第14話 蜀が勝っちゃうお話
三国志を一通り読んだ時、「あぁ、蜀が天下取ってたらなぁ」と思いました。どうして魏が勝つのか。馬謖のせい?それとも、やっぱり呉が裏切らなかったならよかったのか?
色々考えてました。
しかし、そのように読者に思わせるのが『演義』の本当の魅力なのかもしれません。
しかし、大学に入って蜀が天下を取ってしまう小説に出会いました。
中華民国時代に書かれた『反三国志』です。
感想を率直にいうと、前半は面白いです。
ただ、後半から戦争のワンパターン化が激しく、あまり面白く無くなってきます。
『水滸伝』後半部も戦争の繰り返しです。
金聖嘆(七十一回本を書いた他、好漢の批評を書いた人)がバッサリと切り捨てたくなる気持ちも分かります。
ただ、無敵だった好漢達が次々と死んでいく虚しさがあるのに対し、『反三国志』は蜀がどんか戦においても全部勝つので面白く無くなって来てしまうのです。
作品の冒頭で「我々が読んできた『三国志』は全て嘘。私が読んだ『三国旧志』こそが正しい歴史書。だから、『三国志演義』は間違いなんだ!」と『三国志』そのものを批判しています。
まぁ、魏を正当としてるからある程度の嘘は盛り込まれてしまってるし、三国志そのものが正しい歴史書とは言えないよねという言い分は分からなくもないです。
ただ、陳寿は蜀の人なので、本当に蜀が天下を取ったなら天下を取ったと書くべきなのですが、蜀も魏も呉も滅んで晋が正当な王朝になってしまったからでその晋は魏を正統と認めている。
陳寿は魏を正統として書かねばならなかったが、故郷である蜀のこともよく書きたいと思い、書いたのが『三国志』なのです。
批判したらその後の歴史に繋がらないし、冒頭からちょっと危険な香りが漂います。
物語は先に述べたように蜀が魏と呉を滅ぼし、天下を取るストーリー。なので、とにかく蜀が勝って勝って勝ちまくります。
しかし、物語は何故か、『三国志演義』で曹操が徐庶の母が書いた偽の手紙を盾に彼を連れ戻そうとする場面から始まります。
この企みはここでは失敗したので徐庶はその後も劉備軍に残る事に。
いきなり始まるのは前置きで「『三国旧志』は古文書屋で見つけた時から前半部がないから途中から始める」と言い訳に近いような事を書いているからです。
あれこれ言われないための設定だと思われますが、かなり無理があります。
そして一番の目的は問題点は『三国志演義』以上に魏や呉の扱いがやたら雑なこと。
夏侯惇は片目どころか両眼を失明、司馬懿は孔明の罠に嵌って鍾会ら共々地雷で爆殺。呉の一族に至っては新天地を求めて向かった船が沈み滅亡、さらには暗君の劉禅が刺客によって暗殺されていたりと、「僕が考えるサイコーの三国志」状態に。
蜀が好きな僕でも流石にここまでボロクソにやられると流石に辛い。蜀の奮闘ぶりが目立つのは魏が圧倒的に強いからなんだけど。
また、鄧艾、鍾会、文鴦と言った三国時代後半の武将達が張飛、関羽と共に出て来ていたりと時代考証が整っておらず、正確性を欠きています。『三国志演義』は武器は明代の物だったり、朱然のように史実よりも前に死んでたり、没年が前後することはありますが、武将の登場年代はしっかりとしていましたが幾ら何でもお粗末。
しかし、この作品が書かれたのが丁度、国民党と共産党との対立が激化していた時。
なので当時の情勢と三国志をかけ合わせ作られたといわれています。
と言うわけで、『反三国志』は歴史小説ではなく世論を皮肉った架空戦記だと思って読むべきなのかなと思います。
ちなみに、似たようなタイトルに『後三国志』(正確には『後三国石珠演義』)があります。
これは劉備の子孫である劉淵が晋を滅ぼし、漢を再興するというストーリーです。
史実だと劉淵が建国した漢は五代の内、匈奴が立てた国なのですが、劉氏を名乗ったのを利用していると言うわけであります。
劉備の子孫だけでなく、関羽、張飛、諸葛亮、そしてなんと魏延の子孫までもが登場します。
主人公の石珠が罪を犯した仙人が転生した姿であったり、妖術や方術使いが登場するので歴史小説と言うよりは、『封神演義』のようなファンタジーものですが、非常にうまくできた三国志の後日談小説になっています。
是非一度、読んでみてください。
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