばれて来た執務室で、セシルがカイゼルから聞いたことを言えば、ラウルは心底苦々しそうな顔をした。しかし、眉間のしわをつまんで直すとセシルに向き直る。

「何とかしてあげたいが…。今は猶予がないお前の方の話を進めたい…すまん」

「…わかった」

 セシルは素直に頷く。アメリアも助けられるのなら助けてあげたいが、それにはまず、自分が自由に動けるようにならないと。

 そんな理性的な妹にラウルは感心しながらも、人間として少し寂しく思う。


「……今朝、領外にいる公爵向けて、縁談を断る旨の手紙を出した。早馬で送ったから、もうとっくに着いている頃だろう。かなりご立腹しているだろうがな。明日には国王の方にも話が言っているだろう。すぐさま取り巻きに呼び出しを食らわされるだろうから、その時にその場を借りてお前とのことを話す。もし呼び出しを食らわなくても、乗り込んで行くがな。後…」


 ラウルが話す段取りを、セシルは黙って聞く。ラウルが話し終ったあとで、セシルは少し迷った様子で口を開く。

「なあ…やっぱその時は、女の服とか、着なきゃダメ?」

 セシルは不安そうにラウルを見る。やっぱりと思いつつ、ラウルは安心させるようにセシルに言う。

「大丈夫、無理してまで着なくていい。本当に女かどうか疑われたら、侍女でもなんでも呼んで身体検査させるだろうから」

 セシルはほっと息をつく。

 ラウルは「ああそれと」と机の上に置いてあった書類をセシルに手渡す。


「ほら、ケイトが、私とお前の関係の嘘のシナリオを用意してくれた。どんなことをつつかれても動じないように、読み込んでおけ。私はもう読んだから大丈夫だ。後、覚え終わったら、証拠隠滅のために燃やしておけ。」


 セシルは書類をぱらぱらとめくる。自分とラウルの嘘のなりゆきが、実際にあった出来事と矛盾を生じさせないよう織り交ぜて、きっちりと時系列に細やかに書かれている。お忍びデートの回数とその場所、そこでの出来事なんてものまで設定されている。

 こんなの、よく今日中にできたな。そう言えば、ケイトは小説とか演劇が大好きだったよなあと、セシルは思う。特に恋愛物。そうしてロマンスの世界に居続けたせいか、43歳にて今の今まで独身、高齢しょゴニョゴニョ。


「わかった。読んでおく」

 セシルはそれを折りたたんで懐にしまう。早速部屋に戻って読もう。


「それと、サアラのことだが…」

 部屋を出ようとしていたセシルはびくっと振り返る。ラウルは言いにくそうに切り出した。

「…サアラはこれまで通り屋敷で雇う。本人が辞めたいと言っていたのに、私が無理を言って引きとめていた責任もあるからな…。ただ、お前の担当からは外すことにした。もう女であることは明らかにするのだし、他の者がお付になっても問題はないと思ってな…」

「そっか…」

 セシルは目線を床に落とす。


「複雑だろうけど、何せこんな時だ。むやみにサアラを追い出せば、マンジュリカもそうだけれどアーベルのこともあるし。利用されてしまうかもしれない事を考えたら、自嘲した方がいいと思ってな」

「…そうだな。…サアラは今はどうしてるの?」

「気持ちも落ち着いて、反省しているようだ。落ち込んではいるみたいだが、しっかり食事もとっていて問題ない。ただ、しばらくは念のために閉じ込めて、見張らせておく」


 ラウルは念入りに用意していた嘘をつく。実はサアラはうなだれたまま口を一切聞かない、食事どころか水も飲まないなどと言えば、セシルに心配をかけて明日に響くかもしれないからである。


「そうか、よかった」

 セシルは小さく息をつく。


「じゃあ、オレ部屋に戻ってるから」

 セシルはそう言うと、ラウルの部屋を出て行ってしまう。


「……」

 ラウルはすこし拍子抜ける。顔を見たいと言い出した時のために、会わせないための言い訳を考えていたのだが、その必要がなかった。きっと、顔を合わせても何を話せばいいのか、わからないのだろうと寂しく思う。

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