第5章 殺人事件とロケット (9)
・・・♪・・・
倉庫に吊るされているペンギンは、体長が四メートルほどあった。エグゾゼより一回り大きい。黒い燕尾服を着ていて、腹は白かった。引き締まった身体付きをしており、今は項垂れている。嘴と、小さな足が橙色をしていた。特徴的なのは、眉が白かったことだ。
「ベストってわけさ」とわたしは呟いた。
わたしは唸った。
「あのさ、前々から思ってたんだけど、ひょっとしてわたしってセンスないのかな」
あまりに単純過ぎとわたしは思った。
「じゃあ、そういうきみにはどう見えるのさ?」
彼女はそう問うてきたので、わたしは拡大外殻をもう一度見た。眉は両方の目蓋からはじまって、弧を描き、頭のてっぺん辺りで合流していた。
「天使の輪っかみたい?」
「ははあ、なるほど」と彼女は頷いた。「悪くないね」
わたしはジーンズとシャツを脱いで丁寧に畳み、靴を脱いだ。ペンギンの腹を撫ぜる。光の線が広がって、わたしを迎えるようにドアが開いた。エグゾゼと同じだ。これも拡大外殻なのだ。ジーンズとシャツと靴を中の収納スペースにしまって、わたしは自分を振り返った。
彼女は頷いて、管制室に向かった。
ペンギンの腹が閉じる。長い間眠っていたはずなのに、エグゾゼと変わらない早さでわたしの身体を圧迫した。わたしとペンギンの境界の向こう側で、蠕動するものがあった。それは、ジェントの身震いあり、諸々の器官の目覚めと交信であった。機械の言葉は、境界から浸透してきて、わたしの身体に染み渡る。わたしの着ているスーツと内壁が溶け合うのがわかった。そのようにして、わたしは、ジェントと一つになった。
ジェント、それ今のわたしのもう一つの名前だった。わたしの記憶に蘇ってくるのは、それがかつて地球にいたペンギンの名前に由来しており、そのペンギンは同種の中で最も早いと謳われたことがあることだった。
顔を上げる。目蓋を開く。
わたし=ジェントを吊り下げているワイヤーが巻き取られ、わたしの身体は頭を下に向けた。ぐっとそちらを見る。この身体の下にはドアがある。わたしは地下の水田に置かれた天体望遠鏡を思い出した。
「ハロー、聞こえるかい、ジェント?」とわたしの声が聞こえてきた。
「聞こえるよ」
「この通信が最後になるよ、これが最後の実体を持った独り言だ。話しておきたいことない?」
わたしは頭の中をさらってみた。迷いだけが見つかった。
「この後に及んで?」
「うん」とわたしは答える。
「いいよ、何?」
「わたしは帰っていいのかな。しるしってそんなに強い権利なんだろうか。選ばれるものと選ばれないものは、生まれた時に決まってるの……」
管制室のわたしは笑った。
「しるしって何か知ってる?」
わたしは右の二の腕を触ろうとしたが、ジェントのヒレが微かに動いただけだった。わたしはまだ拘束されているのだ。
「そこにあるのは、別だよ」と彼女は言った。「それは死を報せる機械。わたし達が死んだらロボットを呼ぶためのものさ。全然しるしなんかじゃない」
わたしはペンギンの顔を上げて管制室を探した。それで見つからなかったので、わたしは意識を翻して、後ろを見た。自分の言ったことが信じられなかった。
「そんな……じゃあ、しるしって一体なんなのさ」
「さあ」と彼女は疑問符を放った。
「”さあ”?」
「しるしっていうのは、概念的なものに過ぎないのかもしれない。たとえば、それはただの覚悟だったりするのかも。――ねぇ、信じられないことかも知れないけど、ここに来たのはきみが初めてなんだよ」
「まさか」
「本当さ。ロシアンルーレットみたいなものなのさ。弾丸は一発だけ、今のきみだけだね。今までわたしは先送りにして来たんだ、長い長い間ずっと。そういう人間なのさ、わたしという人間は」
言葉を失って、わたしはすっかり呆れてしまった。困惑すらしていた。では今までの殺人事件は一体なんだったのだ。辻褄が合っていなかった。わたし達の行動を貫いていた一本の針金が、ぼろぼろと崩れていった。いや、そんなものが元々なかったのだとしたら……そんな可能性は考えたくなかった。
「みんなはこのことについて知ってるの」
「さてね」
「ねぇ、ちょっと」
「落ち着きなよ。あのね、物語は見るもので、そこにあるものじゃないんだ。でもそれはちゃんと機能する。そういうフィールドのようなものなんだ。この宇宙船にいるわたし達はみんな同じ人間で、一人一人が発するフィールドは均質なものになる。それぞれの振る舞いは微妙に違うかも知れないけど、それにしたって許容範囲の内側さ。そうそう。フィールドは積み重なって層を構成し、やがて共振するんだ」
「地震が起こるように……」
「そう言っても良いよ。でも、わたしならこう言うね。”歴史は殻を作る”。閉じ篭るための殻か、出て行く為の殻か、選ぶのはわたし達だ。でも、雛が生まれるにはそれを守る殻がなければならない。卵になるにも随分時間がかかったものさ。でも、とにかく、今が出て行く時だ。きみは最初の、そして最後の弾丸となる」
「他のわたし達はどう思ってるんだろう?」
ふとそんなことが気にかかった。あのわたし達は、わたしがこうして出て行こうとしていることを知らないのだ。彼女達は、白衣のわたしが犯した罪を共有し、ミクニ・ライカという人間に絶望している。その中で自分だけ出て行くことに、わたしは後ろめたさを感じていた。
「それでも奇跡を待っている」と管制室のわたしが言った。「それが、わたしって人間でしょ」
わたしの下で、ドアが開いた。空気が逃げる先に暗い海が見える。そこに白くちらつく星がある。距離は疎らなはずだったが、均等に散りばめられているようにも見えた。ただ各々の明るさが違うだけで。わからない。
ジェントにコントロールが譲渡される。
「地球のあの子によろしくね」わたしはそう言った。
グッド・ラック。
通信は途切れた。わたしは意識を翻したくなったが、そうはせず、自分の身体を掴んでいたワイヤーを外した。自重でわたしの身体が沈んだ。それとも周囲の空気と共に、わたしは宇宙船の外に吸い出されたのかもしれない。それは、わたしの意思というよりも、もっと外部からの働きだった。しかし結局のところは、わたしの決断によるものだった。ワイヤーを外したのは、わたしだ。
「ミクニ・ライカ=ジェント、行ってきます」
そう呟いた。
宇宙船は遠く離れて行く。それは全体としてピーナッツ型をしていた。片方にわたし達の住んでいた世界があり、もう一方にはそれを支えるための生産プラントがあるはずだった。あそこでは、わたし達の食料や、機械が作られている。
ジェントには色がなかった。だから、段々と広がっていく星空を、今ではクリアに見ることができていた。それはやはり、肉眼で見るのとは異なるのかも知れない。遠くの恒星一粒一粒は、十分な大きさを持って見えていた。それでも距離は疎らで、並びにも統制はなかった。
相対的な無秩序の中をわたしは流れていった。初速がわたしを滑らせていく。わたしは自由だった。
あまりに星空が広いので、わたしは不安になった。だから、わたしは歌い出した。父が歌っていた歌。今になって初めて、その反復するフレーズが、わたしを満たしていった。
やがて、わたしの身体は向きを変える。推進機構が速度を捕まえた。このまま泳いでいこう、とわたしは思った。わたしには、あの惑星で、やらなければならないことがあるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます