第5話
プールサイドにコーチの姿を見つけ、事の次第とこれからのことを話した。先輩は、付人のように、私の後ろに立って黙って話を聞いている。コーチに明日からの練習の許可を貰い、先輩を振り返ると、納得いかない顔で私を見ていた。
「……僕には、かなり理解不能です」
どうやら怪我をおしてまで練習しようとする私の姿勢に、頭の中がハテナマークでいっぱいといった感じだ。
「ギプスだと無理なんじゃないですか?」
「明日病院に行って、着脱可能なものに換えてもらうから、平気ですよ」
何が問題なんだ、というように平然として受け答えする私に、先輩はさらに頭を抱える。
「じゃあ、帰りましょうか」
今度は、私が先輩を帰宅へ促す番だった。松葉杖を使い、出口へ方向転換しようとして。
あ、滑った。
水で濡れた床が松葉杖を受け付けなかった。つまり、杖は床を蹴り、空回りし、私はそのまま、ドボン、プールへとダイブした。
普段なら、水泳部のマーメイドと言われている私だ。水は友達、不意にプールへ落ち込んだとしても全く問題ない。しかし、いかんせん、今はいつもと状況が違う。足が動かない。服を着ている。さあ、ぜひとも溺れてください、というシチュエーション満載だった。
案の定、足が攣った。水を吸った服が重い。
がぶり。大きく息を吸い込み、もちろんそれと一緒に水も否応なしに口に、鼻に入り込んでくる。プールサイドでは突然の出来事に驚いて、誰もすぐには対処できないようだった。このまま溺れて死んでしまうのかもしれないという最悪の事態が脳裏を過った。
目の端に先輩の姿が見える。いつもの先輩に似合わず、青褪めた顔で私を見ていた。
さよなら、先輩。短い間でしたが、お世話になりました。先輩にそう手を振る。と、影が動いた。先輩の身体は何の躊躇いも見せず、大きく弧を描いて、プールへとダイブした。
「大丈夫ですか、天華くん」
飛び込んだまま、そこにいた私を抱きしめると、先輩はそう言った。が、私に答える間も与えず、私を抱えたままで沈んでいく。
もしかして、先輩、泳げない?
本当にお仕舞いかも、と覚悟した直後、ようやく事態を把握したコーチ、水泳部員やらがプールに飛び込み、私たちは何とかプールサイドに引き上げられた。
「大丈夫か、国北」
「はあ、何とか」
げほげほと水を吐き出し、肩で息をしながら、やっとの思いでそれだけ言う。ただ、私の横で横たわっている先輩は目を開けていなかった。息をしていないのは明白で、コーチが人工呼吸をし、心臓マッサージをしても、先輩の目は開かない。唇は紫、肌は青白く、それらの色は、もう先輩がここにはいないということを示しているようだった。
遠くから救急車のサイレンが聞こえる。それを私は、他人事のように聞いていた。
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