1-④:もう人生辞めたい。

 夕食後、自室のベランダの手すりに頬杖をつき、セシルは何となく夜空を見ていた。


 今日は、いつもよりやたらと疲れたように思う。

 団長の元へ辞令を受けに行っただけで、さして何もしていないのになとセシルは苦笑いする。


 だから、自身の疲れは、絶対にあのババアのせいだと思う。


「何なんだよあのババア」

 あの後、周辺を探しまわったがどこにもいなかった。それどころか、前にあった服屋の人たちも、あんなすぐそばの路地裏で、占い処をやっていたこと自体知らないという。


 マンジュリカに対して国を挙げての警戒態勢中だし一応団長に報告しておいた方が良いだろうと、気が重いながらも、団長に会いに城まで逆戻りしたので余計な手間と体力がかかった。

 あと、報告の最中から団長の眉間のしわがさらに深くなっていくのに、また心労の種を増やしてしまったという申し訳ない気持ちがいっぱいになって、自身の心労も絶賛過剰中だ。

 その上、麻薬事件とマンジュリカの関わりについてやはり気づいていたかと言う団長に、正直に「兄の書類を盗み見しました。ちなみに自己防衛を呼びかけるためにカイゼル達にもばらしました」と言えば、盛大にため息をつかれて殴られたので物理的にも頭が痛い。




「はあ……オレもうやだこの人生」

 手すりに額をゴンとぶつける。すると、服の下に掛けていたネックレスの鎖がこすれて、しゃらんとかすかな音を立てた。平々凡々に市井で生きていくはずだったオレが、どこの馬の骨ともわからん女に利用されて人生目茶苦茶にされて―いや、元々の人生すら仕組まれたもので―やっと解放されたと思ったらまたその女に頭を悩まされている。


 何かやらかしたばちが一気に当たったのではないかとセシルはふと思うが、首をふるう。だって、そうなら産まれた時から罰を当てられていたことになる。

 無垢な赤子どころか生まれる前のオレが、いつ誰に何かをとやかくできるはずもない。いや、もしかして前世のカルマとかっていう奴か?はあ…そーならオレは前世ではきっと極悪人だったに違いない。今世は善人にならなければ来世が危ぶまれるという不安にセシルはかられる。



―いや、もう遅いか

 セシルは顔をあげため息をつく。


―だって、結局この人生でも色々やらかしたから


 屋敷が立っている丘の下から、ちらちらと街の明かりがついているのが見える。何となく触って落ち着きたくなったので、セシルはネックレスの先を襟の内から取り出した。それは金色に輝く、魔術文字の刻まれた男物の指輪だった。


「あいつが生きていたら、こんな今の情けないオレになんて言うんだろ」

 8年前。返り血でぬれた自分を、抱きしめてくれた赤毛の男。元から赤毛なのか血で赤くなってるのかわからないくらいのなりで。お前が今にも死にそうなのはオレのせいなのに、オレが泣きつかれて眠るまで撫でてくれた。


「どうせ、またオレは悪くないって言ってくれるんだろうな…」

 あいつは馬鹿みたいに優しかったから。セシルはふっと目を伏せて、指輪を握りしめる。そして、寂しそうな笑みを口元に浮かべた。


「もうあいつも養父上ちちうえも死んだんだもんな…それぐらいあれから時間がたったんだな」

 命を懸けて自身を救おうとした彼ら。彼らが死んだ今、もう頼ることのできる人はいない。




 彼らが救ってくれたこの命。大切にしなきゃいけないとは思う。


―でも本当は


 セシルは寂しくほほ笑む。


―もう逃げたい


 命と引き換えにアイツに立ち向かって行ったなら、オレは死ぬことを許されるのだろうか。




「……」

 見上げた先にあるこの素晴らしい満天の星空を、同じ心地で見ている人はきっといないだろう。



 ふと1つ流れ星が流れる。白く光る流れ星。消えたそれを追うかのように、幾つもの流れ星が流れ始める。


―最近流れ星が、やたらと多いな…


 最近大陸の各地で、幾度も流星群が目撃されていた。あまりもの目撃の多さに、世界の滅亡が近づいているなんて噂もあった。また、曇りの夜空や昼間の青空に、白い流星群が走ったなんて、荒唐無稽な目撃談まである。


―いっそのこと、本当に滅亡してくれ。そうしたらはこんなに苦しまずにすむ


 こみあげてくる虚しさに、セシルは瞳を閉じた。

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