09.リアルと空中列車
君は僕を許さないだろう。
あの小さな手を、もっとしっかりと握っていればよかった。そばにいて離れなければよかった。
君は僕を許さないだろう。
AM6:40
アラーム音が鳴り響く。
今朝は少しだけ頭が重かった。
春と遅くまでベランダで飲み続け、長々とくだらない話をしていた。人と飲むのは久しぶりだった。楽しかった。
ただ少々飲み過ぎた。
僕は気だるさを我慢してベッドから体を起こした。
支度を終え、タバコを吸い、家を出る。お仕事だ。
今日も退屈な1日が始まる。
朝の電車と言うのはどうしてこうも混むのだろうか。大きな鉄の箱に大勢の他人と一緒に詰め込まれ、窮屈なまま運ばれる。カバンや肘に身体を押されて痛い。目の前のサラリーマンが汗臭い。ストレスでしかなかった。ふと電車の外の景色に目をやる。
高いビルやマンションが並ぶ町。人工的な、灰色の景色。なんでもない、いつもの景色。
僕は想像した。
今見えるあの建物の隙間を、空中列車が走り抜ける姿を。キラキラと輝く星を撒き散らす煙突が付いた、空中列車を。
あぁ。確かにそんな素敵なものがあれば、この世界はもっと輝いて見えるのかもしれない。美しいのかもしれない。
そこまで考えて、ハッとした。
春の絵を思い出していた。何故だろう。不思議な気持ちだった。あの絵がもう一度だけ見たかった。
仕事はいつも通りだった。
今日は少しだけ上司と仕事の話ができた。
今後の動きについて相談を持ちかけ、きちんと答えてもらった。
定時までには終わらなかったので、いつも通り家で続きをすることにした。
家に帰る途中、タバコが無いことに気づきコンビニに立ち寄った。品出しをする店員さん以外、ほかに人の姿はなかった。
僕は適当におつまみとコーヒーを手に取り、レジに向かう。
店員さんが駆けつけレジに入る。
「いらっしゃいませ。」
「96番ください。」
「うぃうぃ。」
え?
「ご一緒にポテトはいかがですか?とか言って。」
春だった。
「え、え?なんで?」
僕は一瞬、思考が停止した。
「ここでバイトしてんの。ご一緒にポテトはいかがですか?ははは。」
「気づかなかった…。ポテトなんてないだろ。」
「お、ちゃんと突っ込むねー。裕也くんあんまり人の顔見ないから気づかないんだよ。私気づいてたもんね。」
「なら声かけてくれればいいのに。」
「これでも仕事中なんです。」
そう言うと、やっとレジを打ち始めた。
「今日もベランダ来るの?」
春が聞いてきた。
僕はタバコの年齢確認ボタンを押しながら答える。
「遅くなるかもだけどね。」
「お、よかった。私もバイトだから終わったら行くよ。はい、お会計800万円。」
「どこの高級店だよ。」
「お釣りいる?いらないよね?」
「レシートだけ取っといて。」
「いりませーん。はいお釣り。」
お釣りを手渡される。
春が笑顔で言う。
「じゃあ後でね!」
僕も笑顔で返してみる。
「うん、頑張ってね。」
「ありがとさん。」
春はひらひらと手を振って、バックヤードに戻って行った。
僕の日常に春の色が少しずつ混ざっていくのを感じる。
遠くに見える高層マンションの後ろを、空中列車が通過した。
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