第23話 数十年越しの復讐劇 後編
前回までのあらすじ
同門であった龐涓の策略で足切りの刑に処せられた孫臏は密かに魏を脱出、斉の軍師となり、その後、桂陵の地で魏に大勝した。
魏に大勝した孫臏だが、自分を辱めた龐涓への復讐は終わったわけではなかった。
今回はその龐涓への復讐劇の結末を語ろうと思う。
桂陵の戦いから十三年後、魏は龐涓を将軍として韓を攻撃した。韓は斉に救援を要請、斉王は今度も救援に答え、再び田忌と孫臏を派遣する。孫臏は桂陵の時と同じように魏本国を強襲しようとした。
が、一度受けた計略は二度も通用しないとばかりに龐涓は本国に強固な守備隊を配置した。また、斉の出陣と同時に韓の攻撃隊をすぐさま本国へ撤退、斉軍を挟撃しようと試みる。
たまらず、孫臏は撤退を指示する。
ただ、撤退戦は撤退する側があまりに不利。そこで、「魏兵は命知らずの猛者ぞろいだが、斉兵は臆病ものばかりだ」という龐涓の驕りを逆手にとる作戦に出る。
野営地からの撤退していくごとに窯の数を半分、また半分、そのまた半分と1日ごとに窯を減らし、あたかも兵が逃げ出していると偽装した。龐涓は斉の野営跡を見て「斉兵が逃げている」と錯覚し、少数の騎馬隊で斉軍を追撃する事に決めた。
さてら孫臏は龐涓との因縁に決着をつける為、最後の仕込みに取り掛かった。
日が落ちて魏軍が通りそうな馬陵の地にあった大樹に「龐涓この樹の下にて死せん」と書き、板を設置した。
そして、隘路(狭い道)となっている両翼に弓兵を配置し、彼らに「日が落ちた後に火が灯るだろうからそれを目掛けて撃つのだ」と命令した。
孫臏の予測通り、日没になって龐涓は大樹の下に現れた。板が吊るされていたので自らそれを読もうと松明を近づけたところ、両翼から一斉に弓が放たれた。
敗北を悟った龐涓は「遂に豎子(孫臏)の名を成すことになるか」と言い残して自害、同行していた魏の太子は捕縛され、魏兵は散々に打ち破られた。
が、劉向の『戦国策』では龐涓が捕らえられ、太子が戦死したとなっている。いずれにせよ、孫臏は龐涓に勝利して長年の恨みを晴らすことに成功した。
足切りの刑を受けてから数十年の月日が流れていた。
馬陵で手痛い敗北を喫した魏はその後、力を失い、斉が台頭を始め、孫臏の名も中国全土に轟いた。
ただ、孫臏の名は歴史書の中に出てくる事はない。
いつ死んだのかも分からない。
これは祖父の孫武も同じような事が言える。
伍子胥と共に呉王、夫差を補佐し越を攻め、大勝した後にどうなったのかはよくわかっていない。
個人的には、復讐を果たした後は大人しく身を引いて『孫臏兵法』を書いたんじゃないかなぁと勝手に想像している。その方が孫臏らしい生き様ではないだろうか。
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