第29話 姫を殺すなんてとんでもない!

『孫子』の作者として考えられている孫武は今から3500年前に生きた人物として有名だが、その実在性が不確かな事で有名である。

そもそも彼の名前は『史記』の呉子・孫子列伝ぐらいにしか登場せず、呉について詳しく書かれている『春秋』の左氏伝には孫武の名は記されていない。そのかわり、同時代に活躍し、「しかばねに鞭を打つ」の故事で知られる伍子胥に関する記述が目立つ。

その為、孫武に対する信憑性は昔からよく言われている。実在の人物かはさておき、今回は孫武のエピソードについて述べていきたい。

孫武が生まれたのは今の山東省にあった斉という国。以前、彼の孫として紹介した孫臏が仕えた国と同じではあるが、春秋時代の斉は太公望の子孫達が建てた国であるが、戦国時代の斉は田氏が諸侯を簒奪して建てた国で明確な違いがある。

その後、生まれ故郷を離れた孫武、呉王の闔閭に仕えた。

初めて孫武が謁見した際、闔閭は

「先生がお書きになった十三篇の兵法書は全て読みましたが、実戦でどのように使われるのか分からないから軍隊を動かして見せてくれ」といった。孫武は了承すると女官達を呼び寄せ、王の寵愛を受けていた二人の姫を隊長として動きを一通り教えた。

ところが、太鼓の合図を出しても女官達は笑うばかりで真面目にやろうとしない。

初めは「取り決めがうまくいかないのは私の責任だ」としていた孫武だったが、再び合図を出しても女官達は笑うばかりで真面目にやろうとしない。そこで、

「取り決めがうまくいかないのは将軍のせいだ。しかし、徹底した通りにやらせないのは監督者である隊長のせいだ」として姫二人を殺そうとした。

「先生が兵を動かせるのはよく分かった、その二人を殺されると食べ物が喉を通らなくなる。殺さないでほしい」と闔閭は言った。

しかし、「私は王の命令を受けて将軍になるものです。でず、たとえ御命令であっても従うことができない事もあります」と孫武は二人を見せしめとして殺してしまった。

そこで、他の者を隊長として任命すると皆、ちゃんと言われた通りに動いた。

「王よ、これでちゃんと軍が動かせます。どうぞ降りて見てください」とにべもなく孫武は言ったが、闔閭は「休息をとって宿舎に帰れ。降りて見る気がしない」と断ったが、

「そうですか、王は兵法の字面だけをこのんでお読みになって兵を動かすことはできないと言うのですね」と言った。

王はぐぬぬ、とした表情をしたかどうかは定かではないが、ともかくも孫武を将軍とする事にした。結果は目に見えて現れるようになった。彼が指揮をすると戦に勝ってしまうのだった。こうして孫武の名は知れ渡ったと言われている。その後、孫武がどうなったのかはわからない。それ以外の記述がないのだ。

闔閭の子である夫差に仕えたことまでは分かっているのだが、その後は夫差の命により、伍子胥に誅殺されてしまったとも隠居して兵法の改良に取り組んだとも言われている。

それでも、『孫子』という兵法書の思想を生み出した人という事実は変わらない。

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