第29話

 オニキスが全身を痙攣させながら叫び声を上げる姿に、スピネルが慌てて体を動かそうとする。


「オニキス?!」


 どうにかオニキスに近づこうとするが、体が思うように動かせないスピネルに沙参は冷静に状況を説明した。


「死にはしない。ただ全身を引き裂かれる痛みに襲われているだけだ」


 沙参は言葉の内容の激しさとは反対に、なんでもないことのように軽く言ながら立ち上がった。体を包んでいた青白い光は消え、先ほどまでの動きがウソのようにボロボロになった体を引きずりながら歩いていく。

 途中で床に転がっているたれ耳うさぎのぬいぐるみを拾って懐刀をぬいぐるみの中に戻すと、そのまま血溜りの中で倒れている鴉に声をかけた。


「生きてるか?」


「……あぁ」


 鴉が全身の動きを確かめるように、ゆっくりと体を起こす。出血はほとんど止まりかけており、全身の傷も少しずつ塞がってきている。


 その姿に沙参がため息まじりに言った。


「ボロボロだな」


「お互い様だ。かなり無理をしたな」


「仕方ないだろ。それにしても体中が痛い」


 そう言いながら沙参が壁に寄りかかる。


「だが、よかったのか?オニキスと〝契約〟して」


「ああ、実はあれは……」


 沙参の言葉を消すように、ステラの必死な声が響いた。


「レグルス様!目を開けて下さい、レグルス様!」


 ステラの呼びかけにゆっくりと銀色の瞳が開く。


「……ステラ?」


「はい」


 ステラの黒い瞳に涙が溜まる。


「本物……ですか?」


 呆然と伸びてきたレグルスの手をステラがしっかりと握る。


「はい」


 しっかりと握られた手の感触に、レグルスはようやくこれが現実であることを確信した。


 夢の中で何度も掴もうとして掴めなかった、ぬくもり。


「遅くなって、すみませんでした」


「いいえ。ずっと水晶の中から見ていました。レグルス様が一族を守るために戦っている姿を。ありがとうございました」


 その言葉にレグルスは微笑んだまま、ゆっくりと息を吐く。


 完全に二人だけの世界に浸って感動の再会をしているステラとレグルスのところへ、無遠慮な足音が近づいてきた。


「これでいいか?」


 胸の前で腕を組んで二人を見下ろしている沙参にレグルスが微笑む。


「はい。ありがとうございます」


 外からヘリコプターや車のエンジン音が聞こえてきた。鴉が左手で右腕を押さえながら歩いてくる。


「レグルス、傷の手当をしよう。式とはいえ、長年使っている体だと回復に時間がかかる。処分は傷が治ってからだ」


「わかりました。ですが、私より彼らを先にお願いします」


 レグルスはシャンデリアと天井の下敷きになった人々を見る。


「彼らは私に命じられて動いていただけです。彼らに罪はありません」


「隊長!」


 到着した地上部隊の隊員が銃を片手に駆け足でホールに入ってくる。鴉が指示を出すと、隊員達は統率された動きでシャンデリアと天井の下敷きになった人々を掘り出していく。


 その中でやっと激痛が治まってきたオニキスが体を起こした。まだ全身が痛いらしく、動きはぎこちない。


 オニキスは周囲を見回し、土埃だらけの鴉とボロボロの沙参、そして上半身だけを起こしているスピネルを見つけて、慌てて頭を下げた。


「ごめんなさい!」


 突然の謝罪にスピネルが黒い瞳を丸くする。


「どうしたの?」


「オレが攻撃したんでしょ?」

「覚えてるの?」


「……覚えてない。でも、傷が増えてる」


 スピネルは左手に握っていたスイッチを収めて苦笑いを浮かべた。


「気にしないの。私がやれって言ったんだから」


「でも鴉さんにも迷惑をかけたし……」


 鴉が言葉をかける前に沙参が割り込んだ。


「一番、迷惑をかけられたのは私だ。ほとんど力が残っていなかったのに、あんな大技を連続で使わされたのだからな」


「え?あ、ごめん」


 どうやって元に戻したのかは聞かず、ただ謝るオニキスに沙参がため息を吐く。


「まあ、元に戻した代償については後で話す。痛みはどうだ?」


「まだ少し痛いけど、我慢はできる」


「そうか。とにかく、今はゆっくり休みたいな」


 鴉にシャンデリアと天井の下敷きになっていた人々の救出が終わったと報告が入る。それを聞いたレグルスが二階を指差して言った。


「離れにある西の塔の二階にフレアがいます。彼女もお願いします」


 聞き覚えのある名前にスピネルが立ち上がる。胸から下の感覚が戻り痛みを感じるが、動けないほどではない。


「フレアって血の持ち主のこと?」


「はい。すみませんでしたと、伝えて下さい」


 沙参が呆れたように言った。


「そういうことは自分で言え」


「……」


 無言でレグルスとステラの視線が交わる。そして二人で微笑みあうとステラが右手を掲げた。そのまま滑らかに指を動かしていくステラを止めようと沙参が叫ぶ。


「やめろ!」


 二人を包むように火が現れた。沙参は二人に手を伸ばすが、後ろから鴉に止められる。


「レグルス!ステラ!」


 火が絨毯の上を走り、炎となってホール全体に広がっていく。


「全員退避!退避しろ!」


 鴉の怒鳴り声が響く。全員がホールから逃げ出していく中、沙参が鴉を振りほどいて炎の中心へ向かって駆け出す。


「行くな!」


「止めるな!」


 暴れる沙参を鴉が抑える。


「レグルス!ステラ!」


 沙参の叫び声がホールに響くことなく炎に吸い込まれていく。


 これから静かに生きていくと思っていた。

 会えなかった時間を埋めるように。

 そっと寄り添って。

 今度こそ誰にも邪魔をされず。

 ずっと、ずっと二人で生きていくのだと。


「私は!私はこんな最期(こと)のために助けたんじゃない!」


 炎が迫ってくるが二人の元に行こうと沙参が暴れる。その姿にオニキスも沙参の体を抑える。


「沙参、ダメだ。」


「離せ!」


 ずっと。ずっと、いないと諦めていた。父上や母上以外で、初めて会えた……なのに!


「ステラ!」


 鴉とオニキスに体を抑えられ、引きずられるように沙参がホールから出て行く。


「何故だーーーーーーーーーーーーーー!」


 沙参の叫び声が遠くなっていく。




 二人は炎に包まれながら微笑んでいた。


「沙参様には悪いことをしましたね」


 レグルスの言葉にステラが頷く。


「とても、お優しい方でした。そして悲しい方でした」


「記憶を見たのですか?」


「私の記憶を見て頂いたときに、少しだけ」


 炎が二人の服に燃え移る。ステラはゆっくりと微笑んだ。


「沙参様も出会えるといいですね」


「そうですね」


「レグルス様」


 ステラが改めてレグルスの銀色の瞳を見る。


 この言葉を伝えるために、ずっと生きてきた。出られるかも分からない水晶の中で。

 やっと、伝えることが出来る。


「私をあなたの妻にして下さい」


 その言葉に、レグルスの炎に包まれた右手でステラの頬に触れた。


「はい」


 炎に包まれた二つの陰が一つになる。そのまま全てを呑みつくすように炎が城に広がっていった。

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