第5話 幻想的な風景は生で見ると不気味な超常現象だった

 綺羅の宣言通り夕食にはイノシシ肉の料理が出てきた。少し臭みがあったが脂肪が少なくあっさりと食べることができた。


「暗くなってきたな」


 綺羅が障子の外を見ると、日が沈んで薄暗くなってきた空に星が輝き始めていた。


「そうだな」


 クリストファーは同意しながら部屋の中を見回した。


「電気がないようだが、明かりはどうするんだ?」


 アクセリナが三人分の食器を一つのお膳の上に重ねながら頷く。


「そうね。そろそろ貰ってこようかしら」


「何を貰ってくるんだい?」


 首を傾げるクリストファーを置いて綺羅が立ち上がる。


「オレも手伝うよ。一人で運ぶのは大変だろう?」


 そこに障子が開いて伊織が手に何かを持って部屋に入ってきた。アクセリナがそれを見て笑顔になる。


「ちょうど、それを貰いに行こうと思っていたの。ありがとう」


 アクセリナは英語で話したため伊織には通じなかったはずなのだが、伊織は笑顔でアクセリナに持ってきたものを渡した。アクセリナが円形の薄い紙の中心を持つと引っ張った。すると、それはボールのような円形へと形を変えた。


「何に使うものだい?」


 クリストファーの質問に綺羅が答える。


「提灯と言って、あの中に蝋燭を入れて火をつけて明かりにするんだ。電気がない時代から使われている」


「ランプみたいなものか。だが蝋燭がないぞ」


 アクセリナが次々と提灯を並べていくが、どれにも蝋燭は入っておらず、周囲には火をつけるようなものもない。


「そんなものはいらないわ」


 アクセリナはネックレスを外すと、その先に付いている水晶を提灯の上で揺らした。すると提灯の中に火が灯り、優しい光を放った。


「……手品か?」


 どうにか声が出せたクリストファーをアクセリナが意地悪く笑う。


「そんなものじゃないわ。お願いね」


 アクセリナの言葉に答えるように伊織が提灯を持ち上げる。そして鳥を空に放すように、そっと提灯を放した。すると提灯が天井に向かってふわふわと浮かび上がったのだ。


「……なっ」


 この光景にクリストファーは絶句した。今、この部屋の天井には十個近い提灯がふわふわと宙に浮いて明るく照らしている。テレビや映画で見るのであれば幻想的だと客観的に観られるのだが、こうして目の前で見ると幻想的より不気味な超常現象といった印象になる。


 茫然としているクリストファーに綺羅が声をかける。


「明かりも確保したし、風呂に行こうぜ。ここには露天風呂もあるっていうから、一緒に入ろう」


 普段なら即座に断るような綺羅の発言にクリストファーは何も反応出来なかった。置物と化したクリストファーの代わりにアクセリナが答える。


「片づけは私がしておくから、一緒にお風呂に行ったら?本人は拒否するでしょうけど、手っ取り早く現実に戻ってもらうには、それが良いでしょうし」


「おう。じゃあ、風呂に入ってくる。あ、一個借りていくぞ」


「どうぞ」


 綺羅は浮かぶ提灯を一つ拝借して、魂が抜けたクリストファーを引きずって露天風呂へと歩いていった。




 クリストファーが意識を取り戻したのは満点の星空の下で岩に囲まれた湯の中だった。


「……ここはどこだ?」


 湯気の先に提灯が一つ浮かんでいる。風呂が大きいため小さな提灯一つでは全てを照らせないが、自分の周囲を照らすぐらいなら十分だ。


 クリストファーの呟きに隣で湯に浸かっている綺羅が嬉しそうに笑った。


「お、やっと戻ったか。話しかけても、あぁ。とか、そうか。とかの生返事ばっかりだったんだぞ」


「そうか……って、なんで裸なんだ?」


 自分の姿を見て驚くクリストファーに綺羅が翡翠の瞳を丸くする。


「クリフは風呂に服を着て入るのか?」


「違う!こういう場所では水着で入るのではないのか?」


 屋外で大人数が入れる風呂があることは知っているし、入ったこともある。だが、そういう場所では水着の着用が義務付けられていた。


 クリストファーの言葉に綺羅が豪快に笑った。


「日本は風呂に入るのに、そんなものは着ないんだよ。裸一つで語り合う。良い文化だろ」


 綺羅の説明にクリストファーは絶望したように俯いた。


「私には無理な文化だ」


 クリストファーにとって救いだったのは周囲が暗いため、お互いの姿がほとんど見えないことだ。だが、そんなクリストファーの心境を知らない綺羅が提案をする。


「昼間なら景色が綺麗なんだとよ。明日は日が沈む前に一緒に入るか?」


「遠慮する。と、いうか何故、君と一緒に風呂に入らないといけないのだ?」


「雄大な自然を親友と共感したいだけだ」


「何度も言うが君と友人になった記憶はない」


「恥ずかしがり屋だなぁー」


「この会話の流れで、その結論に至る君の頭を解剖したいよ」


「じゃあ、今度オレの頭のCT画像でも見るか?」


 笑いながら綺羅が立ち上がる。その姿を見てクリストファーは息を飲んだ。


「……傷だらけじゃないか!」


 小さな提灯の下でも無数の傷や痣が浮かび上がって見える。ほとんどが治りかけているが完治まで時間がかかりそうな大きな傷もある。


 だが指摘された綺羅はなんでもないことのように言った。


「あぁ。助けを呼ぶ時にドジして獣用の罠に引っかかったりした時の怪我だ。ここの風呂は温泉で怪我に効くから、結構治りが早いぞ。ほら、そろそろ上がらないとのぼせるぞ」


「のぼせる?」


「とにかく、上がれって」


「あ、あぁ」


 クリストファーは言われるまま湯から出た。その瞬間、世界が回った。


「あ、遅かったか」


 顔を真っ赤にして倒れるクリストファーを見て綺羅が苦笑いをしながら頭をかいた。




 そよそよと心地よい風が頬に当たる。クリストファーが深紅の瞳を開けて風の方を見ると伊織が扇子で扇いでくれていた。


『%*+$&#?』


 伊織が覗き込んでくる。言葉は分からなかったが、表情からして心配してくれているのだろう。


 クリストファーは唯一知っている日本語で答えた。


『ありがとう』


 その言葉を聞いた伊織が驚いたように黒い瞳を丸くする。そして少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「どれぐらい寝ていたんだ?」


 起き上がるクリストファーに伊織が水の入った湯呑を差し出す。その自然な動

作にクリストファーは思わず英語で話していた。


「あぁ、ありがとう」


 言葉は理解できなかっただろうが意味は伝わったらしく伊織が微笑む。クリストファーは湯呑を受け取って水を飲んだ。風呂で倒れてから目が覚めるまで、こうして看病していてくれたのであろう。水はぬるくなっていた。


 クリストファーは言葉が通じないのに疑問に感じていたことを訊ねた。


「どうして、こんなに親切にしてくれるんだい?」


 その言葉に伊織が不思議そうな顔をした。そして少し考えた後、クリストファーの怪我を指さして微笑んだ。その表情だけでクリストファーは何故か伊織の言いたいことが分かった気がした。


「そうか。困っている人を助けるのに理由なんていらないってことか」


 クリストファーの呟きを聞いて伊織が嬉しそうに笑う。裏表のない純粋な笑顔にクリストファーの表情も緩む。そこで、ふと思い出したように言った。


「そういえば、私の名前を教えていなかったね。私の名前はクリストファー・シェアードだ」


『くり……ふぁ?しぇ?』


 なんとか言葉にしようとする伊織の姿にクリストファーは微笑んだ。


「難しかったらクリフでいい。クリフだ。ク・リ・フ」


『クリフ』


「あぁ」


 頷くクリストファーに伊織が自分の胸に手を当てて言った。


『伊織。い・お・り』


「アクセリナから聞いたよ。伊織。それが君の名前なんだね?」


 伊織はクリストファーが自分の名前を言ったことに、はにかみながらも嬉しそうに頷いた。その表情を見ながらクリストファーは一つの決意をしていた。


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