03.ハートと無法地帯
1歩。暗闇の中をさまようが如く臆病なその足を前に進める。
また1歩。その足取りを確かめるかのように、冷静に進んでいく。
小さなマンションなので玄関からキッチンまではすぐなのだが、床面が見えないほど物で埋め尽くされたこの廊下はまるで地雷原だった。マニキュアの小瓶や爪切り、アクセサリーなどのやたらと硬くて尖った物が衣類の下に埋まっており、不意に足ツボを刺激されるのだ。この部屋で過ごす彼女はさぞ健康なのだろう。
見えない恐怖と戦いながらも床面を確かめゆっくりと歩みを進め、やっとのことで小さな廊下の奥までたどり着いた。1枚ドアを潜れば、キッチンはすぐそこだ。
彼女がうんうん唸っている。もう少しだ、頼むからそこで吐かないでくれ。
僕はドアノブに手をかけた。廊下がこの状況だ。この先の空間がどんな地獄なのかは、想像もつかない。恐る恐る力を込め、ドアを開ける。
ドアの奥にもゴミが詰まっており多少の抵抗感があったが、無理やり押し開けた。
やはり廊下と同じく、床は見えなかった。
だがひとつだけ異質な点、このゴミ箱のような部屋で一際存在感を放つ物がその部屋の角に立っていた。
大きなキャンバスに描かれたハートの絵。
大きく中央に、くっきりと描かれたハートと、後ろに見えるのは太陽だろうか。ハートの周りは太陽の光で暖かく照らされるような色使いで、直感的に『優しさ』を感じた。
下の方には元気と言うか、独特なタッチで描かれたビル群とその上空を飛ぶ電車。様々な角度で地面から飛び出すビル群を空中列車がかき分ける。形は電車なのだが煙突がついていて、そこから出てくるのは煙ではなくキラキラと光る無数の星。
火を吹きながら飛ぶロケットや襲来するUFO。子供心をくすぐられるような、遊び心があった。
この無法地帯の中、1枚のキャンバスに描かれたハートの絵。その世界に僕は一瞬で心を鷲掴みにされた。
晴天の中雷に打たれたような、目と脳に直接激しく響く何かが、時間をかけてゆっくりと心に暖かく溶けていく感覚に陥った。
玄関の方で彼女が吐く声が聞こえるまで、僕はその場で立ち尽くしていた。
あぁ、そこで吐いてしまったのか。
きっと僕の靴は無事じゃないだろう。
僕は急いで水を汲むために使えるコップを探しはじめた。
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