第7話 『』は日本語で「」は英語です

 平穏な日々の中でクリストファーの怪我は少しずつ良くなっていた。まだ痛みがあるため走ったり力仕事をしたりすることは出来ないが、軽く動くには問題なくなっていた。それと同時に驚くべき早さで日本語を覚え、伊織とは簡単な単語で日常会話が出来るようになった。


 ここに来てから日課となっている部屋の掃除を終えて時間を持て余したクリストファーは小さな中庭を抜けて露天風呂がある方向へ散歩していた。すると反対側から白やピンク色の花を持った伊織が歩いてきた。


 クリストファーに気が付いた伊織が心配そうに話しかけてくる。


『怪我は痛みませんか?歩いても大丈夫ですか?』


『大丈夫。歩くぐらいなら問題ない。その花は?』


 クリストファーに指摘されて伊織が花に視線を向ける。


『これは秋桜です。お部屋の花瓶に活けようと思いまして』


 クリストファーは床の間と言われる場所に置いてある花瓶にいつも花が活けてあり、枯れる前に新しい花に変わっていることを思い出した。


『あれは君がしてくれていたのか。いつもありがとう』


 クリストファーの笑顔に伊織も微笑む。そこにカーンと音が響いてきた。


『もしかして……』


 伊織が慌てたように踵を返して走り出す。走れないクリストファーは速足で伊織の後を追った。そして、その先で見た光景は……


「君は何をしているんだ?」


 上半身裸で汗を流しながら薪割りをしている綺羅がいた。それを伊織が慌てて止める。


『無理なさらないで下さい』


『動かないと体が鈍るんだよ。これぐらいなら大丈夫だ』


 そう言って綺羅が薪割りの続きを始める。確かに体の傷は塞がっており、動いても問題ないように見える。


 だが伊織は退かなかった。


『大丈夫ではありません。少し動いただけで、この汗ですよ?自覚はないかもしれませんが、体は不調を訴えています』


『もう少し運動したいんだけどなぁ』


『散歩なら良いですよ』


『それは飽きた。もっと動きたい』


 拗ねた子どものような言い方にクリストファーが呆れ顔になる。


「世話になっているんだ。おとなしく言うことを聞け」


「えー、本当になんともないんだけどなぁ」


 不満を口にする綺羅に伊織がどう説得しようか悩んでいると別の声がかかった。


「動きたいってことは、体力がついてきたってことでしょ?そろそろいいんじゃない?」


 三人が声のした方を向くとアクセリナが笑顔で歩いてきた。


 英語で話してきたアクセリナに伊織が日本語で反論する。


『ですが、まだ早いと思います』


「彼のことは私がよく知っているわ。大丈夫、耐えられるわ」


『……長と相談してきます』


 そう言って伊織が本家の方へ足早に去って行った。


 クリストファーは伊織の後ろ姿を見送りながらアクセリナに訊ねた。


「いろいろ聞きたいことがあるんだが、いいか?」


「えぇ」


「君は日本語を理解できるのかい?」


「できないわ」


 清々しいまでにアクセリナがキッパリと答える。予想通りの答えだったのでクリストファーは次の質問をした。


「では、何故あそこまで会話が出来たんだ?ちゃんと噛み合っていたが」


「言葉は理解できなくても言いたいことは分かるわ。伊織ちゃんも、そうみたいだし」


「そこが分からない。何故、理解できないのに意味が分かるのだ?」


「そんなこと言ったって分かるんだから、しょうがないでしょ?」


 首を傾げるアクセリナの肩に綺羅が腕を回す。


「そう、そう。難しく考えたって分からないものは分からないんだよ」


「その通りよ。よく分かっているじゃない」


「アクセリナのことだからな」


 そう言って綺羅とアクセリナが微笑み合う。意気投合してしまった二人からこれ以上の答えは出ないと判断してクリストファーは話を進めることにした。


「わかった。では、次だ。何がそろそろいいんだ?何をするつもりだ?」


 クリストファーの質問を聞いてアクセリナは綺羅を見た。


「とりあえず、綺羅はお風呂に入って汗を流してきて」


「あ、汗臭かった?」


「とっても」


 頷くアクセリナから綺羅が飛び退く。


「すぐに入ってくる!」


 綺羅が脱兎のごとく走って消える。アクセリナは軽く息を吐いて肩をすくめた。


「まったく。走るなって言ったのに守らないんだから。あれだとお風呂場で力尽きてしばらく上がってこられないわね」


「綺羅には聞かせられない話か?」


「いえ。彼は知っているわ。ただ本人は目の前で話してほしくないみたいだから退席してもらったの」


「そうか。で、何をするつもりなんだ?」


「解呪よ」


「は?」


 まったく理解できないクリストファーにアクセリナは目の前に見えている山を指さした。


「あなたには見えないでしょうけど、この周辺の山には、この屋敷を囲むように結界が張ってあるの。その結界を無理やり破ってここに入ろうとしたら呪がかかるようになっているそうよ。まあ、普通の人なら結界に近づいたら目に見えなくても本能的に嫌な感じがして、その場を避けるらしいんだけど、綺羅の場合はそれが効かなかったらしいの。猪突猛進の勢いで結界に突っ込んで破ったそうよ。それだけ助けを呼ぶのに必死だったのかもしれないけど。でも結局、その後で獣用の罠にかかって身動きがとれなくなっていたって言うんだから、お笑いよね」


 アクセリナの説明を聞いてクリストファーは額を押さえて俯いた。


「いろいろとツッコミどころがあるのだが……とりあえず、一つずつ整理しよう」


「いいわよ」


「結界とは何だ?」


「不法侵入者を防ぐために人に対してだけ張っているそうよ」


「いや、目的ではなく結界そのもののことを聞いているんだ」


 アクセリナはクリストファーにどう説明するか周囲を眺めながら悩んだ。


「そうねぇ……こういう力で作ったもの、としか言いようがないわね」


 そう言ってアクセリナが右手の手のひらをクリストファーに見せる。すると何もないところから小さな火の玉が現れた。


「……手品か」


「現実逃避しない!」


 アクセリナが火の玉をクリストファーに投げつける。


「熱!」


 火の玉が顔面に当たる前に避けたものの前髪の先が焦げている。


「まったく。綺羅はすぐに納得したのに。簡単に納得しすぎて理解しているか不安だったけど、ここまで拒絶されるのも面倒ね。二人を足して二で割りたいわ」


「あいつと足されるのは死んでも拒否する」


「なら納得しなさい」


「……わかった」


 渋々、了解するクリストファーにアクセリナが頷く。


「なら、いいわ。次は?」


「呪とは、なんだ?」


「ここでの呪は、その人にかかっている恨み辛みを増幅させて動けなくさせるそうよ。しかも、体の内側から浸食して最後は生きたまま固まるんですって。生きた蝋人形ってところかしら」


「なんのために?」


「不法侵入しても生きて外に出させないためよ。不法侵入するぐらいだから、それだけ恨み辛みを買っているでしょうし、呪は確実に発動するわよね。それぐらいのことをしても、ここに侵入したいって人間がいるほうが驚きだけど」


「そもそも、ここはどういう所なんだ?」


「私のような力を持った一族が集まっている隠れ里らしいわ。その力で代々、国を裏から支えてきたんですって。要するに国家機密の里ね」


 そこまで聞いてクリストファーはがっくりと項垂れた。


「よりにもよって、そんな場所の近くで事故をするとは……」


「諦めなさい。質問は以上?」


「まだある」


「何?」


 クリストファーは顔を上げて訊ねた。


「解呪とは何をするのだ?」


「儀式よ。ただ解呪する前の儀式で体力を使うから、傷が治るのを待っていたの。ま、綺羅の場合はここの人が驚くぐらい恨み辛みが少なかったから、こうして自由に動けているんだけどね。普通ならとっくに固まっている頃らしいわよ。ただ、それもそろそろ限界だと思うわ」


「それで、あの汗か」


「そういうこと。綺羅は助けを呼ぼうとして、こんな面倒なことになったことを恥ずかしいと思っているみたい」


「あいつに恥ずかしいという感情があったのか」


 感心するクリストファーにアクセリナが同意する。


「意外よね」


「あぁ。ところで結界を破った綺羅が、その後にかかった罠とは、どんなものだったんだ?」


「落とし穴よ。しかも獣が落ちないから放置されていた罠だって」


「獣以下か」


「ウイルスだから」


「そうだったな」


 その一言で簡単に納得したクリストファーとアクセリナの元に伊織が歩いてくる。


『夕刻に解呪をします』


 伊織の真剣な表情にアクセリナは余裕の笑みで答える。


「いいわよ」


『昼食後、準備をしますので』


「わかったわ。よろしくお願いね」


『はい。こちらこそ、よろしくお願いします』


 そう言って伊織が頭を下げる。これでお互い言葉を理解していないというのだから驚きだ。


「理解不能だな」


 クリストファーの呟きは誰の耳に入ることなく消えていった。


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