第5章 殺人事件とロケット (4)

 チェックアウトを済ませ、わたし達はホテルを出た。持ち物は特になかったので、少し散歩に出るときのように気楽だった。どうだろう、とわたしは振り返って建物を見た。もう戻って来る気はしなかった。

 ホテルの外装は未来的だった。ステンレス風のコーティングが、石造りの基礎に施してある。まるで外部から突き刺されたナイフのように、鋭い光を放ってそこに立っていた。その姿はわたしに本来の時代を意識させる。わたし達はずっと未来にいるのだ。人類の歴史はクローン・サイクルが以前からずっと続いてきたし、それがここにこうして突き刺さっている。

 今日はやはり曇りで、少し雨が降っていた。ホテルのクロークは、わたし達に傘が必要かと尋ねたが、わたし達はそれを断って出てきていた。霧のような小雨で、街の音はすっかり吸い込まれてしまっていた。辛うじて聞こえる足音は、耳を澄ませば、犬が水を飲むような音を立てていた。

 ホテルの前に横たわる道をずっと歩いて、わたし達はトラムに乗った。車体の秋の色は雨のせいでずっとくすんで見えていて、わたしは夏の終わりを感じたけれど、それが幻に過ぎないこともわかっていた。この街はずっと続いていくのだ。これからもそうだったし、この先もそうに違いない。雨は薄い皮膜のようなものであり、それは一時的な目蓋で、開けばそこには夏がある。

 車内に人は少なく、わたし達は通路を挟んで向かい合って座った。そういうことができた。

「犯人は一体何者なんでしょうね」と探偵は言った。わたしは窓硝子をなぞって肩越しに外を見た。そういう話をしたい気分ではなかった。

 しかし、わたしの気分など全く介さない風に、彼女は話し始めた。

「犯行がはじまったのは、あなたが誕生してからです。”ですわ姫”と呼ばれたミクニ・ライカが殺された事件があったでしょう。それをキャピタルとしてわたし達は置いています」

「キャピタル」

「大文字、最初の一つですよ」と探偵は言った。わたしの知らない言葉の使い方があるのだ、わたしの中にも。しかし、それは単に詩を認めるようなものかも知れない。わたしが初めてトラムを秋に喩えた時、それは新鮮だと褒められたことを思い出した。

「裁判が行われたね」とわたしは言った。

 あの裁判にはわたしも呼ばれていた。その根拠は、覚醒してすぐのわたし達は、地球に帰りたい欲望を最も強く持つからであり、その中に犯人がいると考えられたからだった。

 そして、裁判が形骸化したものだと教えられたわたしは、その面倒事から逃げるために、王子様のわたしと入れ替わって、海岸警備隊に所属することになった。あの王子様は裁判で立派にやったのだろうか、とわたしは思う。しかし、答える人はすでにない。

「結局、その裁判では何も明らかになりませんでした」と探偵は言った。「議会は容疑者を数人しばらく拘束してみたんですが、犯行はそれでも起きました。で、今もなお継続中というわけですね」

 探偵はそう言った。ふとわたしは、彼女がどんな顔をしているのだろうと気になって、窓の外から視線を戻した。彼女は目を閉じていて、頭の中を整理しているようだった。もう何度もやってきたことなのだろう。彼女は眉間に皺を寄せていて、行き止まりに面しているように見えた。

「議会はなんとかしなかったのかな」とわたしは尋ねる。「たとえば、位置情報がわかるものを埋め込むとか? 管理を徹底すればこんなことには――」

「似たアイディアは提議されましたよ。でも却下された。簡単です。ねぇ、ミクニ・ライカは首輪を着けられたい人間ですかね?」

 わたしは少し考えてみた。しかもこの場合、リードを握るのもまたわたし自身なのだ。スタイルじゃない。意味もない。首輪とリードが活きる為には他の人が必要なのだ。たとえば、それがあの子だったら、悪いことじゃないように思える。

「いや、ヤだね」

「ですよね。わたし達は、自分を信じていたんですよ。改心するだろう、管理統制は不必要だろう。だって、わたしなんだから――とね」

 そしてそれが立ち行かなくなっているのだ。わたしは自信を失くしている。自分がわからなくなっている。混乱の中に引き蘢っていて、だから雨が降っているのだ。夥しい量の雫は、生活を遅延させる。わたし達の乗っているトラムは、いつもより散漫と進んでいるように思われた。

 再び窓に指を当てはじめる。爪を切った方がいいかも知れない、とわたしは思った。中途半端な長さだったが、一度考えはじめると気になるものだ。わたしは探偵に爪切りを持っているかと尋ねたが、彼女は首を横に振った。

「結局、犯人はわたしの同期なのかな」と言いながら、わたしはバーでの夜を思い出す。あそこに転がって死んだように眠っていたわたし達。そのシーンが、今では予言めいて見えていた。

「――とも限りません」探偵は言う。「あなたの覚醒と、連続殺人事件の開始がたまたま一致したということもありえるのです」

 わたしは探偵を見た。彼女はわたしの覚醒以前に目を覚ましたわたしによる犯行を示唆しているのだ。

「偶然の一致」とわたしは言ってみた。「そんなことってありえるのかな」

「心変わりをした可能性はもちろんあります。この閉鎖環境での生活に嫌気が差した、とか」探偵は言って、前髪をくるくる回した。「まあ、説得力に乏しいのは認めますがね」

「犯人はしるしの所在を知っていたのかな」とわたしは疑ってみた。

「そんな人に心当たりがありますか」

 わたしは黙っていた。

「――その線は薄いと思いますよ」と探偵は言った。「仮にそんな人がいたとして、あなたを野放しにしていた理由が説明できません。殺人がタフな仕事であることは確かですよね?」

 ここで探偵はわたしを見た。暗にわたしの海岸警備隊での経験を聞いていた。わたしはこれについても答えなかったが、彼女にとってはそれで十分なようだった。探偵の目はほとんどお見通しなのだ、ことわたしという人間については。

「万が一、あなたがしるしを持っている者が犯人だったとして――その人の気持ちになってみてくださいよ――無駄な殺人を続けることができますか。ミクニ・ライカという人間は飽き性なんですよ。それはあなたも良く分かっていることですよね?」

 彼女の言う事はもっともだった。ミクニ・ライカが続けてきたのは、あの子への恋慕だけである。

 わたしは探偵の言うことに頷いて、また窓の外を見た。どこもかしこも湿気たビスケットみたいな色をしていた。雨は少し強くなっているように見えた。わたしはその音に集中して、もうしばらく話し続ける探偵を聞き流していた。

 探偵はわたしが話を聞いていないことに気づいて、ポケットから携帯端末を取り出し、どこかに連絡を取りはじめた。わたしは窓に映るその姿を観察していた。どうやら相手は彼女の雇い主のようだった。彼女は電話越しに、しるしを持ったミクニ・ライカを見つけたと言った。わたしはまだ肯定していないはずだったが、訂正もしなかった。探偵は喜んでいた。手柄を立てることができたことが嬉しいのだろう。

「さて、後はあなたが行くだけです」彼女はわたしを見た。「議会は喜んでいましたよ。半信半疑でしたけど、それでもね」

「きみは?」とわたしは尋ねた。

「もちろん――と言いたいところですが、わたし全体に貢献することが、わたしの喜びですから」

 前髪の奥で曖昧に微笑むわたしであった。


 トラムは庭園の前で止まり、わたし達はそこで下りた。広大な庭園であり、奥には宮殿めいた建物が置いてあった。そこが議会の本拠地であると、探偵は言った。わたし達の頭脳として働いているお飯事のような組織。

 庭園は、議会に向けて傾いており、わたし達は緩やかな坂を上って行く必要があった。中央に真っすぐ伸びた通りがあり、その周囲は背の高い生け垣に囲まれている。それは迷路のように広がっているらしく、ところどころには空き地があって、ベンチやテーブルが置かれているとのことだ。そう教えてくれる探偵の指先に、わたしは丸い屋根を見た。それは、緑の基盤から生えたビスの頭にも見えた。中世みたい、とわたしは思う。多分、貴族たちがそこでお茶を飲むのだ。お菓子と一緒に。

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