第21話 五虎大将の比較。
五虎大将軍、通称五虎将、と言うのは、関羽を筆頭に、張飛、馬超、黄忠、趙雲と建国の立役者となった五人の将を指す架空の称号である。
『三国志』の中で彼等五人が『関張馬黄趙伝』と一纏めにされて列伝になった事からこの称号が作られたのだろう。
が、史実では五人の待遇と言うのは馬超が最も高く、趙雲が一番低かったらしい。
漢中王を名乗る上奏文には趙雲の名はない。
本来ならこの上奏文の中には蜀漢の全武将の名が記載されている。
本文を作る段階で長くならないよう一部分だけを切り取って貼り付けたのだが、関羽、張飛、馬超、黄忠は入っているのだが、何故か趙雲だけ名がない。彼だけ地位が低かったようなのである。
それ程、地位が低い武将が人気なのは注に引く『趙雲別伝』の記述から生まれた趙雲像からであろう。ここでは、趙雲は美男子で白馬に乗っていたとか、何故、劉備に仕えるようになったのか、そして何より趙雲の活躍ぶりを『三国志』の本編よりも詳しく書かれている。やたら、趙雲を褒める記述が見られることから昔から「本当に趙雲の話か?」と言われている。だが、この『趙雲別伝』の記述があるからこそ、五虎将というキャラクター像が出来上がったのは事実である。
ところで、この五虎将という組み合わせは『水滸伝』にもある。
それが、梁山泊五虎将である。
関羽の子孫である、関勝を筆頭とし、林冲、呼延灼、秦明、董平の五人を指す。
たた、『水滸伝〜All member is brother〜』ではなぜか董平ではなく、張清が五虎将に選ばれている。何故、董平がリストラされたのかは不明だが、彼には活躍の場が少ないからだろう。この後、張清は瓊英とのラブロマンスが挿入されており、話を膨らませる上で重要になるからと考えたからかもしれない。
と、ドラマでの改変を見るようにこの五虎将という指揮官の最高位と活躍の場が必ずしもイコールにならない。そもそも、五虎将で活躍するのは関勝、林冲、呼延灼の三人が主である。
秦明にも活躍の場はそこそこあるのだが、彼等三人ほどではないし、董平に至っては、登場時期が遅い為か活躍する場面がそもそも少ない。
では、何故、五虎将という名を使わなければならなかったのか。
『三国志演義』の影響があるからだろうと僕は思う。
関羽の子孫、関勝と張飛のような特徴を持つ林冲を選ぶのは当然。そもそもこの二人は『三国志演義』の影響を受けていなければ作れない。
では、残りの三人はどうやって選んのだのだろうか
推測でしかないが、この三名には共通点がある。
『水滸伝』の種本である『大宋宣和遺事』の中で既にその名が記されている。
名前とあだ名は違えども、既にキャラクターとして成立した三人を選んだのだろう。
そのような成立の歴史を空想するのも『水滸伝』の楽しみかもしれない。
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