プロトメサイア

 ティッシュの切れ端ほどの重さもない銃弾のはずなのに銃声はやけに大きいのだなと、混乱する俺の意識は全く関係のないことを考えることによって冷静さを保とうとしていた。

 すでにその思考が冷静さを欠いているにもかかわらず。

「犬だ!軍用犬が襲いかかってくる!」

「銃弾は効くぞ!犬は怯む!」

「問題は後方で様子を伺う奴らだ!」

「ドローンから発砲!」

「俺たちを後ろから撃つんじゃない!」

 結構な数の日雇い労働者が正門に配置されていたようで、レイヤーに流れるログは理解する前に流れていくほどに早い。有用な情報は少ないが、その少ない情報が裏門に襲撃があった時の命綱になりかねない。

「板挟み状態じゃねぇか……」

 チャーリーがつぶやく。戦場を混乱させているのが、味方であるはずの壁の内側から放たれる銃弾であることはログを見れば明らかだ。敵襲さえなければこの状況は起こり得なかったとはいえ、敵襲が起こり得るからこそ俺たちは雇われたのである。法治国家にあって肉壁などという人権を無視するような捨て駒を世論が許すはずもない。

「……俺たちも敵襲の側としてカウントする、ってことか」

 そのための日雇い労働者だったのだ。浮浪者に近いネットカフェ難民のような人間たちが集まるだろう日雇いの仕事として求人を出したのは、身分のあやふやな人間やハラールの高い人間を選ぶことで、労働者がどちら側の人間だったのかを外部から語れる人間をできるだけ減らしておくことが目的だったということだ。

「それはあまりにも考えがえげつないだろ」

「それが最も辻褄があう考え方だってだけだ」

 確かに、チャーリーの言うことは分かる。しかし、労働者を肉壁として雇用し、その後ろから銃弾を浴びせる戦い方を平然と行えるにはそれなりの心の拠り所が必要だ。正規の警備兵はもしかしたら「敵側の人間だが、最後のチャンスを与えてやっている」とでも説明されているのかも知れない。

 正門での戦いは10分を超えて、銃声の頻度は緩やかになったものの、膠着状態に近い小競り合いは続いているようだった。銃声とは違う爆発物の音が森を揺らしたかと思うと、たちまち土煙が上る。一瞬強い光が建物越しに見えるのはスタン・グレネードだろう。あれやこれやと手段をもっているが、それが襲撃者によるものなのか、はたまた壁の内部にいる警備兵のものなのかは判別がつかない。

 正門からのコメントログは、もう流れてこなかった。

 代わりに、俺たちのように別所に配置された労働者の、恐怖に怯えるログが流れてくる。

「帰りたい……」

「おい、正門は全滅か?」

「俺は正門に近いところにいるが、まさしく戦場って感じだ」

「なぜ助けに行かなかった!?」

「行けるわけないだろ!?敵襲と内部からの攻撃の挟み撃ちだぞ!」

「おい……誰か反応しろよ」

 同情に近い感情は、次に自分たちが同じ目に遭うかも知れないという恐怖の裏返しだ。本当に、俺たちには肉壁以上の存在意義がないのだということをまざまざと見せつけられている。

 日雇い労働者の誰もが、足が竦んで自分のいる場所から一歩も動けずにいた。

「キング、正門が膠着状態になれば必然的に敵方は搦め手が必要になる」

 チャーリーは努めて冷静に告げた。

「つまり、次に来るのは裏門だと?」

「その可能性が一番高い」

 有刺鉄線の壁を上って突破する、あるいはその下のコンクリート壁を破壊して突っ切る、という方法は敵方がコンクリート壁や有刺鉄線の強度を事前に知っているかどうかで決まる。古い施設はハラールの低い建材を用いていることが非常に多く、苔むしたコンクリート壁とその上に巻きつく有刺鉄線もまた、ハラールは低いだろう。敵方がどのような方法で武器を手に入れたかは想像するしかないが、昔の建材に比べてハラールが同等かそれ以上に低い兵器を持っている可能性は低く、従って破壊は非現実的だ。

 上って突破するには時間がかかり、内部の警備兵や監視カメラに映ってしまう。何より、最初に用いた戦術が正面突破であることを思えば、搦め手もそこまで手の込んだことを行なう襲撃者とも思えない。

「しかし、二人だ」

「いや、鉄格子の内側に人の気配が増えている」

 チャーリーの言葉で鉄格子の扉を見ると、それまでは何人か見えていた警備兵が一人として見えなくなっていた。

 警戒しているのだ。人の姿が見えなくなった代わりに、警備兵の持つ銃の先端が時々こちらをうかがっている。上空を飛ぶドローンは俺たちを監視している二機の他にも何機かのドローンがカメラと銃口を向けている。

「こちらに銃口を向けていることに変わりはないだろ」

「まったくだな。今日初めて顔を合わせたが頼りにしているよ、キング」

 映画のようなチャーリーの口ぶりとウィンクに思わず苦笑いを浮かべる。

「敵の本隊が正門だけであってくれればそれが一番なんだが」

 既に不幸に見舞われた労働者たちはご愁傷様だが、俺たちが最も生き残る確率の高い想定としてはそれ以外になかった。

 しかしその想定も、次の瞬間にはもろくも崩れ去ってしまう。

 俺とチャーリーの間に、コーヒー缶のようなものが一つ、森の方から投げ入れられた。電子音と共にその缶は急激にスモークを放出する。ブシュウ、という音に驚いて鉄格子の間から一人の警備兵が顔を覗かせたが、すぐに別の誰かの腕によって引き戻される。

「煙幕か!?」

 煙はすぐに一帯を覆うかと思われたが、それにしては白煙は重たく膝の辺りまでの高さに充満している。

 何かが投げ入れられたことによって、俺とチャーリーはすぐさま立ち上がったが、背を向けた木から離れて不用意に動けば、やってきた敵の餌食になるのは火を見るより明らかだ。状況上、煙幕が無暗に広がらないのは僥倖だ。壁の内部にいる警備兵が俺たちを視認できなくなれば、一帯が斉射対象になってしまう可能性は十分にあり得た。

「違う!これは毒ガスだ!!」

 チャーリーが叫ぶと同時に、カランコロンと立て続けに複数の毒ガス缶が投げ込まれた。ブシュウ、ブシュウと毒ガスが噴き出して、空き地の草や苔が見る間にしおれ始めた。

「枯葉剤!?」

 想定が間違っていようが、動植物にとって危険な毒薬が人間に有益なはずがない。

「こんなハラールの高いマスクで防げるのかよ!」

 戦闘用ヘルメットに付属のマスクは羽毛のように軽い。おそらく支給されたプロテクターの類も、強化プラスティックなどの使用による軽量化などではなく、単純にハラールが高いのだ。

 銃声。

 森から放たれた一発の銃弾は、上空のドローンを一機、撃ち落とした。複数機いる中の一機を撃ち落として何の意味があるのかという俺の思案は、すぐに最悪の答えを導き出す。

「いいからマスクをつけろ!ドローンの羽で毒ガスを拡散させるつもりだ!」

 充満した毒ガスが、錐もみ状に墜落するドローンのプロペラによって拡散される。地面に落ちたドローンは制御を失い、船上に揚げられたカツオのように暴れまわった。暴走は毒ガスを拡散させ、辺りはどんどんガスが充満し、視界を奪う。

 掃射が来る……!

 懸念が現実になれば俺たちは警備兵によって蜂の巣にされるだろう。この場の俺たちの命は、野良犬ほどに軽い。毒ガスが充満しきる前に、身を守る方法を考えなければ。

「キング!鉄格子の真横、コンクリート壁まで走れ!」

「それでは襲撃者に発砲される!」

「フレンドリーファイアされるよりマシだ!」

 チャーリーが駆け出す。それに倣って俺も同時に動き、襲撃者側の銃撃に怯えながらも、コンクリート壁に背を向けて立つことができた。鉄格子の裏門を挟むように立っているので、狛犬のようだ。

 しかしそれでは襲撃者から完全に体を見せることになる。まして裏門の鉄格子内には警備兵がうようよと存在している。銃撃にやられる可能性はむしろ高まっているようにさえ感じられた。

「恐らく敵側からの銃撃は、ない」

 毒ガスは風に乗ってコンクリート壁にぶつかり舞い上がる。胸の辺りまで毒ガスが攪拌されており、身を屈めて銃撃される面積を狭めることもできない。

「どうして言い切れる」

「毒ガスを使ったからだ」

 正門が陽動で派手な銃撃戦に見せているとすれば、裏門でわざわざ毒ガスを使用する意味は陽動からの暗躍に他ならない。派手な動きをこちらでも見せてしまえば膠着状態に陥った正門から新たな襲撃のある裏門に警備兵が再配置される可能性がある。

「一理ある。が、ここも陽動である可能性は」

「もしそうだとしたら、既にコンクリート壁に到達していて、何かしらの工作がなされていてもおかしくない。正門と裏門以外から入ろうとすれば時間がかかる」

 陽動はそれが行われているうちに裏で作業を進める必要があり、陽動が収まってから動き出すのは愚の骨頂だ。

「こうして姿をさらしても銃弾が飛んでこないのが証拠だ」

 確かに、これほど無防備な姿をさらしても一向に森の方から銃弾が飛んでくる気配がない。それどころか、これだけのことをしているというのに、襲撃が続く気配すらない。

 毒ガスをまくだけで諦めたのか……?

 正門と同じように膠着状態が裏門でも続けば、いよいよ警備兵が痺れを切らしかねない。銃撃がないとして、敵側は毒ガス以外に何を用意していると言うのか。

「なあ、キング。原初の種火って言葉を知っているか?」

 鉄格子を挟んで向こう側で突飛なことをいうチャーリーに思わず驚く。

「いきなりどうした?」

「俺はこの襲撃に原初の種火が関わっているような気がするんだ」

 チャーリーに言われて改めて思い出す。原初の種火という言葉だけが先行したテロ組織。目的も信条も分からぬ暴力装置。しかし、役目を終えたマイニング施設に何の用があるのだろうか。

「原初の種火は組織の手段だと聞いたことがあるが……」

 俺のつぶやきに、チャーリーが目を瞠る。

「その話は……どこで聞いた?」

「風の噂だよ」

「そうか」

 短い返事で切ってそっぽを向くチャーリーの視線の先、茂みの中がわずかに揺れたような気がした。指摘しようとするよりも先に、チャーリーがこちらを見返して言った。

「原初の種火は確かに手段だ。プロトメサイアというテロ組織が所持する破滅の炎、それが原初の種火だ」

 チャーリーの目が据わっている。

「チャーリー……お前」

 瞬間、チャーリーが懐からコーヒー缶のようなものを取り出して、鉄格子の中へ投げ込む。地面に落ちると同時にブシュウと音が聞こえて壁内部が騒然とする。

「顔を背けろ、キング!」

 俺とチャーリーの間に炎の壁が出来上がった。炎の壁は鉄格子内部でさらに燃え上がり、警備兵のくぐもった呻き声が聞こえてくる。熱波が肩を焼く感覚に襲われて思わず体をよじらせると、炎の壁が何によって作られたのかが理解できた。

「火炎放射器だ」

 敵襲だった。俺たちと同じように戦闘用の装備に身を固めた人間が腰に構えた火炎放射器をこちらに向けて放っている。炎は毒ガスに触れて更に勢いを増し、辺り一面はあっという間に炎の海と化す。

「これが原初の種火だとでも言うのか!?」

 放射器から放出される熱波は鉄格子内の毒ガスに引火している。その毒ガスは、チャーリーが投げ入れた缶から出たものだ。

「違うよ、キング」

 あまりの熱さに身を屈めてその場で耐えようとする俺を見下ろして、チャーリーが告げる。据わった目は冷淡そのもので、熱波と炎の世界において彼だけが太陽の黒点のように冷たい目をしていた。

 M416の銃口が俺を睨みつける。

「原初の種火はこれから使うんだ」

 発砲。自動小銃から放たれる銃弾が屈んだ俺を容赦なく穿つ。

 ほんの数瞬でマガジンは空になり、チャーリーはすかさずプロテクターのベルトに提げられた別のマガジンに付け替えて再び俺に向かって発砲した。

 ハラール99.9パーセントの銃弾に、効果があったのは戦闘用ヘルメットだけだった。プロテクターがハラール何パーセントなのかは知らないが、ほとんど用をなさず、銃弾は俺の四肢に食い込み、鋭い痛みが皮膚を襲う。

 同時に、火炎放射器の炎の壁を切り裂くように鉄格子内と、上空のドローン、それから壁に備え付けられた監視カメラに森側からの銃撃にさらされた。

 確かに、チャーリーと俺に襲撃者からの銃弾は飛んでこなかった。

 チャーリーは襲撃者側だったのだ。日雇い労働者に紛れてスパイとして活動し、施設への侵入を手引きするための人員、それがチャーリーの役割なのだ。

「チャーリー……」

 呻き声は地面に溶けて沈む。

 二つ目の弾倉が空になって、銃撃が止む。森の方から人の気配を感じたが、俺は銃撃による痛みで動けずにいた。いつの間にか亀のように身を縮めて、銃弾を背中で受けている。首を捻るようにして視線を上げると、M416を地面に投げ捨てるチャーリーに襲撃者が駆け寄った。

 代わりの武装を用意してきたのだ。

 M416と似た形の自動小銃と、防弾ベスト。ヘルメットはそのままだったので、コメントログにはチャーリーの襲撃者に語る言葉が流れている。

「ハラールの高い銃弾の殺傷力なんてこんなもんか。いや、キングが日雇い労働者の割にハラールの低い人間だったってことか?いずれにしてもしばらくは動けないだろう。いい、捨てておけ。所詮は日雇い労働者、そいつの言葉を信用する奴はいねえよ」

 こうすればいいだろう、とログが出たかと思うと、頭を掴まれて強引にヘルメットとマスクを脱がされる。呻き声をあげる俺を地面に放り捨てて、赤熱する鉄格子を襲撃者の一人が蹴飛ばした。

 火炎放射器によって毒ガスのほとんどは燃え、周囲の木々に引火しはじめている。しかし毒ガスの一部はまだ下に溜まっていた。マスクを脱がされたのは、自動小銃で死ななかった俺にとどめをさすためだろう。

「オーケー、クリア」

 鉄格子内の警備兵はみんな火炎放射器によってやられてしまったらしい。丸太のような重たい何かがゴロゴロと蹴転がされている音が地面に触れる頬に震動として伝わってくる。道を開けるために警備兵だったものを端に寄せているのだろう。

「今のうちに施設内に入る。来い、遥」

 ……遥。今、連中は遥と言ったか?

 銃撃による痛みとわずかに吸い込んだ毒ガスによる脳の奥の痺れを振り切って人影を探す。頭の辺りに人の気配を感じて顔をそちらに向けようとしても、体が言うことをきかない。

「遥……体重が5キロの……」

 その場に立ち止まったのが分かった。

「どうした、遥。キングに何か言われたか?」

 チャーリーが尋ねる。立ち止まった気配はあるが、それ以上はなく、すぐに足音は遠ざかってしまう。

「何でもないわ、行きましょう」

 それは確かにあの時の遥の声だった。

智広ちひろ、あの人は原初の種火について何か言っていた?」

 遠ざかる声が、薄靄のかかった意識の外側に響く。

「組織の手段だということを知っていたよ」

「そう……」

 俺の意識は、そこで途切れた。

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