第19話 暗君?それとも名君?
劉禅という人は、非常に評価が分かれる皇帝である。
諸葛亮が病没して三十年が経ち、姜維が抵抗している中、魏にあっさりと降伏し蜀漢を滅亡させてしまった。
こう考えれば、確かに俗に言う暗君と言えてしまう。
だが、逆に「諸葛亮亡き後、三十年も蜀漢という国家を維持した」という事を考えれば、ある意味で頑張ったと言えるかもしれない。
そもそも、魏と蜀漢の差というものは人口、領土の面から見ても圧倒的に不利な事は誰の目から見ても明らかである。
仮に諸葛亮の北伐が成功してたらと言えども、そうそう簡単にひっくり返せるものではない。正直に言うと、第一次北伐で馬謖がやらかさなければ、そこそこいいところまで行けていたのかもしれない。
さらにこの時期、軍事権を掌握した姜維の度重なる無謀な遠征によって国家予算は逼迫していた。
軍事面で頼れるべき人材が姜維ぐらいしかいないという慢性的な人員不足だけでなく、彼のブレーキ役となるべき人材、蒋琬や費禕らが既に世を去っていた事も暴走を助長する原因ともなった。
さらに、劉禅の寵愛を受けた宦官の黄皓によって内政は牛耳られていた。
この為、姜維の意見は殆ど劉禅の耳には通らなかったと言われている。
国家を維持するだけで蜀漢は既に火の車、崩壊寸前だった。
そんな斜陽の国を三十年、特にこれと言った政策を行わず、軍事と内政の最高権力者の好き勝手にやらせ、生き永らえさせた。
そんな事を考えると劉禅を単なる暗君とは言えなくなってくる。
むしろ、何もしない裸の皇帝だったからこそ、三十年も蜀漢を滅亡から免れていたのかもしれない。
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