PROTO MESSIAH

雷藤和太郎

相克…矛盾する二者が勝つために争うこと

 彼女は、とても軽かった。

 自らをはるかと名乗ったが、一夜の関係にわざわざ本名を晒すはずもなく、ベッドの上で互いに呼び合うその名前がそれぞれ誰でもない可能性を誰が否定できようか。

「カナタは、とても重いのね」

 遥が俺の腕の中でつぶやいた。遥にだけ使った偽名、奏太かなた

「バカ言うな、これでも情報重の方が体重より重いんだ」

「今時の女性はみんな情報重の方が多いわ。ダイエットに成功した、ってブクブクの格好で言っているの、テレビで見たことないかしら?」

「あるよ、あれほど滑稽なことは無いね」

 備え付けのテレビには、バラエティ番組が流れている。重い芸人と軽い芸人がそれぞれひな壇に座ってトークを繰り広げているが、その体型はどちらのひな壇も様々である。体型からはその人の体重を量れないのだ。

「体重の軽重で分けてトークをすることに何の意味があるんだか」

「あら、私たちは常に容姿と体重を気にして生きていたわ。ダイエットという言葉が本来の健康という意味を失って減量という意味になるくらいには、ね。皆、体重を気にするのよ。少なければ、少ないほどいいのだから」

「だからって情報重に偏ってブクブクの見た目を省みることもない人間が多すぎる。いくら情報重が体重ではないからと言って、見た目を無視してまで摂取していいものでもないだろうに」

「その通りね」

 遥は体を起こして、ベッドからするりと立ち上がると、壁際のデスクの下にある小さな冷蔵庫を開いた。中には缶ビールが数本入っており、取り出すとチェックアウトの時に追加料金が取られる仕組みだ。

「飲んでもいいかしら?」

「好きにしなよ」

「カナタは?」

「30パーセントを」

 度数を告げると、遥は缶に表示されたハラールを見た。

「30パーセントもずいぶんと値上がりしたのね」

 ハラールに表示される度数による値段の違いに遥は驚いているようだった。

「いまさら情報重を気にしても仕方ないんだけどな。ただのフレーバーだ」

「そんなことないわ。出来るだけ重さのあるものを選びたいというのは、人間として正しいことだと思うもの」

 ハラールに表示される度数は、情報重の割合だ。30パーセントという表示は、その飲み物に30パーセントの情報重が含まれているということ。350ミリリットルの缶ビールならば、約100ミリグラム分が情報重である。

 遥から缶ビールを受け取る。

「やっぱり、軽いな」

「そんなこと無いわ。私の方を持ってみなさいよ」

 遥が口をつけようとした缶を受け取る。

 それは空き缶のようだった。

「ハラール80パーセント、今の私が飲めるギリギリ」

「そんなの飲んでるから軽いんだよ」

「私は元々軽いの。私の肉は生まれた時からハラール70パーセント」

 困ったように笑いながら、遥は自分の二の腕をつまんだ。

「客はみんな私のふくよかな体目当て。体重が軽くてふくよかな女は嫌いかしら?」

 女性らしい肉付き、と言えば確かにそうなのかも知れない。遥の容姿は、巨乳のみを売りにするアイドルのようにだらしない。関節を曲げればわずかにはみ出る贅肉、膨らんだ下腹、やや垂れた尻たぶと太ももの間には深いしわができ、腰まわりは脱いだ下着の跡がくっきりとしている。

「嫌いじゃないよ」

 短く答えると、遥はビールを一息に呷って投げ捨て、ベッドに飛び込んだ。大きな猫が腹に飛び込んできたような衝撃を全身で受け止める。遥はとても軽かった。

「ねえ……原初の種火って、聞いたことある?」

 馬乗りになるふくよかな姿に似合わぬ小動物のような重さ。くりくりとした目が、世界の秘密を伝えるように囁いた。

「最近メディアを騒がせている犯罪組織のことか?」

 ウェブ上に突如現れた謎の言葉だった『原初の種火』は、拡散されるほどに正体を露わにしていく。日本に存在する匿名のテロル組織であることまでは判明しているが、その本拠地や首謀者、構成員などは全く分からない謎の組織。

「原初の種火は組織の名前じゃないの。それは組織の目的を達成するための手段のこと。ねえ、注意してね、カナタ。原初の種火は、誰にでも平等だから」

「何を分かったようなことを言っているんだ?」

 ピピピ、と目覚ましのような音が鳴る。制限時間を告げるタイマーだ。

「時間ね。延長はする?しない?」

「しないよ」

「そう。それじゃあ、また呼んでね。名刺、ここに置いておくから」

 畳まれた服をいそいそと身につけて、最後に羽織った七分袖のレディースジャケットのポケットから名刺を机の上にそっと置くと、遥は部屋を出て行った。

 廊下から空気が入ってくると、部屋に満ちていた彼女の甘い香水の残り香が、鼻をくすぐる。サイドテーブルに置いた缶ビールを飲みほしてテレビを消すと、俺はゆっくりと立ち上がって、遥の置いていった名刺を見た。

 名刺に写る遥の顔は、別人のように美しい。ライティングと画像加工の賜物だろう。裏には、店の名前と遥のプロフィールが書かれている。

 体重5キログラム、情報重52キログラム。

 彼女のほとんどは、情報重で出来ていた。

「猫のように軽かったもんな、彼女……」

 もっとも、その猫でさえハラールの度数は知れたものではない。

 遥がふわりと囁いた『原初の種火』という言葉が、空調の音だけが響く室内で、俺の耳にいつまでも残っていた。



【用語解説】

ハラール

体重と情報重の比率を表すもの。基本的に、ハラールは低いほうがよいとされる。

ハラールの高いものは粗悪とされるが、体重が減ることを喜びハラールの高い食物を採ることによってダイエットと称する若者が後を絶たない。

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