3-⑥:サヨウナラ

「おい、君!しっかりしろ!!」

 レスターは客席に倒れているセシルに駆け寄った。自分の魔法では助けられないから、形になる前の純粋な魔力をぶつけて、落ちる威力を弱めたのだ。


―このぐらいなら、ノルンも許してくれるだろう。さすがに人を見殺しにするのは、人間の道義的にあれだし


 レスターは息を確認するとセシルを抱き起こしたが、その時ごぼりと大量の血を吐きだし、右腕が嫌な方向にだらりと落ちた。先程、誰か怪我人の血で汚れたのだろう血だらけの服でグラウンドで戦っていた(そう思うのは、本人の戦いぶりを見れば怪我1つしていなさそうだったからである)が、吐いた血が重なるように服に染み込んでいってひどい有様だ。


「とりあえず、外へ避難させなきゃ…」

「おい、レスター、お前本気か?!」


 ロイは驚愕する。マンジュリカやら化け物やら災厄を呼び寄せる可能性のある奴を連れて逃げるなんて、正気の沙汰ではない。自分から進んでターゲットになるようなものだ。

 案の定、接近する物体の気配に、ロイはおもいきり爆炎をぶつけた。カーターに引きはがされて投げつけられたものは、座席とグラウンドを隔てていた壁。それが、砕けて胡散する。

「…っ!」

「言わんこっちゃない!ってひいいいい!」

 ロイの視線の先を追えば、化け物はぎろりとレスター達を睨んでいる。セシルがひとまず安心なのを遠目で確認したカイゼルは、その隙にと白い光の球体をカーターに向かわせた。しかし、腕の一振りではじき、そのままカイゼルごと反対側の座席へ吹き飛ばす。それを見ていたロイは、こめかみを冷や汗がたらりと落ちる音すら聞いた気がした。


「ロイ、お前は別方向へ逃げろ!俺はこの子連れていくから!」

「はあ?!お前死ぬぞってうわあああ!」

 化け物が客席によじのぼり始め、ロイはひいと腰を抜かした。レスターはそんなロイに「逃げろ」とだけ言い残すと、逆方向へ逃げ始める。




「ノルン!ノルン聞こえるか?!」

『はいはい聞こえてますし、よく見えてもいますけれど、あんたアホですか?』

 右耳に付けたピアスから、あきれともとれる声が聞こえる。よく見えているということは、どこかそばにいるのかもしれないが、探している余裕なんてない。


「わかっているとは思うが、転送頼む」

『……』

 盛大なため息をつかれた。数秒の沈黙の後、

『無理です』

「えええ!?」

 絶望的な答えが返ってきた。


「ただでさえ、あなたは現在進行形で化け物の格好の注目の的になっているんです。要するに、マンジュリカ(仮)の注目の的にもなっているんです。そんなところでレアな転送魔法なんて使ったら、奴らにあなたの顔をしっかりと覚えられる事になります。それに、今後奴らやリトミナに諜報活動を疑われて、警戒される可能性があります」

「いや、でも、このままじゃ俺死ぬ…」

「セシルを置いて逃げれば済む話でしょう?」

「……」

 確かにと思った。

「…だけど」

 レスターはなぜか渋り始める自分に、自分でも驚いていた。いつもの自分ならノルンの言葉に妥当だと思い、セシルを置いて逃げただろう。


―なんで


 それに、何故この子を助けようとしたのだろうと今更疑問に思う。異国の赤の他人、しかも敵国の王族である人間だ。何故、自らを危険に賭してまで、情を掛ける気になったのか分からない。


「…?」

 ふと、反対側の、カイゼルが飛ばされたあたりの座席が光ったような気がして、レスターは立ち止まろうとした。同じくノルンもそれに気づき警戒したものの、座席を観客を踏みつぶしはじきとばしながら、主の後ろを追いかけはじめた化け物を見て、そちらにかまっている暇はないと思う。

「レスター、後ろ来ています!速く走って!」

「あ、ああ!」

 しかし、ノルンは、化け物の素早さに猶予はそんなにないことを感じる。セシルを置いて逃げろと叫びたいが、「やれ」「嫌だ」問答を繰り返す余裕なんてない。さっさと心を決めさせて、それに専念させることが先決だ。

「とにかく!嫌なら、あんたの魔法を一切使わず、魔力だけで逃げ切るという方法があります。魔法道具が普及した現代、魔力があっても魔法を習わない人間なんていくらでもいますからね。とにかく見捨てるか逃げ切るか、現段階ではどちらを選んでも、あんたは通りすがりの正義感のあるバカ扱いでマンジュリカ(仮)の眼中に入らない。さっさとどっちかにしろ!」

 そんな殺生な。

 レスターが文句を言ってやろうと口を開いた時、ごふっと血を吐いてセシルが咳込んだ。瞬間、目覚めるとでも思ったのか、ノルンは通信を切った。嘘だろとレスターは絶望する。


 ふと殺気に振り返れば、後ろから連続して、座席やら瓦礫やらがオンパレードで飛んできた。人間まで飛んでくるので笑い事ではない。

 手がふさがっているので体から直接魔力をぶっ放す。手を使うより精度が劣るはずのそれを、人間には受け止めるように、その他には破壊する勢いで、レスターは正確にぶつけて防ぐ。

 本当は調整に神経を使うので、人的被害を考えずにぶつければ楽なのだが、さすがに人道的にあれだし、後で殺人とかで指名手配でもされれば困る。だけど余分に時間を食うのは確かなので、レスターは面倒くさくなってくる。


「ええい、自棄だ」

 レスターは振り返り立ち止まると、思いっきり化け物の足に魔力をぶつけて両足を吹っ飛ばした。立ち止まっただけのわずかな時間で、あわやレスターに伸ばされた手が届きそうなほどの距離になっていたが、化け物はバランスを失い後ろにひっくり返った。その隙に、レスターは両腕も破壊する。だが、


「そんな…」

 もう断面の肉が増殖し、再生し始めている。せめて引き離そうと走り出す。だが、元通り立ち上がった化け物はまた物を投げつつ、追いかけてくる。もういやだこの状況。


 どこへ逃げろと言うのだ?客席のふちから会場の外へ飛び降りて、見えなくなったその隙に転送を使ってもらうか?いや、そうしたら自分達はいいかもしれないが、アイツはセシルを探し求めて街に甚大な被害が広がる。敵国とはいえ罪のない人々が殺されるのは嫌だし、後で責任を負わされて顔が知れるのは嫌だ。

 狭いバックヤードにげ込んで、見えなくなった隙に転送を使ってもらうか?いや、同じだ。自分達が移動してから後も、客席を掘るなりして破壊しつつセシルを探そうとするはずだ。観客を大勢巻き込んでしまう。いやそもそも、マンジュリカ(仮)がどこかで見ているかもしれない以上、転送など使える訳がない。というか今更気づくが、客席を逃げ回っているせいで、とっくに他の客を大勢巻き込んでしまっている。


 ああ、焦り過ぎてなにもいい考えが浮かんでこない。無計画に逃げ始めてしまった自分を恨むが、今更やめもできない。ああ、誰か助けて。ノルン~!


「………だれ?」

 そのかすれた声にふと見れば、水色の澄んだ目が、ぼうっと開けられている。レスターは内心でうっと詰まる。セシルの気が付いてしまった、もう転送など使えない。

 どうしよう、唯一の希望が無くなった。ついため息をついてしまったレスターを、セシルはおろおろと所在なさげに見る。ああいけない。ため息なんてついて、怪我人を不安にさせてしまった。


「大丈夫。安心して」

 なだめるようにいえば、あっけにとられたかのように口を開けてセシルはレスターを見た。穴が開くほど見つめられているのにレスターは気にも留めなかったのだが、それはレスターもまた、そのあどけない顔に思わず気をとられていたからだ。


 なぜか両頬に盛大なミミズばれを付けて、しかもカイゼルにグラウンドで叩かれていた左頬が赤くなってはいるが、色白の肌は陶器のようにすべすべとしている。鼻が少し低く可愛らしい顔立ちに状況も忘れて、レスターは思わず見とれてしまう。本当に男かこの子。


「…!」

 レスターははっと我に返った。陰った頭上を見れば、腹を立てて一気に肩を付けようとしたのか、引き剥がした石床が落ちてくる。でかい。レスターは一気に魔力をぶつけ爆散させた。

 危ない、もし今攻撃されなければ、何かに目覚めていたところだ。その粉じんを目隠しに使い、レスターは化け物の首をはじきとばす。ついでに四肢を破壊し尽くし、走り始める。


「あいつ…!」

 我に返り状況を理解したセシルは降ろせと暴れた。というか、暴れているつもりなのだろうが、なにぶん怪我で力がない。それに加え、怪我の痛みでうめいて大人しくなった。


「君は怪我人なんだから大人しくして!」

 レスターはセシルを抱きなおす。

「…うるさい!すぐ直してやる!」

「はあ?」

 驚き半分呆れ半分にレスターは声をあげた。こんな怪我、どこの医者もすぐ治せるわけなんてないだろう?

 と思った次の瞬間、セシルが自分の腕を無理に元の位置に戻した。ひいと悲鳴を上げて呻くのに、言わんこっちゃないとレスターはあきれる。しかし、執念のこもる声が、セシルの喉から唸るように発せられた。

「…意地でもやってやる」

「君…!」

『原子操作。物質P、Ca、並びに……固定』

 セシルは腕をつかんだまま、レスターにとっては理解不能な言葉を唱えた。次の瞬間、セシルの腕や体に青白い光をたたえた小さな魔方陣が複数浮かび上がる。巻末いれず、そこから青白く光る蔓草のようなものが生え始め、体に巻きついたかと思うと消えた。

「!?」

 セシルが手を腕から離すと、腕は変な方向に曲がることもなく、出来具合を確かめるかのように指を曲げ伸ばししていた。


「き、君、治癒魔法使えるのか?!」

 確か、アメリアは使えたはずなのだが、セシルはそんな魔法使えるなど書いていなかった。

「どうでもいいからさっさと下ろせ」

 目を白黒させているレスターにかまわず、セシルはもがく。

「あ、ああ…」

 唖然としたレスターは言われるがままにセシルを降ろした。

 振り向けば、今しがた再生を終えた化け物がまたこちらに向かって来ていた。


「しぶといんだよ!」

 セシルが手を振る。カーターの足元に魔方陣が現れる。跳んで逃げようとしたその足に、伸びた蔓が巻きつき引きずり戻す。カーターは引きちぎろうとしたが、セシルの執念にも近い殺気と共に強力な魔力が蔓に注がれ、カーターの体中に伸びて巻きつき自由を奪う。

「燃え尽きろ、灰になりやがれええ!」

 次の瞬間、蔓草から発した炎がカーターに襲い掛かった。瞬時に業火へと成長しカーターを包み込む。カーターは遠吠えのような悲鳴を上げ、もだえ苦しむ。


「…っ」

 すさまじい熱気があたりを襲う。レスターは腕で顔を覆う。

 炎の中、カーターは、耐え切れずにぼろぼろと輪郭が崩れ消えていく。

 そして、炎の色が橙色から白く、次第に色が青白くなっていくのに飲み込まれるようにして、カーターは消えた。


 それでも何かに取りつかれたかのように、燃やし続けているセシルの息が不規則になってきているのに、レスターは気づく。

「セシルさん!もう大丈夫です。止めてください」

 レスターが肩をつかむと、セシルははっと我に返ったかのように顔を上げ、魔法を収束させた。ふらりと倒れそうになったのでレスターは慌てて支えるが、セシルは力尽きたかのようにどさりと胸に寄りかかってきた。

「大丈夫ですか?!」

「うん…」

 セシルは頷きつつも、顔色が良くない。意地なのだろう、自分の足で立ってはいるが、体を支えるだけの力はないようだ。

「誰か、」

 医者をと呼びかけようとして、レスターははっとする。そして、呆然した。

「そんな…」

 風もないのに灰があたりを漂い、先程の場所に集まり始めていた。



 そして、形をとっていく灰。

「……嘘だろ」

 セシルも気づいたようだった。

「クソ…」

 セシルは至極忌々しい顔をすると、すかさず魔方陣を張った。だが、光が弱々しい。

「セシルさん、もうこれ以上は…」

「すまんが、支えていてくれ」

 レスターの声を遮るように、意思を感じさせる声が出される。しかし、もうぎりぎりなのか、絞り出したかのような声だ。

「もうこうなったら、全部なにもかも吸収してやる」

 その言葉を言い終えるやいなや、ふらふらとゆらいでいた魔方陣の光が、ピシッとしっかりと強い光を放つ。


 だが次の瞬間、

「……がっ……!」

 ぴししっと連続した、ひび割れの音が聞こえた。レスターが驚いて見ると、前に付きだしているセシルの腕が陶器のように幾筋にもひび割れ、内側から青白い光が漏れていた。まさか。


「セシルさん!やめてください!」

 レスターはその事態を理解した。リトミナ王家の最悪の事態。その前兆ということに。

 レスターはセシルの肩をつかむ。セシルも理解しているのか少し恐怖の表情を垣間見せる。だが、セシルは唇を噛むと前を再び向いた。



 一気に流れ込んできた魔力の膨大さに、吸収を一瞬はためらったものの、セシルは気を取り直し一気に吸い上げる。

「つぅぅぅぅぅぅぅ!」

 体のあちこちから、びきびきとひび割れる感覚が襲う。しかし、セシルはさらに吸収を速める。

 意地でも吸収してやる。死んだって吸収してやる。額から汗がだらだらと走り、目にはいり痛いが構っていられない。

「セシルさん…!」

 男の心配している声は聞こえるが、やめることはできない。

 しかし、このままでは本当に死ぬ。

 ぴきんと高い音と共に、頬に痛みが走る。



 魔法を吸収しすぎたリトミナ王家の人間が歩む末路。

 吸収できる限界値―器の決壊、それに伴う魔力の放出。つまり肉体の爆発による死。

 後には死体どころか、あたり一帯草木一本残らない壮絶な死である。


 初代リトミナ王妃の死因である。そして彼女を助けようとした初代リトミナ国王も巻き込まれ死亡した。リトミナ建国の物語にも残っている有名な話である。当時、吸収魔力はまだまだ解析が進んでいない未知のものであったため、使い手本人でも限度知らなかったのである。

 父母の壮絶な死を目の当たりにした2代目リトミナ国王シリル・フィランツィル=ショロワーズは後世の子孫を守ろうとしたのだろう、その様子を詳細に王家の歴史に書き残すと共に、その魔法の徹底的な解析に臨んでいる。



 ―こうなったら、あれを使うしか

 セシルはなんとか左手を胸元に持ってくると、ネックレスの鎖を手繰り寄せて、先の指輪をしっかりと握る。これを使えば、これから先自分を守ってくれるものは、もう何もなくなる。仕方ないのはわかっているけれど、不安が急にこみあげてきて、しかしそれを振り払うようにセシルはきっと前を向いた。


 セシルは、あの時教えてもらった詠唱をしっかりと言う。手の指の合間からすさまじい勢いで金の光をまとった鎖が現れる。それはセシルの体にまきつき、先についた金具で肌を突き刺していく。


「……その魔法、まさか…!」

 男が何かを言ったようだが、魔法が展開される音でセシルには何も聞こえない。

「おりゃあああ!」

 セシルが叫ぶ。カーターを覆う吸収の光が強まり、断末魔の絶叫があたりに響く。そして、カーターはその光の中で、砂が崩れるように消滅していった。

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