第39話 『孫子』と僕
色々忙しく執筆が出来ませんでしたが、落ち着いてきたので改めて新作を。
大学で卒業論文で研究しようと考えているのが、『孫子』の研究だ。
以前、ここで孫武と孫の孫臏の話はさせていただいたが、孫子との出会いをまだ書いていなかったのでここで披露しようと思う。
僕と孫子との出会いは、大河ドラマの「風林火山」である。
ちなみに初めて見た大河ドラマはその三つ目前の「新選組!」。
この時はちょうど幕末にハマっていた頃だったので大河ドラマでは飽き足らず、京都に近かったので実際に史跡を歩き回っていた。
屯所のあった旧前川邸、八木邸、西山本願寺、幻の屯所と言われる不動堂村跡はもちろん、当時はまだパチンコビルだった池田屋跡、蛤御門では銃弾の跡を見た。
マイナーなところでは三条制札事件のあった三条大橋で未だに残る刀傷を見、油小路では、代々受け継がれるその当時の様子を聞いたりした。
ただ、未だに鳥羽伏見で戦死した源さんこと、井上源三郎の墓と新選組の故郷、日野には行けていない。ひと段落したら行かねばならない。
それはさておき、本題に戻ろう。
「新選組!」の流れから「義経」、「功名が辻」と大河ドラマは見てきたのでその流れて「風林火山」も見ることになった。
オープニングで「疾きこと、風の如く。徐なること、林の如く。侵掠すること、火の如く。動かざること、山の如し」というこの台詞こそが孫子との出会いである。
が、当時は孫子からとったものということは知らず、信玄の言葉という認識をしていた。その後、小学六年生になった後である映画と出会った。「レッドクリフ」である。
この作品のパンフレットを読んでみて風林火山は『孫子』という書物からの引用である事を知り、さらに本来は「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」となっている事を初めて知った。
その時、『孫子』とはどんなものなのかという興味を中学生になっても持ち続け、高校になって『孫子』を読んでみたのである。
購入した本には『呉子』等も付録で付いてきたので他の兵法書も読むことができた。
が、『孫子』を理解するのはなかなか難しく、読んでいても理解し難いところはある。
その時、名案が浮かんだ。
「アニメか何かで、『孫子』を考えながらできないか」と。
高校三年生になってその機会は巡ってきた。
「ガールズアンドパンツァー」である。
このアニメとの出会いがたまたま動画サイトに挙げられた戦車の挙動を見たのがきっかけで受験真っ只中なのにもかかわらず、戦車にのめり込んで戦車の図鑑を購入して友達に見せびらかしたのはいい思い出である。
『孫子』との繋がりは一見するとなさそうに見える。が、
「兵は拙速をなるを聞くも、未だ巧の久しきを聞かず」
という台詞が実は登場している。
この解釈、「戦争は早めに終わらせるのが肝心だ」と台詞の主は捉えているのだが、実際のところをいうと「兵力差、士気などの諸要素を考え、さらに孫子の考え方を理解した上で戦を行うのなら」の話であってたんに戦争はさっさと終わらせる事を表したものではないのである。
台詞を聞いた時、「戦争をさっさと終わらせることと解釈しているなら、負けるかもしれん」と思ったが、案の定ピンチに陥った。
とはいえ、受験が最優先である。そんなダラダラと見続ける訳にも行かず、本格的な考察は受験後までお預けになった。
そんなわけで、受験が終わるとちょうど再放送が重なったのも相まって『孫子』を片手にガルパンを見るという奇抜極まりない方法で『孫子』の解釈で勝敗を分けた要因、勝負のポイントなどを見ていった。
勿論、これはアニメだし、勝敗はネタバレしたらすぐに分かる。ただ、『孫子』という兵法書を使えば、アニメですら研究対象になりうる事をここで理解することが出来たのである。
そんな訳で、現在も『孫子』の研究対象にして、卒論を書こうと思っているのである。
ガルパンを『孫子』で読んだらこうなる、という卒論は書くことはできない。当然、別テーマ。
しかしながら、ガルパンのお陰で卒業論文のテーマが簡単に決まった、と個人的にそう思っている。
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