1-③:スリと占い師にはご注意を。
「なんで俺らがあんな任務に…なあセシル」
「ふふふん♪」
「やけに上機嫌だな、気味わりい」
昼下がりの、王都の屋台街の道。セシルは遅い昼食の串焼きをかじりながら、両ほっぺに痛々しいみみずばれを付けてスキップを踏んでいた。もちろんみみずばれはサアラの制裁の名残だ。
その後ろでは、セシルと同じく第一騎士団に所属する先輩騎士カイゼルが、これまた同じく串焼きをかじっていた。
ただ、違うと言えば表情。セシルはうきうきとしていたが、カイゼルは先程からずっと口を曲げてセシルの背をじっとりと見ていた。
「やっぱ、あれか?団長が命令したの、サアラからしばらく逃げられる任務だからか?」
「そう!しかも短くても半年ッ!長くてなんと365日ぃぃ!」
先を歩いていたセシルは立ち止まり、体ごとくるっと振り返った。やたら笑顔がキラキラとしていて、セシルは男にはない可愛さを振りまいていた。
そう。長年の付き合いであるカイゼルは知っているが、こいつが魅了してきたのは一部趣味の女子だけではない。女子にも埋もれそうな身長の低さと華奢な体つきは見る者に抱きしめ抱きつぶすほど可愛がってやりたいという邪な欲望を呼びさまし、肩に付くか付かないかの長さの銀髪はさらさらとしていて、つい手を触れてわしゃわしゃと掻きなでたくなる邪心をかき立てる代物。色白の整ったお顔についた眉は凛々しく淡い水色の瞳は涼しい切れ長なのに、鼻が少々低く幼い丸顔なのはもうショタの愛玩動物以外の何物でもない。
カイゼルは騎士や傭兵の中に、この容貌に普通を普通でなくした
「もう待ちきれねえ!さっさと武闘会終わって来月来ないかな~♪」
「さっさと、ってお前毎年楽しみにしてたんじゃ…」
武闘会とは年に1回、セシル達の住む王政国家のリトミナが周辺国(正しく言えば属国)のやつらも集めて3日間連続して王都で催される、一種のまあ毎年恒例のイベントのようなもので、今年は後3週間後に迫っている。それなりの順位をとれば賞金やら褒美やら、何と言っても名誉が得られる。
セシルは名誉というより金が欲しくて出場権が得られる13の年までは観客席で指をくわえて(実際には売り子さんから買った箸巻を咥えていたが)入賞者をうらやましそうに眺めていた。そして、出場権が得られるなり若輩ながら下位入賞を果たしていた。去年まではそれはもう毎年楽しみにしていた恒例のイベントだったはずなのに。
「武闘会なんてどーでもいいんだよ!金貰ったって結局サアラに厳重管理されて酒飲めないのは目に見えてるし!任務で遠くへ行った方が公費で好き放題飲めるもんな!」
そう言ってぐっと親指をつきだして見せるセシル。セシルの中で「どうでもいい」に降格した武闘会が何だか哀れだ。というよりも聞き捨てならないのは、サアラの緊縮財政対抗策としてもはや公費を財布代わりに頼りだしていることだ。サアラ、頼むからセシルに優しくなってくれ。そうしないと国庫が酒で空になる。
「にしても、この串焼き今日は焼き加減サイコーだな」
「ん?」
その言葉にふと、さっき屋台で買ってセシルに持たせていた串焼きの包みに目が行く。セシルが先を歩いていたのでわからなかったが、カイゼルはまだ一本目を食べきったところなのに、かなりかさが減っている。
「おいそれ、後2.3本だろ。俺の分残せよ」
「あ、わりい」
セシルは完全に浮かれていたので計算を忘れていた。へらへら笑ってごまかしながら包みを渡す。
「あ、じゃねえ。……あーホントに2本だよ。半分こしようとして20本も買ったのに。せめて5本は残せよ…」
受け取りながら、のぞいたカイゼルははあとため息をつく。しかしセシルは悪びれない。
「まあ、オレの快気祝いだということで」
「誰が病気だったんだよ、おい」
「サアラ恐怖症でということで~♪」
じゃあ今度は何を買おうかなと見回す風で逃げ道を確認したセシルの襟の後ろを、カイゼルはがしっとつかむ。
「おい、何気に逃げようとするな、ちゃんと埋め合わせしろ」
「えー、あたし今月ピンチなのー」
組んだ手を顎にやって小首を傾げ、うるうるとカイゼルを見つめるセシル。どこぞの女子だ。
「王族のお坊ちゃんのくせに何言ってんだごらあ」
カイゼルのげんこつが降りた瞬間、すかさず飛びのきアッカンベーと舌を出すセシル。いい根性だ。人ごみの中を誰にもぶつからずに華麗に走り抜け、そのまま路地裏の隙間に逃げ込んだセシルを、図体の大きいカイゼルが追いかけるのは効率が悪いし負けるのは目に見えているので。
「へへへ~、すばしこさではあいつに負けたことねえから♪」
セシルは路地裏を走りつつ、後ろをカイゼルがついてきていないことを確認した。が、
「いでっ!」
後ろを向いて走っていたから当たり前だが、何かに激突した。壁にしては柔らかい。ここの路地はしばらくは直線のはずだし、さっきまで前方に障害物なんかなかったはず…、と不思議に思って顔を上げたら、
「セシルちゃん、まってました~」
「げ、カイゼル!」
目の前にはぺきぽきと拳を鳴らし、仁王立ちするカイゼル。ちゃんと回り道対策もしたはずなのに。セシルは冷や汗をかく。ふと上を見れば、建物の2階の窓があいている。空き巣まがいのことをしたってわけか。
「お前の逃げるルートなんてお見通しなんだよ♪」
俺を出し抜くには回り道以外の対策も大事なんだぜ、セシル。まだまだ俺よりも下ってことだ。
最後の一本の串焼きをあむと噛んで串を投げ捨てると、カイゼルはさあ始めようぜと両手をつきだしてにやにやと近づいて来た。
「あ、ボインなお姉さんが」
カイゼルの肩越しを指差す。
「その手には乗らねえぞ!」
カイゼルは回れ右をしたセシルの腕をすかさずつかみ、引き寄せた。セシルがそれを払おうとするが早いか、カイゼルはその鳩尾に軽く拳を入れる。が、
「おわっ」
セシルは攻撃にひるまず、すかさず膝で急所を蹴り上げようとしたので、カイゼルは後ろに飛びのいた。しかし、
「おごはあっ…!!」
次の瞬間には、地面を蹴って懐に飛び込んできたセシルは、強烈なパンチをお返しといわんばかりにカイゼルの腹に見舞った。
早い。吹き飛ばされ背中を地面にたたきつけられるカイゼル。
「そんなやわいパンチでオレがくたばるとでも?」
手加減したのが仇だったなと、咳込むカイゼルを腰に手を当てて見下すセシル。しかし、カイゼルはふらつき立ち上がりながらも、不敵に笑った。
「なんだよ、その余裕は。虚勢か?」
馬鹿にしたように、にやりと笑うセシル。それを、同じ笑みで返すカイゼル。
そのままの表情で懐に手を入れたので、セシルは何か切り札の武器でも持っているのかと身構えた。
「これ、な~んだ?」
カイゼルは自分の懐から、財布を取り出して見せた。セシルにとって最も見覚えのあるそれは
「オレの財布!」
「はは、元浮浪児なめんじゃねえぞ」
手加減した拳は、財布を掏るためだったらしい。
カイゼルは尻をはらいながら、ほれほれ~と財布をセシルの前で揺らす。すかさず取ろうとしたところで、カイゼルが手を上に伸ばした。身長の低いセシルには届かない。
「かえせー」
ガキ大将におもちゃをとられた子供よろしく、財布に手を伸ばしてジャンプをするセシル。ただ、高さに任せてひらひらさせているだけでは、跳躍力の高いセシルには効き目がないので、カイゼルは軌道に注意しながら華麗にセシルの手をかわしていく。
「こんの、くっそやろおが」
セシルが蹴りを繰り出したが、いともあっさりとかわされる。
「どっちがクソ野郎だ。俺の串焼き返せ!」
財布をつかんだ手を拳にしてセシルの頬に振るうが、鼻先をかすめただけだった。3年ぐらい前まで直撃してたのに、こいつもなかなかやるようになったな。
「おおっと落しちゃった…!」
殴ろうとした反動か、カイゼルの手をすり抜けて宙に浮いた財布。
「おりゃ…」
セシルは地面を蹴り、手を伸ばす。しかし、
「なーんてな」
「うああ!」
わざとだったらしく、セシルの手が届く前に財布はつかまれ視界から消える。セシルは勢いを殺しきれず、地面に顔面から突っ込みダイブした。
「…くそっ!」
鼻血と泥を袖でぬぐいながら立ち上がれば、路地を走っていくカイゼルの背。その先を抜ければ先程の屋台街よりもちょっとお高い料理の屋台が立ち並ぶ…
―マズイ
カイゼルの考えが読めたセシルはあわてて追いかけるが、焦ってしまったせいで不覚にも路地に立てかけて合った木材につまづき転んでしまった。激しい音を立てて、セシルの上に倒れる木材。この手のセオリーに引っかかるなんて、なんて不覚な!
ていうか、ヤバい、間に合わない。
「おっちゃーん、肉まんじゅう10個、後卵スープ2杯、よろしく!ちなみに先払い!」
バンとカウンターに手をつき、じゃらっと財布の中身を全部出すカイゼル。
「まいど」
「まて、その注文…」
そこへやっとのことで追いついたセシル。手を伸ばし、自分の小遣いを取り戻そうと
「おわっ!」
「はい残念」
したおチビのセシルは、あっさりカイゼルの小脇に抱えられてしまった。
「ちょっとおっちゃん、その注文…」
取り消しで、と言いかけた口はすかさずふさがれる。
「でお願いします」
「あいよ」
「~~~~~っ!」
もがきつつもどうすることもできず涙目で見るセシルを前に、何事もなかったかのように小銭を回収する店のオヤジ。セシルはその口元がわずかににやりと笑ったのを見逃さなかった。
「ブルータス、お前もかあ~!!」
日頃ケチって春巻きばかり買っているの根に持ってるな、このクソ
「…往生際の悪い奴だな。ってか、おっちゃんの名前ってブルータスだっけ」
「私の名前、ケインだから、よく覚えときな坊ちゃん。」
懐がしっかり温まった店主が親指を立てて見せるのに、セシルは消えた小遣いのために涙をこぼしたのだった。
**********
「オレの小遣いすっからかん。最悪」
屋台街の中の、食事用に椅子とテーブルが用意された一角。お昼の時間を過ぎたそこは閑散としていて、空っぽになった財布の中を今だに涙目で見つめているセシル達だけがいた。
「半分こしようと買ってやった串焼き、食いすぎたお前が悪い。」
そう言いながらカイゼルは大皿に積まれた肉まんをささっと5個ずつ小皿に取り分けた。傍目から見れば『何て気の利く人なんだろう』と感心される光景だろうが、こいつが今半分こしてるのはオレのふんだくられた小遣いのなれの果て。クソ野郎が何紳士ぶって半分こしてやがんだ。
「おまえな~、ここの肉まんの単価、さっきの串焼きの6倍じゃねえか。しかも10個。せめて一番安い春巻き10個にしろよ…」
あそこの店は、たかが肉まんごときに無駄にいい肉使ってるから高い。カイゼルは給料日になると必ずこれを買いにいくほど好きだと知っていたので、財布を奪われた時確実に奴はやる思っていたから、何としても阻止したかったこの事態。セシルは肉まんをはむはむしながら味の感動とは別の意味で泣きたいと思っていた。味はうまいけど。
「別にいいじゃん、金持ちが。それにしても、リートン家のお坊ちゃんにしちゃあ、財布の中身しけてるな~」
「余計なお世話だ。……サアラは小遣制にしないと俺が酒に無駄遣いするからって、1週間分の飯代しか持たせてくれねえ。兄上に言っても、体に良いからいいじゃないかって相手にしてくれない…それどころか、これからも愚弟の管理を頼むって頭下げてんだぜ」
「でも、もう今日で今週の仕事終わりだろ。来週もらえばいいじゃねーか、ケチ野郎」
カイゼルのうらやましげな目線に、セシルはいらっとする。こいつは1週間分もらって最終日にあれだけ残ってたなら、むしろだいぶもらっているんだと勘違いしている。それは大きな間違いだ、サアラがそんなに甘いわけない、と声を大にして叫びたいが、いかんせん公共の場にいるのでできない。
「週末とか関係ねえよ。出勤日の7日間おきにもらえる、つまり、仕事に出る日のみを計算した1週間分だよ!当然だが休日に要る分の考慮は一切なし!しかも今日もらったばかりいぃぃぃ!」
今度外出するときは、サアラにひれ伏するしか飯代にありつけない。いや、それでもくれるわけがない…しかし、わずかな可能性に掛けなければ干からびることに……ああ頭が痛い。
サアラとセシルの事情を知っているカイゼルは、同情するどころか、サアラに土下座するセシルを想像しながらにやにや笑う。
「いいじゃん寄付したと思えば、お金持ちは貧乏人に施しをするもんだぜ」
「どこが貧乏人だよお前。」
セシルは肉まんをあむっとかんで、カイゼルをじとーっとみた。
「ケチケチすんなよ。元貧乏人に施したってことで、許して♡」
ウインクしてくるな。釈然としないながらも金が無くなって言い返す精根に尽きてしまったセシルは、だいぶ小さくなった肉まんをおとなしく一口に口に押し込むと咀嚼して飲み込んだ。まあ元々串焼き食いすぎた自分が悪いからなあ、とため息をつく。
「……もういい、肉まんは」
今度隙を見てカイゼルの財布を奪えば埋め合わせはできる。そうだ、今度酔いつぶしてその時に全額とってやろう。反省したようで物騒なことを考えているセシルに気づかず、カイゼルはほっとした様子でそうかそうかと上機嫌だった。今度財布の中身を見て絶望に突き落とされるのはお前だからな、とセシルは内心雪辱を誓う。
カイゼルはふふんと言いながら、2個目の肉まんにかじりついた。セシルもむくれながら2個目の肉まんをカプリと噛んだ。しばらく続く咀嚼だけの音が続く空間。
カイゼルが物足りなさに何か話題を探せば、そういえばと、さっきセシルに言おうとしていたことを思い出す。さっきは串焼きのせいで頭から吹っ飛んでたけど。
「そういやさあ、今度の任務だけど」
カイゼルはかぶりかけの肉まんを手に持ったままぽそりとつぶやいたが、セシルはさりげなく無視することにした。一昨日もオールナイトで愚痴を聞かされたんだ、今日ぐらいは聞きたくない。セシルはスープの器を両手で持ってごくりと一口飲む。
「お前はいいのかよあの任務!そりゃあサアラはいないけど、リザントなんてあんな僻地に派遣されるなんて期間限定しただけましな左遷じゃねえか」
「向うはどんな旨いもんあるかな~♪」
カイゼルは半ば叫ぶように言ったが、セシルは完全にスルーを決め込んだ。
リザントとはセシル達の住む国でも北の境界線ぎりぎりにある山岳地帯の地域で、酪農や木の細工物が有名だ。山ばっかりなので面積だけは大きくて、居住できる面積は小さいのに、人口密度はなんと約1.8人/キロメートルである。
今日、二人は団長に呼びだされて、そこの地方自治機関に潜入して町の様子とともに自治体制の内部の監視をするように命じられた。「熱々なチーズをパンにのせてふうふう言いながらたべたいなあ」とつぶやくセシルをカイゼルはじろりと睨むが、セシルは知らないふりを決め込む。
「お前な、いい加減にしろ」
カイゼルはセシルの前髪をがしっと引っ掴んだ。
「あでっ、何すんだこぼれる!」
セシルはあわててカイゼルの手を払うと、スープの器を抱いでカイゼルを睨む。
「なんで第一騎士団の俺たちが、そんな誰でもできる任務を一年もしなきゃいけねえんだ」
「お前なあ…潜入調査なんて誰でもできるもんじゃねえぞ…」
「だけど、あんなド田舎でとかありえない!って言うか、何も怪しい動きなんて起こってるわけがねえ!潜入するだけ損だろ」
確かに何年か前に兄上と
『だけど、そういう先入観が想定外というものを引き起こすのだよ、カイゼルくん』
と、セシルは心の中で突っ込んでおく。実際に言うのは恥ずかしいので。
「リザントにも流行りの麻薬が入り込んでないとは限らないだろ?」
「お前なあ、あれ流行ってるの都会ばっかじゃん。いくら流行ってるってったって、あんな田舎でも流行るのかよ」
リトミナでは、1年ほど前から麻薬中毒者が起こす事件が、都会を中心に増加している。最初の内は中毒者が街中で住民といざこざを起こしたりする程度だったが、そのうち殺人事件や通り魔のように悪質なものが白昼堂々と起こるようになり、最近では地方の政府関連の施設に忍び込み殺傷沙汰を起こそうとするにまでなっていたらしい。
らしいというのは、民間に出回っていた情報は麻薬中毒者の増加問題と市井での殺人事件までだからである。政府関連施設を狙った麻薬中毒者の暴挙は今のところ未遂らしいが、これ以上民間人に混乱を巻き起こさないためにも、その事実を隠ぺいしているらしい。
ただ、同じようなことは近隣の国でも起こっていて、先月ついに南方の国サーベルンでは、王宮に仕えている侍女が王前会議の場に乱入し、貴族や諸侯の者、止めにかかった兵士たちを次々に殺傷したという事件が発生した。説得にも応じなかった彼女は諸侯の者たちによって殺されたが、彼女の周辺からは麻薬を使った形跡が見つかり、不安が現実のものとなった。
何故麻薬中毒者が、王宮や政府関連の施設を狙うのか。未遂の者を捕らえ、動機を吐かせようにも、まともな思考を手放した彼らからは意味不明な言葉が返ってくるだけ。正気を失っているこのような者が、自発的に政治機構を襲いに来るわけがない。
―誰かが裏で手を引いているのではないか。
各国が共通でたどりついていた答えは、『誰か首謀者がいて、麻薬を故意に流布して中毒者を増やし、彼らを操り自身の手駒としている』ということであった。何しろ精神干渉魔法をかけやすいのは、麻薬中毒者のような精神薄弱の者だからである。
また、現在もう一つ問題となっているのが、麻薬中毒者の突然死が急増していること。これに関しては、当初は麻薬の多用によって体に負荷がかかり死亡しているだけであると考えられていたが、余りにも数が多すぎる上、同時期同時間に中毒者が集中して死亡したりしているため、これもまた何か別の要因があるのではないかと考えられている。
「何事も転ばぬ先の杖ってのがいいんだよ。被害が広がる前に先に抑えないと。選り好みなんかしてる場合じゃねえっての」
あー冷める冷めると言いながら、セシルは急いでスープを一息に飲んだ。そんな呑気に見えるセシルにカイゼルはバンとテーブルをたたいて立ち上がった。その反動でガタンと勢いよく椅子が倒れる。おい、他に客がいないからいいけど迷惑だし、お前の食いかけの肉まん床に飛んでったぞ、ああ具が散らばったぞ後でちゃんと掃除しろよ。
「お前騎士の誇りはどうした」
「誇りも何も、仕事はえり好みすんなって。お前最近プライド高いぞ、オレもお前も元々ゴミあさってた浮浪児だってのに、仕事あるだけありがたく思え。そもそもお前なあ、それリザントのやつらに聞かせたら田舎もん差別だってキレられるぞ」
けふっとゲップをすると、ふーと息をついてスープの器を置いたセシル。その取り澄ました様子に、カイゼルはテーブル越しにセシルの喉笛に掴みかかった。
「……」
面倒くさい。セシルは冷めた心地でカイゼルを見上げる。
…はあ、お前ももう思い出したくもないだろうに。
「マンジュリカ」
「……っ!?」
その言葉に、カイゼルのセシルの襟を掴む力が抜けた。馬鹿力であわや足が浮く寸前だったセシルは、すとんと椅子に落ちる。
「今回の麻薬の件、オレはアイツが噛んでると思う」
襟を正すと、呆然と立ち尽くすカイゼルを尻目に、セシルは三個目の肉まんを手に取る。
「…そ、そんなわけないだろ!…アイツはあの時お前が……」
急に顔色を変え、カイゼルはわなわなと唇を震わせる。その突きつけられた事実を信じたくないと言うように。
「ああ殺したよ、8年前に…」
「だろ?だろ?…だったらアイツが関係してるわけねえじゃん」
起こした椅子に座りつつ、無理に自身を納得させるようにうんうんと頷いているカイゼル。しかし、前髪の陰からは浮いた冷や汗が、今にも流れ落ちそうになっていた。
「…そうだと思う。ただ…」
釈然としない顔で肉まんに目を落すセシル。
「団長たちが、オレ達には麻薬の件については深く関わらせないようにしてるのがいかにも不審だろ。…お前が今腹立ってるのだって、根本突き詰めれば、最近皆からのけ者にされてるように思ってるからだろ」
カイゼルはうっとつまる。結論から言うとセシルの言う事は図星だった。
サーベルン王宮での事件が起こった日から、リトミナ王宮の中は麻薬事件の話でもちきりとなり、一度にあわただしくなった。セシルもカイゼルもそれまで一切異変に気づいていなかった。その頃の彼らの悩みと言えば、もっぱら団員の中で2人だけ別の命令を命じられたり、自分たち以外の他の団員が呼びだされた会議に呼びだされなかったりと、何が原因かわからない疎外感を感じていたことだけだった。2人の周辺には巷の殺人事件や通り魔事件程度の情報しか入っておらず、野次馬根性で最近麻薬が流行ってんだなー、あんなの買うぐらいなら女買った方が楽しめるのになーとその前日に呑気にしゃべっていたぐらいだ。それほどセシル達の周辺の情報が統制されていたのである。
サーベルンの事件の後、セシルは「もしや」と思い忍び込んだ兄の部屋で、裏で起こっていた数々の事件関連書類を盗み見て驚いたほどだ。自分たちを気遣ってそうしてくれていたのだろうと、セシルはすぐに分かった。
ただ、事件が拡大し始めたら、団長も仲間の団員たちも最早隠れてこそこそと動ごいている場合ではない。すぐさま、セシル達は団長から麻薬事件の大まかな経過を知らされ(しかし、マンジュリカの関与が疑われていることは伏せたまま)、しかしだからといってセシル達には関わらせたくないのだろう、他の団員たちが様々なところへ派遣されるなかずっと放置され続けた。
そしてついに今日、適当な辞令――セシル達をあまり事件と関わりがなさそうな僻地に飛ばすようなことを言ったのだ。セシルたちをその女―マンジュリカから守るために。
そんなことも知らずにカイゼルは、一昨日も「あいつら俺らに冷たくなった、あいつら絶対俺たちのこといじめてる、団長も!いじめ反対パワハラ反対だあああ!絶対あさっての呼び出しもパワハラだあああ!!」とセシルを愚痴相手に捕まえ、飲み屋で酒に酔っていた。おかげでセシルは朝の5時に帰る羽目になって、サアラの冷たい目線にさらされた。
「それはきっと団長が、たまたま俺たちは麻薬に関しては深く関わらなくてもいいって思ってんだろ…」
まだあきらめないことをあきらめたくないのか。しかし、机の上に置かれた両拳がぐぐと握りこまれているのを見る限り、カイゼルは最早認めざるを得ない状況に追い込まれているのだろう。
「政治がらみのそんな重要な案件、他の団員が走り回ってるってのに、オレらだけ関わらせずにおくか普通」
そうセシルに言われたカイゼルは、何も反論ができずに頭を抱えた。「違う、あいつが生きているはずはない」と小さく何度も呻きながら、頭を抱えていた。
その様子を見て、セシルはため息をつく。団長もこうなることを見越してマンジュリカの名を言わなかったのかもしれない。そして今回飛ばされるのは、きっとオレらを今回の件から遠ざけ、半年から1年の間に一気に片をつけようとしているのだろう。
―まあ無理だろうと思うけれど
というのがセシルの本音だが。
「言っておくが、まだ確定事項じゃない…」
セシルはやれやれとため息をつくと、ぽんぽんとカイゼルの頭をなでた。半分涙目になっているカイゼルが、驚いたようにセシルを見上げる。
「だって、あいつが生きているかどうかが確定したわけじゃないからだ。たまたま、マンジュリカによく似た赤の他人がやってるか、なりすましてやってるアホがいただけだって可能性もある。ただ、団長の計らいで今回はこの案件に深く関われずにいれるだろう。…だから泣くな……残りの肉まんやるから泣き止め泣き虫」
セシルは空いた手で、肉まんをカイゼルの目の前に持っていってやる。
「誰が泣き虫だ!」
頭の上に置かれたセシルの手を振り払い、カイゼルは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「だって現に泣いてるじゃん」
「泣いてない!」
すかさず腕で顔拭ってもバレバレなんですけど。まあ、安心しろ。話を明るい方に持っていこうとしてるだけで、本当に馬鹿にしているわけじゃない。
「男はピーピー泣いたらいけないんですよ」
「誰がピーピー…」
「そーいや昔、背中にでっかい芋虫いれた時大泣きしてたじゃん。あの時お前12歳にもなってたのに…」
やだあみっともないと口に手を当てて、カイゼルを横目で見るセシル。ぷちりとカイゼルの脳内で糸が切れる音がした。
「それはお前のせいだろうがあああ!あれ中でつぶれて汁とか大変だったんだぞぉぉ…がはっ!」
セシルは肉まんをカイゼルの口に突っ込む。もうすっかり冷めてるから火傷もしないだろう。
「じゃあ、もう愚痴聴きたくないので先に帰りますね、とりあえず団長の気配りには感謝しとけ、じゃあな!」
「おいこらあああ!!…おわっ!」
カイゼルは、セシルを追いかけようとして思いっきりすっ転んだ。何事かと足元を見れば、青白い光でできた蔓草が足首を捕らえていた。あわてて剣を抜いて切ろうとするが、手が剣に届く前に、驚異のスピードで成長した蔓草がカイゼルにぐるぐると巻きついた。
「お前魔法とかひきょーだぞおオオ!」
「さっきは使ってあげなかったんだから感謝しな。オレの素晴らしきフェア精神に敬意を払って、肉まん落とした床掃除しとけよ。後食べ物は残さず食べてね~」
「じゃあね~」とアッカンベーをすると、セシルは1つ肉まんを手に、カイゼルを置いて駆け出す。
その背にカイゼルが「この野郎」と叫んだ時、セシルが急に立ち止まった。けげんに思ったカイゼルが見上げたのと同時に、セシルが振り返る。ふざけた表情を一切かき消した、どこか陰りのある表情だった。
「後…アメリーにも説明、よろしくな」
「……ああ…わかったよ」
カイゼルはふうと吐息を吐くと、視線をわずかにそらせた。
「じゃあな」
一拍のち、いつものいたずら坊主の顔に戻ったセシルは体を翻し、今度こそ駆けて行ってしまう。そこでカイゼルもはっと我に返る。
「…ってお前、これ解いてから帰れええ!!」
**********
カイゼルを放置プレイした後、セシルは家へ向かってとぼとぼと歩いていた。
喧噪の中を歩いているというのに、自分だけが灰色の別世界にいるような気分だった。
「はあ…」
カイゼルにはああ言ったけど。
「……」
自分の両掌をみる。確かにこの手で殺したはずなのに、そして忘れたはずなのに。いつも心のどこかで、あの女がまだ自分をつけ狙っているような恐怖を飼っていた。その恐怖が今や現実のものとなったわけだが、しかし確実に息の根を止めた人間が再び甦るなんてありえない。
「もしかして操屍術で誰かがマンジュリカの死体を操ってるなんて…いやあり得ないなあ、だって殺した後、死体も無くなったはずだし」
なら一体なんだっていうんだろう。双子の妹がいたとか?
「ふう…」
セシルは息をつき立ち止まる。考えすぎだと思う。
さっき自身が言ったとおり、実際にはマンジュリカは死んでいて、赤の他人のなりすましかもしれない。だけど、精神干渉魔法を使える人間はホイホイと転がっている訳ではない。だから、奴が生きている可能性を完全に打ち消す訳にはいかない訳で。
「はあ…」
考えすぎで頭が痛い。セシルはため息をつく。
「…お前さん、久しぶりだね」
「は…?」
しわがれた声にはっと顔をあげる。振りむけば服を販売している屋台が2つ並んでいるが、売り子も客も若い女性ばかりで、しわがれてそうな声を持つものは誰もいない。
「こっちじゃよ」
「へ…?」
よく見ればその屋台の間の、建物の間の路地裏を奥に行ったところに、小さな机を置いた占い処のようなものがある。そこに頭から黒いローブを着た、小ぢんまりとした体格の老婆がいる。
―こんな誰も気づかないようなとこでやってて、流行ってんのか?
せめて通りでしろよと思いながら、セシルが路地裏を覗き込んでみると、老婆はおいでおいでとごつごつと痩せた手で招いている。顔はローブの陰になっていて良くわからないが、久しぶりと呼ばれたんだから知り合いだろうか。ただこんなに年寄りの知り合いに覚えはないが。
路地裏へと足を踏み込むと、顔はシワシワで猿みたいだが、人の良さそうな目と合った。
あれ、オレこんな人知らないぞ。
「ばあちゃん、オレあんたとどっかで会ったっけ?」
こりゃうまいことひっかけられたな。してやられた感がつい顔に出てしまったセシルを、老婆はこれまた心外というような顔で見返した。
「覚えとらんのはお前さんの方だよ。…まあ無理もない、最後にまともに会話ができたのはだいぶ昔のことだからねぇ」
「え、昔っていつぐらい?」
「はるか昔過ぎて、わしも覚え取らん」
「はあ?はるか昔って…」
オレ16年しか生きていないから、この90も100も生きてそうな老婆が言う遥か昔には生きていないと思うのだが。このババア誰かと勘違いしてる…というか、ぼけてるんじゃ。
「まあ、覚えておる方が問題なんじゃが。とにかく、お前さん、手を出してくれんかの?」
「は?」
セシルは全く話についていけず、首をかしげる。しかし、老婆は構わず、にこにこと続ける。
「ちょっと視てやりたいと思ってな…」
手相占いでもするのだろうか。セシルは占いなどという胡散臭いことにお金を払う気にはなれず、しかしあまりにも老婆がにこにこと笑っているので断るのも悪い気がした。だから、高額な値段を吹っかけられたらその時は逃げようと思いつつ、おずおずと手を出す…
―ソイツニチカヅクナ
「…っ!!」
セシルはびくっとして手を引いた。誰の声だ?セシルはあたりをきょろきょろと見回すが、老婆以外誰もいない。
「……」
しかし、老婆は急に口を閉ざし、セシルを見る目つきが鋭くなった。厳密に言うと、セシルの肩越しに何かを睨みつけていた。
セシルは不気味に思い、引いた。「すまんがいま手持ちがないんで」と適当にあしらって帰ろうと背を向けた時、不意に老婆がセシルの肩をつかんだ。
「○○、○○。○○○○○」
「……!」
聞いたことのない言語で呼びかけられた。その直後、ぞくりと体が震える。何か胸の奥にあるものをつかまれたような気がしたのだ。振り向けば自分を―厳密に言えば、自分の肩越しをまっすぐに見る老婆。皺の隙間から鋭い眼光が光っている。
「…な、何だよ一体?」
やっとのことで言葉を紡ぐが、何かが心の奥底で縛り付けられ、のたうちまわったかのような心地がした。そして、急に心が軽くなった気がした。
「これで、しばらくは大丈夫じゃろう。気休めじゃがな…」
セシルから手を離すと老婆は、仕事は終わったとでもいうかのように、ふうと息をつき額の汗をぬぐう。
「はあ?…さっきから訳の分からんことばっかり、オレ忙しいから帰ります」
老婆の言ってることは先程からさっぱり訳がわからない上に、これ以上ここにいたら、訳の分からない一連の行動の対価としてお金を支払わされる可能性がある。セシルは「今度こそ帰る!」と決め込んで、老婆を背にどすどすと歩き出す。
「…お前さんの人生にはこれからも色々とあるじゃろうが、めげずに頑張るんじゃぞ。決して暗い感情に身を委ねてはならん」
―なんだよあのババア、本気で頭おかしいんじゃ。
しかし、セシルは、はっと思いつく。もしかしたら、この老婆は麻薬中毒者で、麻薬のせいでぼけたことを言っているのかもしれない。
―なら、保護しないといけない
セシルは振り返った。しかし、
「え…」
跡形もなく、そこには誰もいなかった。
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