第5章 殺人事件とロケット (5)

 わたし達は中央に敷かれた通りを行く。その脇には、エラのように板が立ち並んでいる。立方体に整えられた生垣に飲み込まれているその板は、黒曜石みたいな光沢を放っていた。板には文字が書いてあり、少し立ち止まって見てみると、それはこの宇宙船が経てきた歴史のようだった。

「メモリアル」とわたしは呟いた。

「ええ」と横に立つ探偵は頷いた。「図書艦に行けば、もちろん同じものを探すことはできますよね。でも、こうして形にすることも、大事なんじゃないでしょうか」

「数が足りないようだけど」

「迷宮の中にあります」と言って、探偵は辺りの生垣を仰いだ。「埋没していくものです、歴史というのは。ランダムにこの板は場所を変えるんです」

「ちょっとした記憶のシステムみたいだね」

「ええ、そんなものです。地面に沈み、ひょんな時に浮かび上がって来る。鋭いこと言いますね」

「そうかな」

 わたしはやはり初めてトラムに乗った時のことを思い出していた。

「どれくらいここには人が来るの?」とわたしは尋ねてみた。

「ほとんど来ないですよ」と探偵は答えた。

 ここは陰気な場所だった。雨の降る中では特にそう感じた。わたしは、晴れの日を想像しようとしてみたが、上手くいかなかった。水分が多過ぎるし、沸き立つ土のにおいが、不吉な色調を帯びるのだ。だから、わたしは次のように言おうとして、口を開いた。

「わかる気がするな」

 しかしそう言ったのは、このわたしではなかった。わたしは驚いて、左を見る。板の前、生垣のすぐ側で、二人のわたしがキスをしていた。それは合意の上ではなかった。探偵は、突如現れたわたしによって、強引に唇を奪われている。

 白衣のわたし。

 探偵の目は見開かれ、反対に、白衣のわたしは目を閉じていた。慈しむようだった。長いキスだった。雨の斜線に閉ざされて、彼女たちは守られているように見えていた。美しかった。見蕩れていた。輪郭が解け合っていて、そのまま一人の人間になるのではないかと、わたしは予感した。

 探偵は初め驚いていたが、それは時間の推移と共に、蕩けるようなものとなる。目蓋が伏せられる。しかし、あと一歩で眠りに落ちるという直前で、彼女ははっと目覚めた。抵抗。彼女は腕を持ち上げて、白衣のわたしの胸を叩こうとした。しかし白衣のわたしは距離を開け、それを避ける。腕は伸ばしたままだ。白衣の裾をはためかせて、彼女はスムーズに探偵の後ろに周り込んだ。そして、彼女の頭に手を添えて、捻った。コキッという小気味良い音がして、彼女の首の骨は折れてしまった。探偵の身体から力が抜け、白衣のわたしはそれを優しく受け止めた。

 白衣のわたしがこちらを見た。彼女は感じよく微笑んだ。昨日たっぷり話した友人と、今日また会った時のような、リラックスした笑い方だった。わたしはそれにあやうく騙されるところだった。あまりに無防備で、感情の強制的な同期に抗うことを忘れていたのだ。

「足を持って」と白衣のわたしは言った。「このままだと冷えちゃうよ。どこか雨宿りできるところに運ばなきゃね」

 わたしは呆然としたまま、彼女の指示に従った。自分の足は、今朝靴下を履く時に触ったものと同じ形をしていた。これは、わたしだ。またしても? いやこれは初めての経験だった。わたしは生身の自分の死体を触ったことがない。しかし、本当に死んでいるものか、自信は無かった。死の変化はまだ兆していない。ただ予感だけが、わたしの中に芽生える。

 白衣のわたしは、迷わず屋根の下に辿り着いた。わたし達はベンチの上に探偵の身体を横たえた。白衣のわたしは、探偵の衣装を脱がし始めた。そこにもやはり躊躇いは無かった。鳥撃帽を机に投げ、いつも通りの優しい調子で、わたしに声を放る。

「それに着替えて」

「え」

「で、きみの服をこっちに頂戴。それをこのわたしに着せる」

「どうして」

「偽装工作」と、白衣のわたしは、探偵だったわたしの両足を立てた膝に乗せ、綿のパンツを脱がせながら言った。「きみ達は入れ替わるんだ。死んだのはしるしを持ったわたしで、探偵が生きているってことにする」

 わたしはワンピースの肩紐を外した。指先だけでなく、肩までも震えていた。雨脚は強さを増していて、その格好ではやはり寒かったのだ。わたしはそう思い込むことにした。

「どうして殺したの」とわたしは尋ねる。

 白衣のわたしは綿のスラックスを机の上に乗せた。

「今回の件については……」彼女は探偵のブラウスを脱がす作業に取りかかった。「しるしを持ったわたしが――きみだね――連続殺人犯であるわたしとは別にいることを、議会に知ってもらう必要があったんだ」

「でもそれは殺す理由にはならない」

「うん」彼女は苦笑した。興奮を努めて押し殺そうとしているようにわたしには見えた。「ええとね……そう、議会はきみがしるしを持ってることを知った。でも、そのわたしは、殺された」

 そう言いながら彼女はベンチに横たわる下着姿のわたしを両手で示した――「As you see」――が不意にむっとした表情を浮かべてわたしを見てきた。

「早く服を脱いでよ、寒いでしょ」

 わたしは探偵のズボンを穿き、ワンピースを脱いだ。白衣のわたしは苦労しながら、それを探偵だったわたしに着せていく。

「それで……うん、今、わたしによって、しるしを持ったわたしは殺されたことになった。しるしを持っているのが連続殺人犯だってことが、疑いなくなったわけだね」

 彼女の目的が読めなかった。わたしは混乱していたのだ。机の上に置かれていた探偵の服を着てしまったわたしは、白いワンピースのわたしが死んでいるのを眺めている。それが、数分前までのわたしの姿だったはずだ。記憶が撹拌されていた。キスの後に似ていた。でもいつしたっけ? 唇を舐めてみた。ひどく乾燥していた。それでわたしはほんのわずかだが自分を取り戻す。

「世論は動かないよ。議会は意見を変えない」と白衣のわたしは両手を叩いて言った。

「〈猶予器官〉は停止し、帰還シークエンスは凍結される?」

「そう」と白衣のわたしは緊張した様子で頷いた。「クローン・サイクルは閉じる。わたし達の永遠の生命は終わるんだ」 

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