13.カフェの約束

春がくれた缶ビールを開けて、僕らは乾杯した。


2人を隔てる板は破壊され、僕らの距離はより近づいた。

春も座ってくつろげるようになったので、これはこれでよかったのかも知れない。問題はいろいろあるが。


「これ、部屋繋がっちゃったじゃん。」

「あー、うん…ごめんよ。」

「退去のときどうすればいいの…。」

「んんんーーー…。」

春が口角を上げながら眉間にシワを寄せてる。

いろんな顔ができるんだな、と思った。春はその顔のままビールも飲める。喉を通る音が聞こえた。


「非常事態でした!って言おう。」

「非常事態?」

「玄関に熊が出たから板壊して私の部屋に逃げて来たことにしよう。」

「熊って。しかも俺が壊したのかよ。」

「すいません、私です。うーん、なんとか直せたりしないかなぁ?あははは。」

よく見ると、春の座る椅子の後ろに隔て板だった物が立てかけてある。

『非常の際はこちらを蹴破って隣戸へ避難してください。』と書かれた、見慣れたステッカーに何故か

哀愁を感じた。


「まぁ考えても仕方ないね。」

「そそそ。壊れちゃったもんは仕方ない。」

ふぅ、と煙を吐いた。


「ここで座ってると普通に覗けちゃうの、なんかやだな。」

春の服がベランダの奥の方に干しっぱなしにされていた。見るつもりはなかったが、チラチラと視界に入り込む。

春の部屋も、カーテンの隙間から少しだけ中が確認できそうだった。見る気はないが。

「あ!やだ、変態。」

「見られたくなかったら取り込んどきなさい。ちゃんとベランダも施錠しときなよ。」

「なんで?」

「なんかあったら嫌だろ?」

焼きソーセージをかじり、ビールを飲み干した。

春もいただきます、と言ってソーセージをかじった。

「なんかって何よ。」

「んー…不法侵入とか?」

「しないでしょ?」

春はビールをごくごく飲んで、ぷぁぁ、と声を出した。

「しないけども。怖くないの?いつでも入れちゃうよ?」

「信用してるから怖くないよ。」

春はニッコリと、笑ってみせた。気持ちのいい笑顔だった。僕はそれ以上何も言えなくなって、悩んだ結果「ありがとう。」しか出てこなかった。


「春、ワイン飲む?僕そろそろワインにしようかな。」

「あ、じゃあ私も。」

持ってきた2つのグラスにワインを注ぐ。

「はい。どうぞ。」

「ありがとう。はい、カンパーイ。」

グラスが触れ合う高い音が鳴った。


1口飲んで、タバコに火をつける。春も同じことをしていた。


「ふぅ。」

「あれ、裕也くんお疲れだった?」

「ん?あぁごめん、そんな事ないよ。明日休みだって思ったら気が抜けちゃった。」

「あぁそっか。何するの?」

「んー…。掃除、洗濯やったら…ネットで動画でも見てるかなぁ。」

僕は趣味がなかった。つまらない休日だな、と思った。

「いいね、のんびりした休日って感じ!」

春はいつもの笑顔で楽しそうに言った。春が笑うとき、少し垂れ目のせいか目尻がくしゃっと潰れる。

僕はその表情が好きだった。

細く切っておいたチーズを口に投げ入れ、ワインを飲む。

「のんびりか。それはいい考え方だね。」

「そうじゃない?今までどう考えてたの?」

「無趣味で退屈だけど、仕事ないからいいかなーって。」

「やる事ないならとことん暇を謳歌すべきだよ!」

「お、例えば?何すればいいかな。」

僕はタバコを1口吸って、少し挑戦的に春に聞いてみた。

春もタバコを吸って、少しこちらを煽るような口調で返してきた。

「おいおいお兄さん。何言ってんのさ。1日の始まりってやつはさ。」

「うん?」

「美味しいコーヒーからでしょう。」

「ほう。」

「9時過ぎくらいに起きて、カフェで美味しいコーヒーを飲んでまったりしながらも、今日これからどうやってまったりしようかってのを考える。」

「すごいまったりしてるね。」

「でしょ?いいでしょ?」

春は楽しそうにしている。ハニーローストナッツをポリポリと食べながらワインに手を伸ばす。

僕もナッツをいくつか手に取った。


「じゃあ朝から行ってみようかな。カフェ。」

「おお!どこのお店行くの?」

「うーん…。春、この辺でオススメのカフェ知らない?」

「オススメ?」

「僕いっつもチェーン店しか行かないから、たまには違うお店も行ってみたいなって思ってさ。」

「あー、そう言うことね。」


春がワインを飲みながら「んー。」と短く何か考える顔をして、再び僕に方に向き直る。


「じゃあ10時に部屋の外で待ち合わせしない?」

「え?」

「私も明日休みなんだよね。一緒に行こうよ。カフェ。」

春が温かい表情でこちらを見ている。

少し鼓動が早くなった。


「うん、いいよ。ありがとう。」

「え、ホントに?やった。1日中暇なんだよね?」

「まぁ。家事は日曜にでもやればいいし。」

「じゃあ決まりだね!楽しい休日になるね!」

春が急にはしゃぎ出した。

「春、近所迷惑だから声落としなさい。」

「だね。はははは。」


その後も僕らの他愛のない話は続き、気づくとワインは3本空いていた。

僕らはアルコールの眠気に誘われるがまま、それぞれの部屋に帰って寝ることにした。春は起きて来れるのだろうか。



春と出かける事になるなんて、思ってもみなかった。

ベランダの隔て板と共に、いつの間にか僕らの心の壁も1枚崩れ落ちていた。

今の僕らに、『隣人』と言う言葉は他人行儀な感じがした。『友達』が妥当かもしれない。

僕はいろんな言葉を頭に巡らせながら、部屋に置かれた水槽に目をやる。

ウーパールーパーがこちらを見つめて、またしても首を傾げる。

「なんだ?デートか?嬉しいのか?」と僕を煽るように、2度、3度と左右に首を傾げる。



そんなんじゃないよ、と僕は頭の中で自分に言い聞かせ、眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る