第7話 束縛 二、(最終話)

雨上がりの、朝の光溢れる街。どこの国かはわからない。

背中でバタンと扉が閉じる音。振り向くと扉は消えて無くなっていた。

この街のどこかに、久遠、あなたは必ず、いる。彼の傍に行こう。今すぐ彼のもとに行かなくてはならない。

あなた以外に私の行くべき場所は無い。

でも、どうすれば・・・。


私と同じ歳くらいの、聖歌隊の制服を着た子供達が歓声を上げながら駆け抜けてゆく。日曜日のミサだろうか?

途方に暮れ、俯いて歩いていると、水溜りに、逆さまの十字架が映る。見上げるとそれは教会の屋根に飾られた物である。

私は、導かれるように教会の裏手へと歩いて行った。

田園の中の小道を少し歩くと、小高い丘があり、墓地になっている。

幾つもの十字架の林立する中、私はある名前を探し、そして発見した。彼・・・久遠の姿を。時計草の蔓が絡みついた十字架にすがり倒れている。

重い身体を十字架から引き剥がした。十字架に刻まれた文字を見る。案の定、それはルビィの墓。

死ぬならこの場所で死にたいと、最後に願ったのだろう。陶器の人形のように白い、久遠の顔。体中、雨に濡れ冷たい。まだ、間に合うだろうか・・・。

重い身体を引き寄せ、頭を膝の上に乗せて仰向けに寝かせた。

近くの墓に備えてあった薔薇を一本右手に取り、棘を左手首に当て、思い切り引いた。カッと熱くなる動脈。赤い花のようにぼたりと落ちる血が、久遠の大理石のように白い唇を滑り、真珠のような歯を伝って、口腔に流れ込む。私はその様(さま)にうっとりと見とれていた。

やがて彼の喉がごくりと大きく動いて、命の赤い水を飲み込んだ。少しずつ血の気が戻り、頬と唇に赤みがさしてくる。

青白い瞼が静かに開く。

「きみ、か・・・」

そして私の左手首を見て目を見開いた。

「安心して久遠。私の血はもう尽きることはない。クロワゾンから魂をもらって、私はあなたの為に生まれ変わった。クロワゾンの血は、あなたを守ってくれる。あなたが飢え乾いた時にはいつでもこの血をあげる」

「馬鹿な娘だ。そんなことをしても、僕が君を愛するようになる保障などどこにもないというのに」

白い息を細かく吐きながら、彼は相変わらず冷酷な宣言をする。

「君は、まだ僕に生きろというのか? 彼女のいない世界で生きている意味はない。もういい加減に眠らせてくれ。僕を消してくれ」

「関係ないわ。あなたの気持ちがどうあろうと、私はあなたの傍にいたいだけなの。あなたはこんなところで・・・ルビィのお墓の前で一生を終わらせてはいけない。これからあなた自身の命を生きなくてはならない」

私は彼の頬に熱い頬を摺り寄せた。彼の身体に少しずつ体温が戻って来る。

「彼女は幸せに長生きして、愛情に包まれて一生を終えたわ。それはあなたが人としての魂を犠牲にした成果よ。彼女が亡くなって、あなたが今この場所に私と共に導かれたのは、きっとここをゼロの場としてあなたがあなたを生き直す為なのよ。この、ルビィのいない世界では生きられないとあなたが泣くのなら、私がルビィになる。いつも永遠に私はあなたの傍にいる」

泣きじゃくる久遠の赤い頬を両手で包んで、

「常に食料を携帯して旅しているようなもんだと思えばいいじゃない・・・いや、水筒かな?」

と、ジョークを言ってから、

「連れてって。本当に食料としか思ってくれなくてもいいから」

久遠の肩に顔を埋めた。血が脈打つ音が聞こえる。私の目にも涙が溢れてくる。

「・・・僕は・・・君の血によって、君に束縛された"奴隷"というわけか・・・」

「そうよ。だからあなたは私の命令に従わなくちゃ、絶対に」

「君の為に、生き続けろ、と」

「そう、生き続けるの、あなたの人生を。それが私のあなたに課す使命」

久遠の両腕がゆっくりと私の身体を抱き締め、そっと身を起こす。

「この世界のどこかに、僕が僕として生きられる街があるというなら」

独り言のように呟く。

「探しに旅に出てみようか。君の命令どおり」

そう言って、私の手首の、既に塞がりかけた着ずに舌を這わせた。


半円に近い完璧な虹が、遠く浮かぶ山脈に掛かっている。

彼は私の手を取って、立ち上がった。

「いつか、君に感謝することが出来るのだろうか。束縛してくれてありがとう、と」

返事は出来ない。未来のことなんてわからないから。だけど。私がここにいて・・・思い出の中なんかじゃなくて、手に触れられるここに、ずっと傍にいるよと、伝えたくて彼の手に頬を摺り寄せ、縋りついた。


教会の中から子供達の清らかな歌声が流れて来る。

私は、彼らと同じように歳をとることはもう無いのだろう。クロワゾンによって永遠にこの、十三歳の姿のままで時を止められてしまったから。

・・・構わない。永遠の孤独から彼を救い出せるのなら。私は、幸せ。間違いなく。

彼は虹のほうへ一歩を踏み出した。私の手を固く握り締めて。


<終>

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Ruby~忘却の森奇譚~ 琥珀 燦(こはく あき) @kohaku3753

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