第6話

 先輩はかなり大量の水を飲んでいたのもあり、念のため精密検査を、ということで、一泊入院することになった。詳しいことは分からないけど、先輩は元々何らかの持病があって、どうやら掛かりつけの病院がここらしい。

 自分の診察が終わった後、先輩の病室を訪ねると、先輩のお母さんがベッドの傍らに座っていた。私が頭を下げると、「あなたが国北天華さん?」と、私の名前を口にした。私は頷くと、今回の件を詫び、勧められるままに、お母さんの横に座った。

「真太郎は本当にあなたが好きなのね」

 毛布を掛け直しながら、お母さんは言った。

「河童のこと、話したんでしょう?」

「あ、はい、告白されたときに」

 告白。その言葉をお母さんに使った途端、私は急に恥ずかしくなった。先輩がマザコンだと思っているわけではないが、世の中の息子を持っている母親は、その彼女に対してどういう気持ちなのか、と考えてしまったのだ。

「河童の話はあの子にとって鬼門なのよ」

 そんな私の気持ちを察したのか、お母さんは微笑み、目を細め、先輩を見つめた。

 柔らかな寝息をたて先輩は眠っている。そんな先輩を優しい表情で、お母さんは眺めていた。暖かな空間。そして、そこに自分が存在していることが、私はなぜだか嬉しかった。

「でも、鬼門って」

「泳げない河童って、可笑しいでしょ?」

 ああ、そういうことか。納得する。

「ご丁寧に立派な水掻きまであるっていうのに、泳げないのが我慢ならなかったのね。まあ、しょうがないことなんだけど」

「しょうがないこと、なんですか?」

「あの子、先天性の心疾患を患っているの」

 心疾患。思いもよらなかった言葉に私は途惑った。どんな顔をすればいいのか分からない。お母さんは、そんな私の動揺を見抜いたのか、慌てて、次の言葉を紡いだ。

「大丈夫、もう心配するほどのことでもないの。でも、あの子、知っての通り、素直だから。自分は河童の末裔なのに、加えて大層な水掻きもあるのに、泳げない、という事実が我慢できなかったらしいわ」

 最後は苦笑混じりだった。その言葉で、ようやく私も笑うことができた。

 お母さんは笑みが戻った私に安心したのか、もう一度先輩の布団を掛け直すと、「国北さん」、再び私の名前を呼んだ。

 改めて名前を呼ばれると、やっぱり緊張してしまう。まるで背中に長い定規を入れられたかのように、背筋がぴんと張った。もし、先輩と結婚云々とかいうことになったら、この人がお姑さんになるのか、などと余計なことを自ずと考えてしまう。

「あのね、あの話には続きがあるの」

「続き、ですか?」

 さっきとは違う、さらなる動揺に気づかれないようにしながら、私はお母さんの言葉をそのまま返した。あの話とは、先輩が私に話してくれた河童の話のことだろう。ふたりが結ばれ、それで終わりではなかったのか。

 もし、あの話に続きがあるのならば、それを聞いてみたかった。そして、どうして先輩がその続きを私に語らなかったのかも、気になった。その話の続きの中に、先輩の真実があるような気がする。

「お母さん、続き、教えて貰えますか?」

 私は、そう請うた。多分、先輩に聞いたとしても、いつものようにはぐらかされ、有耶無耶にされてしまうだけのような気がする。

 私は、いまだベッドで眠り続ける先輩の顔を見た。本当のことを私は知りたい。私の知らない先輩を知りたい。だから、

「お願いします」

私は、もう一度、それを願う。心から。

「もちろん、そのつもりよ」

 そして、お母さんは、続きを語り始めた。

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