マイニング工場跡地にて
「訓練はすでに受けたものとして話を進めさせていただきます」
黒と白のスーツ姿をした男性が、俺たちの前に立っている。
俺たち、と言ってもほとんどは初めて顔を合わせたような日雇い労働者だ。それぞれ肩に銃を提げて、戦闘用ヘルメットに防弾ベスト、プロテクターを装着している。お仕着せの既製品ばかりで、どれも労働者の体にフィットしていなかったが、それを咎める者もない。いざとなったら逃げる覚悟が出来ていたし、おそらくスーツ姿の依頼者の方も、戦力として俺たちを勘定し期待していない。
最悪、肉壁になって死んでくれれば、とでも思っていることだろう。
「訓練っつってもよォ、銃の扱い方をテレビで見たくらいなもんだゼ?」
俺たちの方に整列している男の一人がどなるように申し立てた。
「本日はこちらの施設を防衛していただきます」
「無視かよ」
「施設に張り巡らさせた有刺鉄線付きのコンクリート壁を最終防衛ラインとし、強襲を防いでください。この場所にやってくるあなた方と私を除く全ての人間を敵とみなして発砲して構いません」
確かに、こんな場所に人がのこのこやって来るなどと言うのは考えられない。
夜が明けぬ前にバス乗り場に集合し、車内テレビで銃に関して説明される。銃の名称はM416、シュトゥルムゲヴェーアと分類される自動小銃で、連続した射撃が可能であり弾倉を取り換えて運用する。構え方、安全装置の外し方、弾倉の着脱方法、弾倉への銃弾の込め方……。飛行機が不時着してしまった時用の機内装備アナウンスのように淡々と説明されるそれを、労働者たちはそれぞれの座席でぼんやりと見ていた。ほとんど寝ているような奴もいたように思う。
訓練と豪語するバス内のレクチャーが終わると、バス内には催眠ガスが充満し、一眠りのうちにこの場所へと連れてこられた。実際に現地で自動小銃を渡されて、俺たちは事の重大さに気づくと同時に、なぜこの求人だけ日当がべらぼうに高かったのかを理解したのだった。
鬱蒼と茂る樹海のような森の中である。かろうじて差し入る日光が昼間を告げる程度で、それが午前なのか午後なのか、あるいはもう既に一日が経過しているのかすらも分からない。スーツ姿の男の後ろにはものものしい軍事施設を思わせるコンクリートの建物が、苔むしたコンクリート壁に包まれるようにして建っている。壁を区切る厳つい鉄扉は端々が錆び付いているのにもかかわらず、そこだけ出入りの形跡がはっきりと残っており、施設が今も使われていることがうかがえた。俺たちの足下は砂利で踏み固められた一本の道があり、それは背後にずっと続いている。山道を何時間も歩かされてようやくたどり着いた辺境、人間の世界のどん詰まりのような場所だった。
それ以上に、俺はこの場所が何なのかを知っている。いや、それは昔の話で、今は全く別の施設である可能性の方がずっと高いのではあるが。
「皆さんに支給されたM416は、型落ち品ではありますが頑丈で取り回しが良く、何より銃弾がハラール99.9パーセントなのが特徴です」
その言葉に、その場の誰もが驚いた。
「なんだそりゃ!?何もないって言っているようなもんじゃねぇか!」
99パーセント以上が情報重ということは、その銃弾はほとんど存在していないと言ってよい。俺たちのうちの一人が弾倉を取り外し、そこから一本の銃弾を抜き取った。
「本当だ……これはほとんど空気だぞ」
抜き取った銃弾が労働者間を巡っていく。俺にも渡されたが、鈍色の銃弾はたんぽぽの綿毛ほどの重量も感じない。そこにあるはずの重量がホログラムで出来た錯覚のようにさえ感じられる。
そのくせ、手に馴染む冷たい温度や金属質の硬さは見た目通りの銃弾そのものなのである。
「特殊な製法を用いて作られた銃弾で、非常にコストパフォーマンスに優れます。また、ハラールの関係上、体重が70パーセントを超える動植物には無害です」
逆に言えば、体重が情報重の7割を超えていなければ何らかの形で怪我を負うということだ。日雇い労働者のような、ハラールの高い商品しか買えないような連中は、ほとんどが体重に比べて情報重の方が比率が上だ。弄ぶように銃弾を手に取って受け渡す俺らを前にして、スーツ姿の男は微動だにしない。男の肉体は体重の方がずっと多いのだろう。
体重の比率が高いことはその物の存在の重さにつながる。それが如実に分かるのは大相撲に代表される格闘技で、姿形は立派な力士がハラールの低い中学生に敗れたというニュースが記憶に新しい。角界はいつの間にか情報重によって容姿のかさ増しをしており、巡業中の交流でハラールの低い中学生が幕内力士を投げ飛ばしてしまったのだ。
――お相撲さんなのに、軽かった。勝てると思ったら、本当に勝てた。
レポーターの質問に答えた中学生は、ハラール10パーセントという上流家庭の出身だった。
「そんな銃弾が敵に効くのかよ」
敵、という言葉が日雇い労働者の間に小波となって響く。これから俺たちはなんらかの敵と戦わされるのだ。肩に掛けたM416と、そこから発射されるたんぽぽの綿毛のような銃弾とで。敵対する相手にダメージを与えるにはあまりに貧弱なように思えた。
これなら、銃弾で圧倒するよりも自身の拳の方が敵に打撃を加えられそうにすら思う。
「関係ありません。あなた方に課された勝利条件は、施設の防衛、それのみです。敵の殲滅はその手段でしかありません、間違いなきよう」
ずれた眼鏡を拳で眉間に当てるようにして押し上げるスーツ姿の男は、それと、とごく軽い口調で付け加えた。
「施設内には、本職の警備兵が備えております。最終防衛ラインが突破された場合、ハラール50パーセント以下の銃弾があなた方の安否を無視して発砲されることになりますので、ご注意ください」
己の命が惜しければ、逃げろと言われているようなものだ。
「なお、現在の時刻より24時間を作戦時間とし、作戦時間内に施設から一定以上の距離を離れた者は、周囲を偵察するドローンによって記録され、のちに処罰されますので、逃亡などお考えになりませんようお願いいたします」
遠巻きの死刑宣告である。
施設内には入れず、施設から離れて逃げることも許されず、最終防衛ラインが突破されると内側から容赦なくフレンドリーファイアが飛んでくる。作戦の成功以外に俺たちの生き残るべき道はなく、しかし敵の情報は未知である上に装備はあまりに心もとない。
「八方塞がりじゃねぇか!」
「いいえ、勝利条件の達成という一方通行です。どうぞ頑張ってください」
バラバラバラバラという音が空から聞こえると同時に、スーツ姿の男性の真後ろに縄梯子が一本降りてきた。男はそれに掴まると縄梯子ごと上昇して、その場から去ってしまう。
錆び付いた鉄扉の小さな窓から誰かが睨んでいる。
「おい、その扉からこっちを見ているあんた……」
助けを求めて俺が近づこうとすると、小さな窓は閉じられて、代わりに鉄扉の上部隅につけられた二台の監視カメラがモーターの駆動音と共に俺を睨みつけた。
『余計な詮索はするな。これから24時間を作戦時間とする。防弾ベストにつけられたイヤホンを耳に装着し、指示に従って配置につけ。お前らの命は作戦の成否にかかっている』
どこにあるのか分からないスピーカーからの音。「作戦の成功はお前たちの働きにかかっている」というお決まりの激励ですらない無慈悲な宣告に、心胆はすっかり冷え込んでしまう。
俺たちはベストに備え付けられたイヤホンを耳にはめた。イヤホンから流れる声はスピーカーのものと同じで、指示に従ってヘルメットのボタンを押すと、簡易な情報が現実の上にレイヤーとして現れた。
「すげえ、味方の位置が分かるぞ」
「FPSのゲーム画面みたいだ……」
「情報量が多すぎる、意味が分からん」
「右下に周囲マップがあるぞ、それでおおよその位置は掴めそうだ」
労働者が思い思いにつぶやく言葉が、視界の端にコメントログとして浮かび上がる。
「必要な情報がログとして流れてくるということか……」
俺のつぶやきも労働者たちの間に流れているのだろう。
M416の使い方はヘルメットの操作によって再度確認が可能らしい。バス内の説明を聞いていなかった何人かが、その場で銃の動作を確かめている。俺はイヤホンの指示に従い、施設の正門とは反対側の、裏口にあたる方へと向かった。
苔むした壁づたいに歩き始めると、後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「アンタももしかして裏門担当か?」
がっしりした体型の溌溂とした男だった。
「俺の名前はチャーリー、よろしくな」
配置場所が同じならば名前で呼び合い協力することもあるだろう、とチャーリーは言った。確かにその通りなので、俺はいつも使っている偽名で自己紹介した。
「カナタ?カナタのイニシャルはKか?ならここじゃあキングだな。俺はお前をキングと呼ぶ」
わざわざ偽名をさらに偽名にする意味はないだろうと思ったが、どうやらフォネティックコードとかいうものに関係しているらしい。知らないと言うと驚かれた。
「キングはバトルフィールドとか知らないのか?」
「知らないね」
レトロな電源ゲームの一つで、ファーストパーソンシューティングという種類のアクションゲームなのだという。銃火器などの武器を持って戦場を駆け巡り目的を達成するゲームで、チャーリーは暇があればそういうゲームで遊んでいるのだと言った。
「遊ぶ時間惜しさに手っ取り早く金が欲しくて日当の高い仕事を選んだんだが、まさかこんな命がけの仕事だなんて思わなかったよ。でも、銃撃戦ならゲームで慣れてるから得意だ。本物を体験できるかもしれないなんて、ちょっと楽しみだぜ」
ウキウキするチャーリーはお気楽な大学生だった。
「キングはどうしてこんな仕事を?悪いがアンタくらいの年齢ならもっとマシな職に就いていると思うんだが」
怖いもの知らず、という美徳は俺の人生に持ちえなかったものだ。
俺とチャーリーの歩幅が重なって、ブーツはくるぶしほどまで枯葉に埋まってしまう。施設の側面は窓一つない完全なコンクリートの塗り壁だ。庇のようにはみ出した屋根すらなく、ごま豆腐の切り落としのような建物が有刺鉄線の壁で包まれている。
「俺はな、この施設について調べていた」
「キングはこの施設が何なのか知っているのか?」
日雇い労働者の誰一人として、この守るべき建物が一体どのような目的で建てられているのかを知らない。スーツ姿の男は説明する気もなかったし、説明したところで労働者の動機づけにならないことを知っていたのだろう。
チャーリーは目を輝かせて俺の方をうかがった。俺の職業が何であるかなどという世間話が、より大きな世界の謎に近づいたような錯覚に囚われているのだろうか。そんな大層なものではない、と前置きしつつ、俺は建物の正体を告げる。
「これは、マイニング工場跡地だ」
「マイニング?探鉱にしてはずいぶん大人しいように感じるが」
「掘り起こしているものが違う。仮想通貨については知っているか?」
仮想通貨。中央銀行によらない通貨が一時期大きなバブルを生んだ。ブロックチェーンという技術によって裏付けられた通貨取引は、常に、流通する通貨とは別に新通貨が発行される仕組みを持っており、その仕組みによって新通貨を得ることをマイニングと言った。
マイニングは莫大な計算力とそれを維持する電力を必要とし、そのために各国でマイニング用の工場が作られたのだ。
「ここは、そのマイニング工場の一つだったはずだ」
「でも、もう仮想通貨のマイニングなんて誰もしてないはずだが」
そう。ブロックチェーン技術は革新的なものではあったが、仮想通貨自体が投機目的の人間によって利用され始めたという経歴によって、バブルとその崩壊に寄与し、一時は経済危機を起こした。今でこそ単なる通貨としてごく一部で機能しているが、投機目的以外で仮想通貨を積極的に使おうという者はごくわずかだ。それに伴ってマイニングにも旨味はなくなり、各国でこういったマイニング工場の跡地が風化に怯えながら残っている。
この施設も、風化にさらされた施設の一つのはずだった。
俺が仮想通貨に関して研究をしていた大学院時代、この施設について知った時はまだ施設は稼働中であった。下火になったマイニング事業は元々が政府や自治体主導のプロジェクトで、血税が予算として注がれている分、撤退するのも難しいというジレンマを抱えていた。
どこかの誰かに格安で施設ごと売り下ろされたという話を聞いたのは、修論を書き終えてしばらくしてからのことである。
「じゃあ、この建物の中には膨大な量の演算機があるってことか」
「正確には建物の地下に、だな」
レイヤー上に示される配置場所に着くと、俺とチャーリーは軽く周囲を見渡した。広がる森は木々が密集しており300メートルの先ですら視認が怪しい。木々に隠れて距離を詰めてこられたら、森の途切れたこのコンクリート壁周辺のわずかな空き地が戦場になるのは目に見えている。そして俺たちの方には……。
「身を隠す術がないぞ」
「これ、めっちゃ不利……っていうか生存度外視の配置だ、こんなの」
本当に肉壁以上の働きを期待していないかのような配置である。ふと上空にさした影を見れば、静音のドローンが二台、クラゲのように漂っている。周囲の監視用なのか、あるいは俺たち二人の監視用なのか。
「そこの木に体を寄せて周囲を警戒すべきだな」
チャーリーに倣って、自分よりも太い幹に背中を預けると、施設の裏門とその施設の倉庫のような全容が一面を覆った。裏門は正門に比べて半分ほどの大きさしかなく、向こうが鉄扉だったのに対して、こちらは塗りの剥げた鉄格子だった。格子の間から見える中の様子は、寂しく、がらんとしている。
「壁内部には人がほとんどいないぞ。こちらからの襲撃は可能性が低いと考えられているのか……?」
「なあ、キング。演算機が建物の下にある、ってどういうことだ?」
背中を木の幹に押しつけたチャーリーがこちらをジッと見ている。肩に掛けていた銃は既に両手に収まって周囲の警戒も怠っていない。しかし好奇心には勝てなかったのだろう、彼は俺の話の続きを催促する。
「演算機は熱に弱い、並べられた演算機は計算処理に大量の熱を放出する。また演算機は電力を食う、その電力を安価にまかなえることもマイニング工場の条件だ」
「それが地下に演算機を埋めることと何の関係が?」
「施設の一番下には地熱による発電施設があり、そこで得た電力を利用して演算機は稼働する。同時に、冷却設備もその発電施設でまかなった」
施設を一元化するために、地下で全てが完結するシステムを最初に発明したのは、中国でマイニング工場を設計していた日本人だという。2年遅れで工場設備を導入した日本は、仮想通貨事業においてその時点で中国に大敗を喫していた。
「なるほどな、まさしく遺産って訳だ」
「しかし、見てみろ」
俺が顎でしゃくってチャーリーの視線を鉄格子の中へ向けさせる。
「施設は動いている。冷却設備には室外機が必要で、室外機は施設外に出さなければ機能しない」
「……動いているな」
耳をすますと、微かに大型のファンが回る音がする。工場に見えるものの実情は、室外機用の煙突みたいなものだ。
「少なくとも、冷却設備を稼働する必要があるようなことが内部では行われているという事だ」
「それを守るためにわざわざこんな戦争の真似事を?」
よほど重要な何かなのだろうが、それにしては防衛が杜撰でもある。内部に正規の警備兵が待機しているとはいえ、外に使い捨てのような日雇い労働者を配置する必要があるのだろうか。
「……チャーリーはどう考える?」
「金が無かったんじゃねぇか?あるいは、この24時間だけ警備を増やさなければならないような何か……例えば襲撃予告が流れたとか」
「襲撃って、前時代の遺産に恨みを持つような奴が……」
会話に割り込むように、施設の正門の方から発砲音が聞こえる。俺とチャーリーは顔を見合わせて、胸騒ぎを共有した。
「敵襲だ!」
「本当に何か来やがった!」
「早い!」
「人じゃない!」
「防衛ラインを突破されていないのに後ろから撃たれている!」
レイヤーに流れるコメントログ。
手のひらがじわりと汗ばむ。チャーリーは自然と銃を立てて周囲への警戒を強めた。
「助けに行くか?」
小声で、しかしチャーリーに届くように言うと、チャーリーは頭を横にふる。
「持ち場を守ることは重要だし、指示は絶対だ。それよりも背後に注意しておけ。正門が陽動の可能性がある」
ゲームで慣れているのだろう。チャーリーの思考が戦場のそれになっているのに、俺はわずかな頼もしさを感じていた。
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