第2章:何億分の1

2-①:愛情≒毒

「セシル様、おはようございます。朝食の準備ができました」

「ああ、おはようサアラ」


 武闘会の朝。セシルは少々忙しいので、部屋に入ってきたサアラに返事だけ返して服に袖を通す。時刻はまだ4時半を回ったところだが、セシルは着替えをしていた。試合準備の最終チェックやら、各国からの迎賓の出迎えの準備やらで早めに出なければならない。外交の職を持っている兄上も一緒だ。


 今頃カイゼルの侍女アメリー(本名アメリア)は朝に弱いカイゼルをたたき起こそうとしている頃だろう。いいや、叩いても起きないから、鼻と口を同時に塞いでみようとしている頃かもしれない。………と、


「はえ?」

 下穿きに足を突っ込んだところで、頬に何か固いものが押し当てられた。視線だけをやると、何やら包みに包まれた箱?を無言でサアラが押し付けている。


「……サアラ?」

「……お弁当」

「ほえ?」

「だから今日のお弁当だってば!」

「オルベントウ??ふえ?」

「わかんないの?!お弁当!!」


 急に耳元で叫ばれたので、片足を下穿きに突っ込んだだけの情けない下着姿のまま、セシルはしりもちをついた。


「わかった分かった!」

 実は半分も状況を理解していないが。


 ええと、あれだろ。サアラがオレにお弁当を作ってくれたってことだろ?武闘会だから、そうオレに…って、ハイ?!

 驚いた顔で見上げると、サアラは余計な反論は許さないとでも言うように、セシルを見下し睨みつけていた。



「何か文句でも」

「…いや…ないです」


 目の前には目を白黒させて、私の顔と差し出されたものを何度も見比べる主人がいる。まるで、空から岩が降ってきたのを見たかのようなお顔ですね。

「なんか、いいことでもあったのか?」

 セシルはびくびくとしながら立ち上がりつつ聞く。


「別に」

―嫌な事ならありましたが。


「じゃあなんで」

「それはセシル様に全力を出して頑張っていただくためです、頑張ってください♡」


 精一杯努力してにっこりと笑いかけたつもりだった。しかし、当の本人はどどどどーっと全力で壁まで後ずさりし、ぞぞぞーっと寒気に胸を抱いて震えはじめた。なんて失礼な。


「お前よもや毒でも仕込んで…」

 泣きそうになってがたがた震える様子の主人。下穿きはきかけでしたから、上を着ただけの下着一丁ですね、情けない。思わずくすりと笑ってしまうが、そのしぐさにまでおびえることは無いんじゃない?


 主人の方へと近づけば、自身の一歩ごとにヒイヒイ悲鳴を上げて壁に背中を押し付けている。それは年頃のレディに対して失礼ですよ。バケモノじゃ無いんですから。

「まさか毒なんて。栄養バランスを考えてしっかりと作った正真正銘安全で、さらに愛情満点なお弁当です。」


 ニコニコしながら言っているサアラ。しかし、セシルは世の終わりのような驚愕の表情のままだ。


「あ、愛情……お前がオレへ愛情たっぷり……あ、ありえない…きっと、アイジョウという名の毒をたっぷり満点に盛っているに違いない…。…いや、オレはまだきっと寝てるんだ。ああそうだそうに違いない…ほっぺをつねれば夢が覚め「なら遠慮なくつねります」いでええっでえええ、うぎゃああああ!」


 盛大な叫びにラウルが飛んで来たのは言うまでもない。





 出立前、玄関の前で頬を押さえうなだれるセシル。日の出はまだだが、空はだいぶと明るくなって清々しい朝焼けだった。


「おいサアラ…何も武闘会の日にまでみみずばれ付けてくれなくてもいいだろ…国中からもだし、他の国からも人が見にくるんだよ…オレ恥ずかしくて…」

「観客席から下まで距離があるから大丈夫です、見えないですよ!」


 サアラは笑顔でバッチグーする。笑顔久しぶりに見れてうれしいっちゃあうれしいけど。

「けど、他の選手とかと会ったら絶対これ痴話喧嘩だと思われるだろ…。全国から来るってのに、変な噂が立って…ああ…」

「その点は大丈夫。以前からお前の周囲にはそういう噂会ったから。…セシルは侍女ちゃんと付き合ってて尻に敷かれてるってさ。さっさと結婚すればいいのに爆発しろって」

 ラウルがあきらめろと、ぽんぽんとセシルの頭を叩くようになでる。


「嘘だろ?!……ただの幼馴染だって聞かれるたびに言ってんのに!!好き勝手に噂つくりやがってえええ」

 男の世界も女に比べりゃましかもしれないが、噂好きだし野次馬根性のやつらばかりだ。

「じゃあ、いわゆる愛妻弁当まで持っていけば、オレ確実に奴らの格好の餌食だな…」

「ちびのくせに一端に嫁つくって、このお~」とこづかれて、からかわれるのが目に見えるようだ。いや、目に見えるのではない、確定事項だ。はあとため息をつく。


 まあ、噂が広がっても、相手がサアラなら放っておいても問題ないだろう。確かに見た目は可愛いし、オレ以外に対する態度は良いし、身分的にも兄上となら大問題だがオレとなら問題もないからな、と思いつつちらりと見ればサアラは頬を赤くして照れていた。しかし、すぐに暗い顔になる。それで、セシルははたと気づく。


―ああ、そうか、オレが手を付けたなんてうわさが広がれば、こいつの嫁の貰い手がなくなる…もしかしてそのことを心配してるのか。すまん。オレ、自分のことばっかりでそこまで考え及ばせてなかったよ…


 セシルは自分の浅慮にため息をついた。こりゃなんとしてでも『サアラ=幼馴染』設定で押し切らなければ。


「いいじゃないか、場が和んでお前も皆の緊張も吹っ飛ぶだろう?」

「オレは恥ずさで負けそうだよ…」

 ふらふらと力なく天を仰ぐ弟の肩をつかみ、ラウルはよしよしする。


「さあさあ、もう時間だし、さっさと行くよ。ほらサアラに礼を言いなさい」

「ありがとありがとサンキュー」

「まじめに言え、白目剥きながら言うな」

「ありがとう!ヘイユー!」


 焦点の定まらない目で、ぴしーっとサアラに指をつきだすセシル。どこぞの酔っ払いだ。ああこいつ、弁当のショックで頭の回線ショートしたのかもしれないと、ラウルは眉間をつまんで悩む……

「ぎゃぼーーーーっ!!」

 前にサアラの気付けの眉間チョップがセシルに炸裂したのであった。


**********


 窓を開けると、新鮮な空気と共に朝の喧噪が部屋に入ってきた。まだ日は上っていないので、朝焼けの桃色の雲が薄い青空に細くたなびいているだけだ。自国とはまた違った街の空気を吸いふうとため息をつくと、男は横顔にかかる赤く長い毛を搔き揚げた。


 リトミナに入国してから1週間がたつ。ここ―王都リアナには昨日来たばかりだ。


『……(前略)……あなたは変に動かないでください、絶対に。別に、あなたは戦い方を見て弱点を探そうとなんて頭使わなくていいです。私が分析しておきますので。……(中略)……後は全部私に任せてください。例えば、あの3人のうちの誰かを街中で見かけたりしても後をつけて偵察しようなんて思わないでください、その場合何かあっても助けに行きませんから。ああそれともし万が一、会場でマンジュリカ(仮)関連事件が起きてもあなたならむざむざ死ぬことは無いと思いますから、さっさと構わずに逃げてくださいね。後、億に一の可能性でマンジュリカ本人の襲撃があっても、正義感刺激されて戦おうなんてことしないでくださいね。あなたの魔法はただでさえ珍しいんです、すぐ身元がばれますから他国の事情になんか首つっこまず、さっさと逃げてくださいね……それと後……(後略)……。』


「……」

 枕元に置いてあった懐中時計を机に置く。そして、その横に小さな折り畳み式の鏡を立て、その前で髪の毛を一つに結わえながら、昨日従者に延々と言われた言葉を思い出す。

 ちなみに彼は、麻薬中毒者が起こす事件をマンジュリカ関連事件と呼ぶ際、マンジュリカという言葉の後に(仮)を付けるのを強要する。まだ本当にマンジュリカが関わっているか確定できていないためだが、そこまでの正確性を誰も求めていないと思うので、やめてほしい。毎回、舌を噛みそうになるのだから。


 後、もう慣れっこだが、正直言ってあいつの忠告は毎回長い。そもそも何もしていないのに、する前から先に自分がやりそうな事を予測しつくして説教する(確かに自分ならやりかねないことだから、なおさらいらいらとする)。1歳年上なだけなのに親かという過保護レベルだ。

 構わないでくれと思いつつも、幼い頃から共に育ち、主人を主人以上に熟知している従者に口出しなどできない。


「まあ、見るだけでも十分楽しいがな…」

 と言いつつも、内心はいじけている。本当は昔みたいにその神経質な従者と、もう一人のお気楽な従者と3人で一緒に動きたかったんだけどな。

 家長になるとこうも大事にされて身動きが取れなくなるものなんだなと、今の身の上を不便に思う。


 はあともう一度ため息をつけば、目の前の鏡の中では整ってはいるが、これと言って特徴のない地味な顔がため息をついているだけであった。いやになって、ぱたんと鏡を閉じる。


―まだ早いけど、とりあえず行く準備だけしておこう


 武闘会は9時からだ。懐中時計を開けて確認する。今はまだ6時。席も前売り券を確保しているし後3時間もあるからもう一眠りしてもよいのだが、街は昨日の朝までと違って騒がしいのでとても眠れそうにない。


 自分専用に作られた従者お手製のリストを事前に見るように言われていたので、真面目さだけが取り柄だと自他公認の男は見直しにもう一度目を通すことにした。

 従者の性格が顕著に表われている、細かでくせのない教科書のような文字で書かれたリストは、どこの業務報告書かというお堅さでもう目が痛いのだが。


『えっと、俺がはっきり見られるのは出場する元セレスティンとアゲットか。後は運が良ければ客席でジェードが見られるかな、まあ見えないと思うけれど。…にしても、この人たち、本当に可哀想な生い立ちの人ばかりだよなあ……』


 落したら大変なことになるから持ち出し禁止ときつく言われているリストを読み終えると、男―レスターはそれを部屋に備え付けの金庫に入れ、鍵を閉めた。





 朝食を終えて着替えると、最小限の荷物だけを持ち宿を後にする。上着のポケットから懐中時計を取り出して確認すると7時を回ったところだが、売り切れ無いうちに当日券を買いに行くのだろうか、人々がいそいそと会場の方へ向かっていくのと何度もすれ違う。レスターはと言えば、彼らと反対方向に街の外の方を向いて歩いている。時間が余っているので散歩がてら街の様子を見るつもりだった。


「ふう、それにしても、こんな時に武闘会だなんて」

 麻薬での事件が相次ぎ、周辺諸国が対策に奔走している今、わざわざ人が集まる催しをするこの大国リトミナ。レスターの住むサーベルンでは先月王宮で殺傷事件があったというのに、危険を呼び込むような催しを実行するこの国の神経がわからない。


 ―どうせ、自分たちの沽券を守りたいだけだろう


 リトミナはもとはと言えば500年ほど前、サーベルンの支配下にあった属国であった。

 厳密に言うと、大陸に位置するサーベルンの西海域にヘルシナータという王政の島国があったのだが、その国はサーベルンの属国にされてから数年後、サーベルンに対して反乱を企てた。しかし結果は惨敗。国王を始め、王族の者は女子供を問わず、見せしめに処刑された。


 だが、生き残った末の王子はわずかな手勢を引き連れ、サーベルンの支配の及んでいない大陸の北方に逃げ込んだ。そして、サーベルンの侵攻を恐れていたその地の住民の協力も得て、しぶとくも新たな国リトミナを建てた。


 それだけなら、サーベルンは武力で再び、リトミナを属国にすることもできた。しかし、2つの要因が、両国間のパワーバランスを変えることになった。


 1つ目は、リトミナが、特殊な鉱物の一大産地を発見した事である。

 元々ヘルシナータに住む人間は、魔法を使用できる者が少ない傾向にあった。しかし、そのために、魔法を神から得たものと宗教的抽象解釈をしていたサーベルンとは違い、どのような原理で力が具現化しているのかという、現実的で論理的な研究が進んでいた。だから、彼らは魔法の使用技術がとても秀でていた。

 そんな彼らは、魔法が使用できなくとも加工次第で魔法武器となる、魔力をはらんだ鉱石―魔晶石が多く取れる鉱山を発見。更に、ヘルシナータでは希少だったそれが、大陸の北側では多く産出されることが分かり、その一大産地を手に入れた彼らは、つまり強力な武力を手に入れたこととなった。


 2つ目は、サーベルンへの対抗馬となる魔法の血を、王家に取り入れたことである。リトミナ王家の人間は、代々珍しい魔法が使える。それはもともと、現在のリトミナよりさらに北方の遊牧民族の民だった女性が持っていたもので、リトミナ創建者である王子は、彼女の協力を得て版図を広げると共に、迫りくるサーベルンの脅威から国を守った。そして、その魔法の血は彼がその彼女を妻にしたところからリトミナ王家に受け継がれ、現在も周辺諸国の脅威となっている。


 こうして力を持った彼らは代々王が変わっても、サーベルンへの復讐といわんばかりに過去幾つにもわたる戦いを仕掛け、現在に至る。最近は戦もなく落ち着いてきているが、リトミナの民衆はかつての支配された経験からサーベルンを良く思っている者はいない。

 サーベルンでも、かつては歯牙にもかけなかった属国が今や匹敵するほどの大国となったことを面白く思う者はいない。最近押され気味な苛立ちが、さらに嫌悪に拍車をかける形となっている。



「マンジュリカを恐れて武闘会を取りやめたとなると、サーベルンに怖気づいたのかと思われるのがいやなんじゃろう。属国からの視線もあるしの。……じゃが、あの国は…目先の栄誉ばかり考えおって。何かあってからでは遅いのに」


 国王が俺にこの任務を命じた時に言った言葉。やるせなさの混ざった声音がとても印象的だった。何かの身を心配しているような。まさか、リトミナ国王なわけはない。敵国のセレスティンの訳もないだろうが。




「おっと…」

 ふと立ち止まる。考え事しながら適当に歩いていたら、うっかりどこの道を通ってきたかわからなくなった。

 早く地図をとカバンのふたに手をやるが、考えてみれば王城が見えている方向に行けば競技場のある中心部に出られる筈……と、振り返りかけたところで脇を女性二人が駆け抜けた。いや、正しく言えば、栗色の三つ編みの髪の女性が、もう片方の茶色のボブカットの女性を引きずるようにして走っているのだ。


 レスターは急なことに地面に尻を着く。三つ編み女性は足を止めて振り向き、一瞬『ちっ、ふらふら歩いてんじゃねえよ、このボケ』と言ったようにゆがめたが(あくまでレスターの主観である)、一瞬のちには申し訳なさそうな顔をつくり「すんません!急いでるんで!」と謝り、助け起こすこともせず駆けていく。


―俺の国だったら、見かけない光景だな……


 レスターの国は宗教権威が強く、女性は貞淑にという意識が根強い。それに比べ、多神教でありながらも元々現実主義で、サーベルンに改宗を迫られた過去でなおさら宗教に良い印象を抱いていないこの国では宗教自体あってないようなもので形骸化している。衣食住に宗教的な制約がほとんどなく(例えば些細なことだが、サーベルンでは女性は髪を伸ばして結うものとされていて、ボブカットの女性はめったに見かけない)、サーベルンの若者層が堅苦しい自国よりもリトミナにあこがれを抱いているのも、サーベルンの国民や宗教家がリトミナを忌々しく思っている要因だ。


―あの人もそうだったよな…


 サーベルンの王女でありながらバッサリと髪を切り、飛び歩いてはじゃじゃ馬と言われていた女性。この国で生まれていれば、あんなことにはならなかったのだろうか。レスターが寂しげな笑いをこぼす前に、叫ぶような声が飛んでくる。


「サアラッたら足遅い!…早くしないと売り切れる!」

「私はセシル様から前売り券を貰っているので、困ることはありません、なのになぜ私まで付き合わされるのでしょうか」

「文句言うならカイゼルに言ってよ!だってアイツ、今年にかぎって私の分買い忘れてんのよ!毎年の事だから、今年も買った気でいたんだって。ほんっとにありえない、あのボケナス!武闘会終わったら、目ん玉えぐりだしてやる!」

「アメリアさん、品のない言葉遣いは人間の品位自体を下げますよ。それに問いの答えになってません。なぜ私まで付き合わされるのでしょうか」

「いちいちうるさい。あんたはグチグチ言わずに、黙ってついてくればいいの!」


 ああ、さすが自由の国リトミナ、女性の言葉遣いも自由気質だ……


 哀しい気持ちもすっかりどっかへ行き、へたりこみながらあんぐりと口を開けるレスター。


 ―いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。何か重要な言葉をきいた気がするのだが。


「セシル…カイゼルに…アメリアって…」

『運が良ければ客席でジェードが見られるかな』って…

「実物早速見たんだけど、俺」


 今日帰ったら「お前らよりも先に彼女を見た!しかもこんな恐ろしい女性だった!」と従者たちに声を大にして自慢してやろう。お気楽な従者―ロイは嬉々として話にのってくれるのが目に浮かぶ。普段は冷静かつ神経質な従者―ノルンも、これはさすがに驚くだろう…と思ったが、「それが?」としれっと返されるのが目に見えて、レスターはその場で年甲斐もなくしゅんと落ち込んだ。


**********


 開会式のために文官や騎士達が準備にとりかかり、いそいそとした雰囲気の漂う競技場。


「だんちょお~!あっちの設備、点検終わったぜぇ」

「そうかそうか」

「こら待て」と工具をしまっているカイゼルを置いてけぼりにして、セシルが小走りで走ってくる。彼が目の前にくるのをにこにこと待って…団長は拳を振り落した。


「いでえええ!」

「お前、ちゃんと片づけも手伝え。それと、タメ口!」

「うるさい!ただでさえ低いのに、今ので絶対背ェ3センチ縮んだ!毎回毎回するからずっと身長低いまんまなんだぞ責任とれ糞オヤ…ゲハ!!」


 今度は頬へげんこつが飛んできた。セシルは口から唾しぶきをあげながら吹っ飛んだ。しぶきが今しがた上ってきた朝日に照らされてきらきらとした空間の中、無駄に美しく吹き飛ばされたのを、第一騎士団の騎士仲間たちは「またか、懲りないなあ」とあきれの混ざる暖かい目で見ていた。


「人のせいにするな、お前が礼儀に気を付ければいい話だろ!」

「そんなこと言っちゃってえ~♡ホントはショタっ子をいたぶるのが好きなド…ごはあ!」

 座り込んだまま小首を傾げてうふんと言っているセシルに、今度は団長のつま先が腹にめり込んだ。セシルは胃液を吐きながら悶絶する。


「げほ…このどエス、げぼっ、どエスうう!いくら攻めだとはいえやり過ぎ…」

「あいにくそういう趣味はない。誤解を招くような発言は慎めこのクソ野郎」


 ちなみに団長ワイアットはれっきとしたノーマルであり、いかつい顔してかなりの愛妻家兼子煩悩である。セシルはその噂を聞いて、一度そのデレた顔を拝みに行こうと家に忍び込んだら、あっさりつかまって一週間毎日スクワット200回、腹筋300回、腕立て伏せ300回さらに加えて懸垂100回させられた。おかげで更にそのあと一週間剣を持つどころか、まともに歩けなかった。


「クソ野郎って言った方がクソ野郎なんだぞ!」

「もう止めろっての、恥ずかしい」


 のそのそとやってきたカイゼルは、座り込んだままのセシルの頭をはたく。

 団長は呆れた顔でセシルを見降ろすと、さっさと立てと後ろの首根っこをつかんだ。猫でもつまむかのように軽々と持ち上げたセシルを、ポイとカイゼルに押し付ける。


「セシル今度は……いやコイツ一人で行かしたらアイツに犯されかねない……カイゼルお前、今度はこいつと一緒に会場の外を点検してこい。ただの広場だが今は色々物騒だから、変なもんが仕掛けられてないかきちっと見てこい」

「ええ~…それ王宮の魔術師の奴らがさっきしたんじゃなかったっけ?」

「ああ、したにはしたが、あの魔術師長くそやろう、お前に見直してほしいんだってさ」


 忌々しい顔を通りこし苦々しい顔をする団長。彼は魔術師長のメイとはそりが合わない。何かにつけ、武術は野蛮だ、魔術は魅惑的で素晴らしいと突っかかってくるからだ。それに加えて…


「だーれがクソ野郎ですってこの脳味噌筋肉」

「くそ…噂をすればきやがった」

 甘ったるい声に、うげえという顔をしたのは団長だけではない。振り返るよりも先にどんと、でかい塊がセシルに抱きつく。それは、セシルの首に腕をからみつけて、指先でほっぺをむにむにとつつき始める。


「あ~んセシルちゃん~今日もお肌つやつや~。あらやだわ、ま~た侍女ちゃんにやられたのね、このみみずばれ。」

「師長、痛いからつつかないでください。後距離近いです、離れてください」


 セシルは他人行儀に徹する。しかしメイは、「ええなんでだめなの?」と首をかしげ上目づかいで、豊満な胸を腕に押し付けてくる。香水くさくなるからやめろ。後鼻の下のばして、うらやましそうな目で見るなカイゼル。


「それより、ねえねえ。そろそろ、こんなむさ苦しい男だらけの騎士団とこやめて、魔術師庁うちらんとこ来ない?こんな野蛮なところにいたらセシルちゃんの頭までムキムキになっちゃうわよ?」

「大丈夫です、鍛えてもこの通り、チビのまんまなのでその懸念はありません。なのでお断りします」

「あらあ、残念。だけど、こっちの方がお給金多く出すわよ?それに、イ・イ・こ・と教えてあげよっか?」


 耳元でフェロモンむんむんで吹き込まれた言葉に、ぞぞぞーっと背筋を震わせたセシルを、団長は見ていられない。

「さっさと仕事だ、メイ。さっさと連れていって真面目に仕事しろ」

 どすの利いた声で団長が会話を遮るように言えば、メイは「仕方ないわねえ」とうだうだ言いながらも、「こっちよ」とセシルの手を引いていく。

 元々頼まれていないカイゼルは「あんたなんでついてくんの、汗臭い男なんて要らないわよ」とメイにしっしと追っ払われようとしているが、カイゼルも「うるせえ、痴女。団長の代わりにしっかり見張ってやるからな!」と引き下がらない。さすがは俺の部下だ。


 二人の仲が悪いのは、そりが合わないということ以外にも、彼女が隙あらばセシルを引きぬこうとしているからである。

 セシルは元々の魔力保有量は並程度だが、突出して魔法の使う技術が高い。王家固有の魔法を自由自在に無詠唱で使える上に応用しても使えるとなると、現在の魔術師庁に属する他の魔術師の能力など比類にならないくらいの、次期魔術師長最有力候補である。次期魔術師長は副魔術師長というのが通例だから、次期副魔術師長候補と言った方が正しいかもしれない。

 だから、口調は軽いものの、メイは結構マジであるので団長は警戒しているのだ。メイはセシルの事を何も知らないので一切悪気がないことは理解しているが、団長は残念ながら這いつくばってでもセシルを手放すつもりはない。今のところは。





「久しぶりだな、セシル。で、何だ?わざわざここまでいたずらしに来たのか」

「ワイアット。突然だけど、オレ試験受けに来た」

「…はあ?!お前、正気か?!…お前みたいなガキに騎士が務まるわけがない、さっさと帰れ!」


 ワイアットは思い出す。セシルが10歳の時、騎士見習いのテストを受けにきたのを、即座に追い返そうとした時のことを。細くて、身長は同い年の普通の女子にも負ける。お前自分の体を考えろ、それで男社会に生きるつもりなら文官を目指すのが妥当だ、と。


 何よりも、ワイアットはセシルの養父ちち―当時の団長―から彼の事情をよく聞いている。そして、セシルの養父ちちは彼が騎士になることに反対で、万一内緒で受けにきたときはよっぽど本人が心の底から望んでいるようでない限り、追い返せと言いつけられていた。だから、ワイアットは騎士見習いの試験の係もやっていたのだ。


 だが、ガリ細でおまけにチビのあいつが騎士なんて目指すわけないと思っていたので、まさか本当にその万一が来るとは思っていなかった。



「団長には黙っててやるから、さっさと帰れ」

「嫌だ!オレここに入りたい!」


 入らせるつもりはない。もし、憧れぐらいで入るつもりなら断固としてだ。だが、もし何らかの事情か強い願いがあるなら、能力次第で考えてやらないこともない。「その理由を聞かせてもらおうか」という問いに、セシルは最初こう答えた。

「強くなりたいから」


 しかし、目が泳いだのを見逃さない。本当の理由を言えるようになるまで、テストは受けさせないと言った。そうしてテストを十数度受けに来てはバレバレな嘘の理由を言い、門前払いされるのを繰り返し、ついにセシルは消え入りそうな声で言った。

「…早く死にたいから。…自殺したら周りに迷惑かけるかもしれないけど…戦死なら周りもしょうがないかなって思ってくれるだろうから」


 10歳の子供が言う事ではない。絶句した後、頭を抱えて唸るワイアットを前に、セシルはもう二度と試験を受けさせてもらえないだろうと分かっていたのか、うつむいて目に涙をためていた。



 ―どうすればいい?

「そんなやつは騎士団にいらない」と突っぱねてやることもできる。だけど、そうして行き場を失った彼は、どうするのだろう。自分の知らないうちに、一人で勝手に命を大切にしないことをしたら。それぐらいなら、

「……?!」

 弱虫の困ったちゃんでも抱えてやって、面倒を見てやる。ワイアットがわしゃわしゃと頭をかきなでててやると、きつい言葉を掛けられることを覚悟していたのだろうセシルは、ぽかんとしたまま頭を撫でられるがままに前後にがくがくと揺らしていた。


 二度とそんなこと言わせないように、自分が見守ってやらなければ。これなら団長だって入団を納得してくれるだろう。


「………わかった。理由はどうであれ、言ったら受けさせるって約束だしな。テストを受けさせよう」

「…へ?」

 混乱の表情の後、言葉を理解しぱあっと明るい顔をするセシル。それはやっと死に場所を見つけた喜びの笑顔かもしれないが、残念だな俺はお前に死に場所を与えるつもりは毛頭ない。


「喜ぶのはまだ早いぞ。体力テストはもちろんだが、ペーパー試験の方もちゃんと受けてもらうぞ。王族だからってどっちも手加減はなしだからな。後、団長には受かるまで黙っててやる」

「ホント!?やった!ありがと!」

 先程までの涙はどこへやら、セシルはぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

 こういうころころと表情が変わるところは普通の子供なのになあ、と寂しく思うのを、ワイアットはごまかすように「どういたしまして」と大げさに返事する。


―さあ、こいつをどう育てよう。とりあえず、最終目標は決まった。死にたがりの克服だ。

 そのために、自分がずっと面倒を見てやる。





「今でも、まだまだあいつは危ういからなあ…とても手放せんよ、すまないなあメイ」


 試験を受ける前から彼を知ってはいたが、本当の彼を知ったのはあのときが初めてだ。まさか、あのいたずらっ子が、あんな重い物を抱えていたなんて知りもしなかった。


 あれから6年たつが、まだまだ根はあの時の子供のままだ。ちゃんと大きくなるまでどこにもやらない。

 ただ、あんなに細いチビだったセシルは、今では並の兵士では話にならないくらいに強くなった。


「さて、今年はどこまで勝ち残るかな?」

 麻薬事件が深刻化する今、催しを開いて危険を呼ぶようなことをして、国力を見せつけることに固執し続ける王には呆れる。

 だが、警備は強化されているし、グラウンドや客席の結界も強くしてあるから滅多な事はないはず。だから、まずは教え子の成長をちゃんと楽しもうと思う。

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