第4話 隠れ里
ガラガラという音とともに薄っすらと明かりが入ってくる。クリストファーが目を開けると横開きのドアに人影が映っていた。横開きのドアの枠は木で出来ており、それ以外の場所は薄い紙を貼っているだけなので光や影が透けて見えた。
クリストファーはゆっくりと体を起こして立ち上がった。胸に痛みが走ったが動けないほどではない。そっと横開きのドアを開けると、そこには可愛らしい少女が家と外の間にある木で出来た頑丈な横開きのドアを開けていた。
可愛らしい少女はにっこりと微笑むと黒髪を揺らしながらクリストファーに声をかけた。
『おはよう%#*$。よく+&$%*か?』
少女の日本語にクリストファーは少し困った。日本語を知らないクリストファーはとりあえず英語で答えてみた。
「おはよう。英語は話せるかい?」
クリストファーの言葉に少女が可愛らしく小首を傾げる。そして何かを悟ったように首を横に振った。
「話せないのかい?」
すると少女は軽く頷いた。話せないが意味は分かるらしい。不思議な状況にクリストファーの方が首を傾げる。
「ここまで理解できるなら話せると思うのだが」
悩むクリストファーの後ろから綺羅が声をかけてきた。
「おはよう」
赤茶色の髪が寝癖で跳ねまくっている。少女は綺羅に近づいて何かを話すと一礼してその場を離れた。
「なんて言ったんだ?」
「朝ごはんを持ってくるってさ」
「あぁ……って、朝なのか?」
驚くクリストファーに綺羅が翡翠の瞳を丸くする。
「気が付いてなかったのか?おまえ、あのまま一晩寝たんだぞ。夕飯の時も起こしても起きなかったし」
「……そうか。気が付かなかった」
珍しく落ち込むクリストファーを置いて綺羅が踵を返す。
「さて、アクセリナを起すか」
頭をかきながら、どこか重そうな足取りの綺羅にクリストファーが声をかける。
「起こすのが嫌なのか?」
「嫌……というか、アクセリナの寝起きの悪さは天下一だからなぁ」
どこか遠くを眺める綺羅を見てクリストファーは即行で自分が寝ていた部屋に足を向けた。
「健闘を祈る」
そう言って部屋に入ろうとしたところで後ろ襟を綺羅に掴まれた。
「怪我人には無体をしないだろうから、一緒に来てくれ」
「起こすだけなのに、どういうことをされるんだ!?」
怪我の痛みで綺羅の手を振り払えないクリストファーは引きずられるままアクセリナが寝ている部屋の前に来た。
綺羅が横開きのドアに手をかけてクリストファーに真剣に忠告する。
「いいか、開けたら攻撃を見極めてすぐに避けろ」
「起こすだけなのに、戦闘が始まるのか?というか、そんな場所に怪我人を引きずってくるな」
「親友だろ?巻き添えになってくれ」
白い歯を見せて笑う綺羅の頭をクリストファーが叩く。
「親友どころか友人になった覚えもない。そもそも、いきなりドアを開けるから攻撃されるんじゃないのか?声をかければいいだろ」
そう言うとクリストファーは横開きのドア越しに少し大きめの声で話しかけた。
「アクセリナ、起きているかい?」
「ええ、起きているわよ」
「開けてもいいかい?」
「どうぞ」
クリストファーが横開きのドアを開けるとアクセリナは光輝く銀髪に櫛を通していた。その姿を見て拍子抜けしたようにクリストファーが呟く。
「普通じゃないか」
「へ?」
綺羅が恐る恐る部屋を覗き込む。その姿を見てアクセリナは笑った。
「さすがに私も人様の家は壊さないわよ」
その言葉に綺羅が盛大に胸をなで下ろす。
「なら、良かった」
二人の会話を聞いていたクリストファーはアクセリナに訊ねた。
「ちなみに普段の寝起きはどうなんだ?」
アクセリナは人差し指を顎に置いて小首を傾げた。動作は可愛らしいのだが、美しい外見のため妖艶な雰囲気が漂う。
「そうねぇ。上手く避けないと病院送りは確実ね」
「何をしたら、そんな事態になるんだ?」
「ひ・み・つ」
そう言ってアクセリナが満面の笑みを見せる。クリストファーはそんな事態の巻き添えをさせようとした綺羅を笑顔で睨んだ。
「君たちの問題に私を巻き込むな」
「えー。だって旅は道連れ、世は情けっていう言葉もあるし、巻き込まれてよ」
「拒否する」
「冷たいー。そこはせめて遠慮する、ぐらいにしといてよ」
「どちらにしても否定の言葉だぞ」
「遠慮のほうが、まだ付け入る隙がありそうだから」
そう言ってヘラッと笑う綺羅をクリストファーが踏みつける。
「君に付け入れられる隙など一ナノメートルもない!」
「ひどい!」
よろよろと崩れる綺羅にアクセリナが淡々と質問をする。
「で、私に何か用があったんじゃないの?」
アクセリナの一言で綺羅があっさりと立ち上がる。
「あ、そうそう。もうすぐ伊織ちゃんが朝ごはんを持ってきてくれるって」
「そうなの。じゃあ、行きましょうか」
立ち上がるアクセリナにクリストファーが訊ねる。
「どこに行くんだ?それに伊織とは誰だい?」
「綺羅が寝ていた部屋に朝ごはんを持ってきてくれるのよ。伊織ちゃんは昨日見た女の子のこと。覚えている?」
「あぁ、さっき会ったよ」
「あの子が私達の身の回りの世話をしてくれているの。次に会ったら、ちゃんとお礼を言いなさいよ」
「わかった」
そうして朝から騒がしい三人は朝ごはんを食べるために移動した。
朝ごはんを食べ終えたクリストファーは体を綺麗にするために風呂に入った後、縁側と呼ばれる所に座って中庭を眺めていた。そこまで広くないのだが小さな川と池があり、その周囲を岩と木々で飾っている。無造作なようで計算されて造られた庭だと綺羅は言っていた。
「まったく。あいつに教わることになるとは」
クリストファーは軽くため息を吐いて自分が寝ていた部屋を見た。草を編んで作られた畳というものに布団というマットが敷いてある。その周囲を襖という鳥や花が描かれた横開きのドアが囲んでいる。
「不思議な文化だな」
木枠で作られた横開きのドアは障子、そして外と部屋を仕切りっている縁側にある横開きのドアを雨戸と言うらしい。
クリストファーは朝食を食べながら綺羅が家の造りについて話したことを思い出していた。
「寝ていなくていいの?」
声がした方を向くとアクセリナが静かに歩いてきた。
「寝ているのに飽きてね」
「それは怪我が良くなってきているってことかしら?」
「たぶん。それに座っているほうが、息がしやすいんだ」
「そうでしょうね。背もたれがある椅子があるといいんだけど」
「このままでも問題ない」
「そう」
アクセリナは頷きながらクリストファーの隣に腰を下ろすと、思い出したようにクスリと笑った。
「どうした?」
「今朝のことを思い出して」
その一言でクリストファーはアクセリナが言いたいことが分かった。
「仕方ないだろ。まさか生だとは思わなかったんだ」
それは朝食の時の出来事だった。お鉢に入った殻付き卵をゆで卵だと思ったクリストファーは普通に割って両手と服とお膳を生卵だらけにしたのだ。そのため朝から風呂に入ることになった。
「卵を生で食べる習慣がある国があるなんて知らなかったわ。でも、食べてみたら美味しかったわよ」
「私はしばらく遠慮する」
どこか拗ねたように言うクリストファーを見てアクセリナが笑う。
「意外と子どもなのね」
アクセリナの指摘にクリストファーは表情を変えることなく言った。
「そういう君はよく笑うな」
「面白いのに笑わないほうが損じゃない」
「そんなに面白いか?」
「えぇ。彼と出会ってから面白いことが多いわ」
「あいつは面白くない時がないな」
納得するクリストファーに対してアクセリナは笑顔を消して中庭に視線を向けた。
「彼にはずっと、あのままでいてほしい。でも、私が奪うかもしれない」
「それはないな。あいつは、いつも全力で生きている。だから面白い」
「本当に彼のことをよく理解しているのね」
そう言うとアクセリナは白銀の瞳を伏せた。
「彼は私のために生きることを止める決意をしているわ。でも、私はそうしてほしくない」
「なんのことだ?」
突拍子のない話にクリストファーが無表情のまま首を傾げる。アクセリナは今までに見せたことがない真剣な表情で言った。
「クリストファー、あなたにお願いしたい。ずっと彼の側にいて。私の後を追わないようにしてほしいの」
「後を追うって、綺羅と別れるから追ってこられないようにしろ、ということか?」
話が見えないクリストファーが怪訝な顔をする。アクセリナは瞳を閉じて俯くと、長い銀髪で表情を隠した。
「まだ、ずっと先の話よ。その時になれば分かるわ」
「人に頼みごとをする時は相手に分かるように説明するべきだと思うが」
「もう少し。もう少ししたら、あなたも分かるわ。あなたも神の奴隷だから」
「また、それか。悪いが私は巻き込まれるつもりはない」
クリストファーが呆れたように断言する。アクセリナは顔を上げてニッコリと笑った。
「大丈夫。あなたは自分から巻き込まれるわ」
「嫌な予言だな。笑顔で言うところが特に」
「あら、モデルの仕事の基本は笑顔よ。世界中に絶賛された笑顔をこんな間近で見られるんだから崇めなさい」
「君なら変な新興宗教が作れそうで怖いよ」
「信仰者第一号なら、もういるわよ」
「……綺羅か。そういえば綺羅はどこにいるんだ?」
クリストファーの質問にアクセリナが山を指さす。
「伊織ちゃんが山菜を取りに行くって言ったのを聞いて、喜んで一緒に行ったわよ」
クリストファーが遠くの山を見て呟く。
「猿は山が恋しかったんだな」
「そうみたいね」
自分の恋人を猿扱いされても否定も訂正もせずにアクセリナが頷く。もしかしたら哺乳類扱いされているだけマシだと思っている可能性もある。
二人が遠くの山を眺めていると近くから大声が響いた。
「おう、帰ってきたぞ」
「あぁ、おかえ……り……」
出迎えの挨拶をしようとしたクリストファーは不覚にも言葉を詰まらせてしまった。綺羅の隣にいる伊織は両手にカゴを抱えて、その中に山菜を一杯入れている。それは普通の光景だ。だが、問題は綺羅が担いでいるモノだった。
「綺羅……それはなんだ?」
クリストファーが指さした先にあるモノは、長さ一メートルぐらいはある太い棒の先に括られていた。
指摘された綺羅が豪快に笑いながら肩に担いでいる棒を見る。
「途中の罠にかかっていたのを捕まえたんだ。今日の夕食にするんだってさ」
「夕……食……」
茫然と呟くクリストファーに対して綺羅が不思議そうな顔をする。
「捕れたて新鮮で美味いんだぞ。あ、でも肉は少し置いて熟成させたほうが美味くなるか」
クリストファーが問題としている点とは違うところを考察している綺羅に誰もツッコミを入れない。アクセリナにいたっては初めて見るモノに白い顔のまま固まっていた。
微妙な空気が流れる中、伊織が綺羅に話しかけた。
『#&*!%、$!&*@』
日本語だったためクリストファーには意味が分からなかったが、綺羅は笑顔で頷いた。
「じゃあ、これ置いてくる」
そう言って綺羅は伊織とともに歩いていった。そんな二人の後ろ姿を見送りながらクリストファーはアクセリナに言った。
「良かったな。君の彼氏は無人島でも生きていけるよ」
「とても似合わないけどね」
綺羅は外見だけは申し分なく良い。精悍な顔つきでブランドの流行服をそつなく着こなす。それは都会の中で生きる若者の憧れの姿そのものだ。そのため、大自然の中で生きる姿は違和感がある。それが生け捕りにしたイノシシを肩に担いでいるのだから余計に似合わない。
「ならターザンの恰好でもさせるか」
綺羅は顔も良いが体格も良い。ひ弱な痩せ型の体型なら似合わないが、綺羅の体型なら問題ないだろう。
アクセリナがあっさりと同意する。
「あ、それ良いわね。とりあえず綺羅のジーパンを破いてターザンっぽくしておくわ」
こうして綺羅のお気に入りのビンテージジーンズがアクセリナによって引き裂かれ、綺羅は泣くこととなる。そして後日、そのボロボロになったジーンズを伊織が見つけて洗濯して取り繕ったため、綺羅はますます泣くこととなるのだった。
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