1-②:オレ≠ポチ
「……!」
強烈な虚無感に襲いかかられた気がして、ゾワリと身震いをした瞬間目が覚めた。掛布団を掻き抱くようにして体を起こす。
「……」
その感情を与えた、顔も見たくなかった誰かがいるような気がして思わず辺りを見渡すが、誰もいない。あたたかな朝日がカーテンの開けられたベランダから入ってきていて、部屋はほっこりと温まっているはずなのに自分の周囲だけが温度が低いままな気がする。
「……またか」
呼吸を整えながら頭をがしがしと掻く。
ガキの頃から何度かこんな現象を経験している。いい加減慣れろよ自分、とため息交じりにつぶやくのは何度目だろうか。おそらく何か怖い夢を見ているはずなのだが、明晰な夢を見ていた後のように目覚めた後には何も覚えておらず、毎回得体のしれない怖さだけが残る。うんうんうなされている訳ではないが、わかる人にはあの夢を見ているというのがわかるらしい。その分かる相手と言えば、とうに死んだ親かあいつぐらい…。
コンコン
部屋がノックされる。うわさをすれば、とはこのことだろう。もう誰が何を言いに来たのかほとんど予測できたので返事をしないでおくと、勝手にドアが開いた。この礼儀知らずめ。
「おはようございます、セシル様。お元気ですね、いい年してまだ夢にうなされる幼子やってるんですね」
「サアラ…主人が夢にうなされていることがわかってんなら、起こすなりちょっとぐらい心配しろよ…」
1年前から自分についてくれている侍女に、オレは今まで四千回はゆうに超えているだろうため息をつき、心底恨みがましげな目を向けた。きっと、オレが目覚める前、カーテンを先に開けに来た時に気づいたのだろう。
「毎回毎回同じ夢にうなされているのがわかっておりますから、今更心配なんていたしませんよ。別にうなされてるからって死ぬわけでもありませんし」
サアラは言いながら、オレの寝ているシーツに手をかけた。
「ぎゃあっ!」
今しがた起きたばかりの
ベット下に転落し、お前何すんだ!と涙目で頭を抱えるオレには目もくれず、サアラは枕のカバーをはがしながら淡々と続ける。
「そもそも、何度も同じ夢見ているならば、夢だってわかっているんですからうなされたりしなければいいんですよ。見ているあなたもいい加減飽きてこないのですか」
「飽きるも何も、覚えてないからどうしようもねえだろ」
涙を腕で乱暴にぬぐい、立ち上がり尻を払う。
「へんちくりんな武器のことばかり考えてるから、ただでさえ整理できてないあなたの脳内情報が混乱して、そんな夢見るんですよ。要するにバカなおつむが、余計にあほになってるってことです。頭手術してもらえばいいのに。」
「へんちくりんってなんだよ、あほっていったな!オレはこの国のために立派なお仕事をしてんだぞ!この間だって、オレが設計した……っがはっ!?」
言い終わらないうちに、オレの顔面にカバーが外された枕がクーリンヒットする。たまらず後ろにぶっ倒れたオレに、サアラは次は先程はがしたシーツを投げ、いくらか抑えた声で言う。
「存じておりますが、それ国家の極秘中の極秘情報なので大声で話さないでくださいます?そのこと、部外者に知れたら、大変なことになります。ご自覚くださいませ。」
枕の直撃した鼻を押さえながらかぶさっていたシーツから顔を出したオレは、じとっと恨みがましげにサアラを睨んだ。ただでさえ低いのに、鼻がへっこんだらどうするつもりだ。しかし、サアラは素知らぬ風で、掛け蒲団のカバーを外している。
「………なあ、サアラ。分ってるだろうけど、オレ一応お前の主人なんだからな…」
「なら、それに見合う品性でも身に付けたらどうです?先週はモグラ退治なんかに力を注がれて、泥だらけになって庭中掘り返していましたよね?おかげでモグラにやられた以上の被害が芝生に広がったんですよ。後始末することになる庭師さんの苦労を考えてくださいませ。後、暇あらばラウル様にいたずらして、一体年幾つですか。そのくせ、ちょっと監視を緩めればいっぱしに朝帰りして……本当にリートン家のお坊ちゃんなんですよね?」
「……」
何も言い返せずにいると、ポイと目の前に自分の服一式が放り出される。床の上に。念のために言っておくが、オレが主人でサアラが従者である。断じてオレは犬ではない。
「ほら、さっさと着替えて顔洗ってください。もうすぐ朝食の時間ですよ」
**********
「なあ~、兄うえぇぇ。お願いだからあのバカやめさせてえぇ!!」
「セシル、わかった今日は話聞いてやるから!…頼む重いから離してくれ…」
今のセシルの状況。「朝食後、話があるから時間とって♡」と小首を傾げて事前アポをとっておいたのに、食事がすむなりそそくさと自分の部屋へ戻ろうとするマナー違反もいいところな兄を、「待って」と呼べばダッシュで逃げ始めたので捕まえて泣きすがった。だが、振り払われて逃げられそうになったので、今度は足首をつかんで引き倒したという状況である。
倒れたまま、兄はしばらくセシルを腰に付けて匍匐前進して逃げようとしていたが、ついに観念した。
「わかってくれればいいんだよ!兄うえっ!」
セシルは、がばあっと兄に抱きついた。
無理やりわからせたくせに、キラキラ目を輝かせるな。これから延々と愚痴を聞かされるこちらの身にもなれ。後、周囲の侍女達のあきれた目線のことも考えろ。と、内心思ってから、兄ラウルはさらさらした銀色の髪の毛を掻きため息をつく。
「はいはい、大声で廊下で騒ぐな。部屋開けるからさっさと私の上からどきなさい。」
「はーい」
案外素直に自分の上からどいたので、ラウルはこの隙に後数メートル先にまで近づいていた自分の部屋に逃げ入り、鍵をかけてしまおうと考えたがやめた。セシルの方がすばしっこいから、あっさりつかまってしまうに違いない。
「はあ~~」
ため息をつきながら立ち上がれば、早く早くと腕に抱きついて部屋の方へ引っ張ろうとするセシル。ラウルは、こいつ今年で16になったはずだよなと湧いた疑問を打ち消せない。
額に手をやりながら横目で見るが、顔も言動もどう見ても年齢よりもはるかに子供っぽい。彼を知らない人に見せたら、確実に12歳程度の少年と思われるだろう。顔は変えようもないので致し方ないにしても、言動はもう少し落ち着いてほしいのだが。女ならばとっくに嫁に行ける年頃だし。…とは言っても本人の事情が事情だけに、女であっても真面な貰い手はないだろう。それに、女じゃなくて良かったこともある。
「兄上?」
暗い考えに思いが及びかけていたが、セシルの不思議そうな顔に見上げられ我に返る。
意外に聡い所もあるこやつに悟られないよう、ラウルはドアを開けながら「憂鬱だ」と弟の愚痴を聞くのが嫌な風を取り繕っておいた。
「ほら、入れ。」
「ひゃはーい、兄上の布団だ~!」
入るなり駆け出し、ばふっとベッドに飛び乗るセシル。
「相変わらず女の匂いは一切しねえ」
「……」
いつもの通り、取り澄ましてドアを閉める兄にセシルはにやっと笑う。
「これが、最新記録更新ちゅう!22年間童貞ベッドの匂いか」
悪かったな。というか「ちゅう」のアゲアゲ気味の発音がムカつく。
ラウルは拳を握り、顔を真っ赤にしつつも、じっとこらえた。
「…で、話があるんじゃなかったのか、セシル」
人の布団の中に潜ってきゃあきゃあ言い始めていたセシルに、努めて冷静にテーブルの椅子を引きながら話しかけれてやれば、セシルは「あっ忘れてた」と飛び起きた。
お前、一体何しに来たんだよ、と心の中だけで突っ込んでおく。後、今気づいたんだが、靴履いたままベッドに上ってたんだよな、セシル。
「あのなーあのなー、だからとにかくサアラがひっどいんだよ~」
ラウルが自分が座るために引いた椅子に勝手に座り、セシルは矢継ぎ早に言い始めたので、ラウルは引きつりながらも笑顔で制止する。
「セシル?私の布団が床に落ちてるんだけど」
セシルは飛び起きて走ってきたので、床には跳ねのけられて土足で踏まれた哀れな掛布団が落ちている。しかし、セシルはああと一瞥しただけ。
「後で戻しとくから、気にしないで」
「お前が気にならなくても私が気になるから戻しなさい今すぐ」
「はあ~い」
ひきつった笑顔で、息継ぎなしでたしなめるように強い調子でいえば、セシルはだるそうに返事して立ち上がり布団を拾い整え始めた。
足形がつている掛布団とシーツを見ながら、後で侍女にシーツから全部取り替えてもらおうと思う。
「はあ、落ち着きのない……」
頭に手をやり、弟の行く先を案じる。これじゃ、サアラも蹴りの一つや二つ入れたくなるのも当然かもしれない。
「で、話って?」
ようやく落ち着いて椅子に座れたラウルは、待ってましたとテーブルに身を乗り出してくるセシルに若干引いた。こうなったら話は長いから嫌なのだと思い、ラウルは小さくため息をつく。
「だから、サアラが」
「『サアラが侍女でありながら、主人に殴る蹴る引きずり倒す等の暴力を振るう、若しくは悪口・暴言を吐くからどうにかしてほしい。もう毎日たくさんだ。もう辞めさせてくれ』ということだな?」
「うん、そうそう!」
話が長くなるのが嫌なので、先に相手が言わんとするところを可能な限り全部要約しておく。今日はこれで10分ぐらいは短くなったというところだろう。セシルの語るに全部任せておけば、主観が入りまくり脱線しまくり話の要旨がわからなくなる。それどころか明日の夕飯のメニューにまで脱線していくからたちが悪い。
「あれでも昔は、グレタさんの後ろで『はい、セシル様ッ』て可愛かったのにい。」
なんであそこまで性格悪くなっちまったんだろうと、セシルはへなへな~とテーブルに突っ伏し頭を抱えてうめいている。
グレタとは、サアラの母でセシルが幼い頃からついていた侍女だった。1年前に病気でセシルの侍女を辞め、後を娘にまかせていたが、半年前に亡くなっている。
「確かに、そうだったよなあ」
と、セシルにもっともらしく相槌を打ちながらも、ラウルは原因をよく知っている。親子で屋敷に住みこんでいた彼女は、幼い頃からよく母親に引っ付いてお手伝いをしていた。そして、8年前、齢の近いセシルが屋敷に来てからは、いつもその遊び相手となっていた。
「急に、1年ぐらい前から少しずつ冷たくなったんだよなあ~」
やっぱりあのことが原因なのかなあと、うなだれて言うセシル。
最初の内こそ何ともなかったが、そのうち目をそらされるようになり、次には口をきいてくれないぐらいだったが、次第に睨まれることが多くなり、グレタが亡くなってからはだんだんと悪態をつき仕舞には罵倒、ここ2ヵ月は暴力を使用し始めた。
悪態や罵倒までは母親が亡くなったこととかに加えて色々ストレスもあるのだろうと思い我慢していたが、暴力は我慢ならない。確かに幻滅されるのは自分に非があるとわかってはいるが、友達ならきっと今まで通り接してくれると信用していたところもあったのだが。
いや、原因は確かにお前だが、少し違うぞ。
ラウルは内心でセシルに突っ込む。
ラウルは知っている。彼女はいつもセシルに熱い視線を送っていた。つまり、恋をしていたということぐらい。
その恋心が破れたのが1年前。倒れたグレタが娘にセシルを託すため、セシルを交えてあのことを語ったからだ。
「う~ん、私や他の人に対しては特に問題な発言や態度はないし、やっぱりあれがショックだったとしか…」
「だよなぁ…確かに驚くだろうけどさ…でもそこまでするかなあ」
本当の訳を今更セシルに言っても、理由が理由なのでセシルも戸惑うだけ。だから、サアラも言えないのだ。さしあたり、当たり障りのない答えだけ返しておこうと思う。
「本当に心からお前は辞めてほしいのか?サアラに」
その問いに、セシルは顔を上げ振るふるとかぶりをふる。真剣さが垣間見える目をテーブルに置かれた花瓶の花に遣りながら、続ける。
「口先で言ってるだけだよ……グレタさんには世話になったし、アイツもホントはいい奴なのわかってるからそんなことしないけどさ……何とか元に戻んないのかなあ、性格」
「そうだよな」
セシルはやっぱりなんだかんだ言って、サアラに対する思いやりは忘れてはいない。サアラの言動の理由も理解はできるがかなりやりすぎであり、いつセシルが堪忍袋の緒を切って辞めさせると言いださないかハラハラしていたラウルは、とりあえずほっとした。まあ、この子がそこまで小さい器を持っていないとは知っているが。
「どうしたらいーんだろ…今日なんて布団から引きずり落とされて、あほって言われて、枕顔面にぶつけられて…後服なんか投げてよこすんだぜ?昨日はノックもなしに部屋入ってこられて、ちょうどドアの前にいたからふっとばされたんだけど…ドアを開けるだけなのにあの勢い、オレがドアの前にいるのを知っていてワザとだと見るね。……一昨日は、徹夜して新しい武器用に魔法の術式考えてたら、『早く寝てください、あほ頭に付きあわせられているランプ様の身にもなってください』って持ってきたコップの水、頭から掛けられたんだぞ。さすがのオレもだまされたぜ。夜中に急に来るから、さすがのこいつもオレの身体を心配して『セシル様、一息ついて下さいませ♡』って気を利かせてお水を持ってきてくれたのかな~って期待したのに。ってか、何だよランプ様って、オレはランプ以下かよ。それとそれとな…あ、そうだ、その時できた術式、後で紙に書いたの渡すから今度城に行くとき副魔術師長に渡しといてくれる?……ぇ?お前が頼まれたんだから、自分で直接渡せって?……兄上の方がよく会うでしょ、別にいーじゃん?……それが仕事の常識?…はいはい、わーかったよ、めんどくせえ……あのおばはん、何か気持ち悪いんだよなあ、メイも気持ち悪いけどなんて言うの?気持ち悪さの種族違いって言うの?普通のおばはんに見えるんだけど、なんか得体の知れない感じがして近寄りがたいっていうか。危険度で言えば、メイよりこっちの方が上だね……あじゃなった、サアラの話だけど…」
うん、いよいよ長くなってきたな。
ラウルは適度に聞き流しているのをごまかすために、にこやかに適宜返事と相槌を打っているだけ。それだけでセシルは勝手にひとりでにしゃべってくれる。もともとこういう時は人に意見を求めているのではなく、ただ愚痴を言いたいだけなのだと、ラウルは長年の経験から知っている。
「……オレが悪いのはやっぱりだけど、それでも仕事なんだから形式的でも主従としての関係は守ってもらわないといけないよな…だってもしもあんなところ外部の奴に知られたら、あいつの評判がガタ下がりになっちゃう…直接言っても無駄だろうから一回他の侍女たちに止めてくれるよう言ったんだけど、奴らなんでか『セシル様が鈍感なのがいけない』とか訳のわからんこと言ってサアラの肩持ってるし…まあ、ここじゃあいいけど、外に知れたらどう思われるかわからないからヤバいなあ…もしサアラが給料アップしたいとか思ってさ、「お城で働きたい」とかなった時にオレは嘘でも絶賛評価の推薦状書いてやるけどさ、もし先に噂にでもなってりゃあ採用されないじゃん。それに、いい嫁の貰い手も見つからなくなるぞ、あれ……ああ、オレも遠慮してきつく言わなかったから、サアラもあんなになっちゃったのかな…。ここはびしっと、サアラお前今度したら、やめさせてやるぞって言った方がいいのかな。いや、ガツンと、今日で暇出してやるって言った方が、『セシル様、今までのこと許してくださいませ~』て泣きぬれて追いすがって反省…」
「どこの誰がどいつに泣きぬれて追いすがるのでしょうか」
目を潤ませ、ラウルに手を伸ばしてサアラが泣きぬれて追いすがる風を真似していたセシルは、その声にワンテンポ遅れて恐る恐る振り向いた。目と鼻の先にサアラの顔。
「ひいい…!」
なあセシル。お前が話してる最中目配せして知らせていたのだが、話すのと演技に夢中で気づかなかったようだな。ラウルは頬杖をついてあさっての方を向く。
「お、お前…ノックぐらいしろ…」
先ほど言っていた通り、何とかガツンと言おうとしているのだろうとセシルの声音から推察するが、いかんせん舌が恐怖でもつれているので頼りない。だから、サアラにあっという間に畳みかけられてしまう。
「ノックならちゃんといたしました。お話に夢中になっておられたようで返事はありませんでしたが、中の様子をうかがってから入りました。くだらないお話だったようで、別に遠慮するまでもないと判断いたしましたので」
そして、セシルの耳をつかむサアラ。至極当たり前な手つきに、だいぶ手慣れているのだろうなとラウルは思う。
「今日は11時から団長様にカイゼル様と一緒に会う約束があると言っていたのに、何を呑気にしておられるのですか。さっさと用意する!それではラウル様失礼いたしました。」
「痛い痛い痛いィいいいぃ!!あにうえーー!助けて殺されるううぅう!!」
耳を引っ張られて無理やり部屋から連れていかれる弟を、ラウルは小さく「お幸せに」と手を振り見送る。
ドアが閉まった後、ラウルは立ち上がると、う~んと伸びをした。あの子たちの先の心配はともかく、サアラのお陰様でセシルとの会話は短く済んだ。ああ、清々しい。
さて仕事仕事と机に向かうと、ラウルはやっと昨日あがってきた報告書の冊子を手に取った。途端ラウルは先程までのさわやかな顔を一瞬にして険しくする。
「セシル……」
今はサアラ問題どころじゃないな、こりゃあ。
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