第2話 転落(人生ではなく物理的に)

 木々が茂る山の隙間を縫うように走る小さな道路。そこを一台の車が快走していた。


「どうして私まで君たちの旅行に付き合わないといけないんだ?」


 不機嫌丸出しで後部座席に座っているクリストファーに運転している綺羅が軽く笑いながら説明する。


「いつか日本に行きたいって言っていただろ?旅行はみんなでしたほうが楽しいからな」


「なら、もっと早く言ってくれ。当日に言われても、こちらも予定がある」


 突然の日本旅行は綺羅が浴びたジンジャエールをシャワーで流してから告げられたことだった。しかも、そのまま飛行場まで連行されて強制的に連れて来られたのだ。


「事前に言ったら、絶対に外せない予定を入れるくせに」


「そうだな。旅行どころではなくなる予定を君に入れていたよ」


「オレの予定に入れるの?」


 嫌そうな顔をする綺羅に対して、助手席に座っているアクセリナが楽しそうに笑う。


「提案者が行けなくなれば旅行の計画自体なくなるものね。いい案だと思うわ」


「アクセリナまで、そんなこと言うなんてー。オレ、落ち込んじゃうよ?沈んじゃうよ?引きこもっちゃうよ?」


「鬱陶しい。世界の平安のためにも、そのまま永遠に引きこもれ」


 クリストファーの容赦ない言葉に綺羅が頬を膨らます。


「世界規模で鬱陶しいの?いいもん。アクセリナと一緒に楽しく引きこもるから」


「あら、私は引きこもらないわよ」


「じゃあ、オレも引きこもらない~」


 あっさりと前言撤回する綺羅の軽い態度にクリストファーが呆れたように座席に体を投げ出した。


「バカにつける薬はないのか?」


 クリストファーの呟きにアクセリナが前を見たまま答える。


「そんな薬があるなら、私がとっくにつけているわ。綺羅にたっぷりとね」


「アクセリナにつけてもらえるなら、いくらでもいいよ」


 言葉の意味を理解していないのか綺羅が嬉しそうに笑っている。クリストファーは気になっていたことを単刀直入に訊ねた。


「アクセリナ。君はこいつのどこが良いと思って彼女になったんだい?」


 綺羅の彼女とは思えない言動の数々。そして、綺羅はそのことに気付いていないのか、気にしていないのか容認どころか喜んでいる。

 クリストファーの記憶の中では綺羅はマゾではなかったはずだが趣向が変わった可能性もあるため、それについては放置しておく。ただ、アクセリナが綺羅に好意を抱いているようには見えないのだ。

 

 アクセリナが顔を後ろに向けてクリストファーと視線を合わせる。長い銀髪がさらりと肩から流れ落ちた。

「前も言ったけど、これは運命なの」


「それで、よくこんなのと付き合えるな」


「あら、これはこれで楽しいわよ」


 そう言って笑ったアクセリナは本当に楽しそうだった。


「そうか」


 頷いたクリストファーは窓の外に視線を向けた。車は山の山頂付近を走っており、連なった山々と青い空が見渡せる。


 綺羅が自慢げに説明を始めた。


「今は夏だから緑一色だけど、秋になると木々が紅葉して赤とか黄色とか色鮮やかになるんだぞ。あと、冬は葉が全部落ちて雪が降ると木の枝に積もって、白い山になるんだ。それはそれで綺麗だぞ」


「詳しいな。そういえば、いつの間に日本語を習ったんだ?」


 空港でレンタカーを借りるときに綺羅は日本語で会話をしていた。クリストファーは日本語を知らないが、傍目から見ていても綺羅の日本語はよどみなく出てきており相当慣れていることがうかがえた。


 綺羅が少し首を傾げてバックミラー越しにクリストファーを見る。


「あれ?言ってなかったっけ?オレのじいちゃんは日本人なんだよ。だから家では日本語と英語で会話をしていたから話せるんだ。名前も日本名だから気づいていると思ったんだけど」


 そう話す顔は少し彫りが浅いが典型的な西洋系の顔立ちであり、翡翠の瞳に赤茶色の髪をしている。どこをどう見ても黒髪、黒瞳が多く平らな顔をした日本人の血が混じっているようには見えない。


「詐欺だな」


 クリストファーの呟きにアクセリナも頷く。


「えー、なんで詐欺扱いなの?」


 綺羅の不満声が車内に響く。道は緩やかな下り坂になり、車はそこまで早くないスピードで坂を下っていく。


 何度も繰り返される上り下りと木々を眺めながらクリストファーが綺羅に訊ねた。


「こんなところに泊まれるところがあるのか?」


 民家どころか、すれ違う車さえない。だが綺羅は自信満々に答えた。


「これから行くところは老舗旅館で温泉が有名なんだぞ。たしか創業して二百五十年になるんだって」


「よく、そんなに続いているな」


「だろ?創業二百年を超える企業は世界に六千以上あるけど、その半分は日本にあるんだ」


「どうすれば、そんなに続けることが出来るんだ?」


「日本人は真面目で伝統を大切にするからね。そういうところが関係しているんじゃないかな?」


「ますます君にその血が流れているとは思えないな」


「ひどいなぁ」


 綺羅は苦笑いをしながらカーブに合わせてゆっくりとハンドルを切る。そこに突然、茂みの中から何かが飛び出してきた。


「危ない!」


 反射的に綺羅は飛び出してきた何かを避けようとした。その結果……


「キャッ!」


「うわぁ!」


 車は車道と飛び出して崖を転がり落ちた。



「おい、大丈夫か?」


 綺羅の声にクリストファーが目を開ける。車体はどう転がったのか運転席を下にして斜めの状態で急斜面の途中に生えている大木に引っかかって止まっていた。


 アクセリナがシートベルトを外しながら答える。


「大丈夫よ。シートベルトのおかげで軽い打ち身程度ですんだみたい。そんなに痛いところはないわ」


「なら、良かった。クリフは?って、おい!クリフ!大丈夫か?」


「だい……」


 大丈夫と言おうとして胸に激痛が走った。痛みで呼吸がうまくできないのだ。


 顔面に冷や汗をかいているクリストファーの状態にアクセリナが声をかける。


「ゆっくり浅く呼吸をして。綺羅、クリストファーを外に出せる?」


「あぁ。担ぎ出す」


 アクセリナは助手席のドアを開けて外に出ると、後部座席のドアを開けた。綺羅は車内を移動して後部座席に行くと倒れているクリストファーを抱え起こした。


「痛っ」


 痛みに顔を歪めるクリストファーに綺羅が声をかける。


「少し我慢しろよ」


 綺羅は車内をよじ登ってクリストファーの体を外に出した。


「ちょっと傷を見るわよ」


 アクセリナがクリストファーの上着をめくる。左の肋骨辺りが赤くなっていた。


「打撲ね。肋骨にヒビが入っているか、折れているか……とにかく自力では動かないほうがいいわ」


「救急車を呼ぼう」


 綺羅が携帯電話を取り出すが電波は圏外となっている。周囲は鬱蒼とした木々に覆われており、道路などの人工物は見当たらない。


 綺羅は拳を握りしめて言った。


「助けを呼んでくる」


「ま……」


 クリストファーが何かを言いかけたが綺羅は颯爽と走り出した。その後ろ姿を見てアクセリナが首にかけているネックレスを外す。


「なに……を……」


 話そうとするクリストファーにアクセリナが微笑みかける。


「無理に話さなくていいわよ。けが人は寝ていなさい」


 アクセリナはネックレスについている水晶を右手の手のひらに乗せると軽く息を吹きかけた。すると、水晶から炎のように赤い蝶が現れて綺羅を追いかけるように飛び立った。


「これで彼が迷子になることはないわ。あとは人を見つけられればいいんだけど」


 そう言いながらアクセリナが周囲を見回していると、一匹の小鳥が近づいてきた。その小鳥を見てアクセリナが呟く。


「思ったより早く見つけてもらえそうね」


 アクセリナが空に向かって右手を掲げると、小鳥は警戒することなくその指に止まった。アクセリナはゆっくりと右手を動かして小鳥を顔の正面に持ってくると優しく言った。


「連れがそっちに向かって走っているの。早く保護してあげて」


 小鳥はアクセリナの言葉を理解したように、こくりと頷くと羽根を広げて羽ばたいていった。


 クリストファーは痛みで朦朧とした意識の中、この幻想的な出来事が夢か現実か分からなくなってきていた。そんなクリストファーの視線を受けてアクセリナが安心させるように微笑む。


「少し寝たほうがいいわよ」


 クリストファーはその言葉を聞いて瞼が重くなった。どうにか目を開けようとするのだが、白銀の瞳を見ていると、なんとも言えない眠気が襲ってくる。


 アクセリナは眠ろうとしないクリストファーの深紅の瞳を隠すように左手で覆った。


「起きたら、いろいろと大変なことが待っているから。今のうちに休みなさい」


 クリストファーの意思とは反対に瞼が閉じられて開かなくなる。そして、そのまま深い眠りに落ちた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る