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2018年5月20日 23:38
当時の衛生管理を広める為だったのかもしれませんね。あとの時代に書かれたということは、孔子本人とはあんまり関係なくて、士大夫の儀礼のテキストとしての様相が強い部分かもしれません。と、愚考してみました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。『論語』は第一篇から第十篇よりも第十一篇から第二十篇の方が後に出来たとされていますが、前半部の中にも新しいものを入れた可能性というのもあると思います。また、後世、知識人のテキストとして読まれるようになったのも間違いではありません。後世の人達は皆、孔子=聖人だとして『論語』で書かれた内容を全部孔子がやったものだ、と思っていたので本気で実践しようとしていましたから。
当時の衛生管理を広める為だったのかもしれませんね。
あとの時代に書かれたということは、孔子本人とはあんまり関係なくて、士大夫の儀礼のテキストとしての様相が強い部分かもしれません。
と、愚考してみました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
『論語』は第一篇から第十篇よりも第十一篇から第二十篇の方が後に出来たとされていますが、前半部の中にも新しいものを入れた可能性というのもあると思います。また、後世、知識人のテキストとして読まれるようになったのも間違いではありません。後世の人達は皆、孔子=聖人だとして『論語』で書かれた内容を全部孔子がやったものだ、と思っていたので本気で実践しようとしていましたから。