第2話 史実と演義

正史と演義とのギャップ。

それは三国志を知る人なら誰しもが通る道。

一般的に三国志として知られているのは正史の方ではなく、恐らく演義、つまり小説版の三国志。

なので、小説を先に読んで史実(とされている)陳寿の『三国志』を読むと、非常に驚くことばかり。

実際僕もそうだった。

初めて横山三国志を読んだ時、曹操が憎くてたまらなかった、今はその逆で好きでたまらない人物になっている。

個人的に驚いたのは自分のペンネームの由来である翔烈帝こと、劉備。

「これ、ヤクザだ」と初めは読んだ時、思った。

それまで想像していた劉備と言えば、本当に漢の末裔で聖人君主にして誰からも好かれる人という理想的な君主だった。

しかし、正史を見れば聖人君主とは到底言い難かった。

そもそも中山靖王劉勝の末裔という肩書き自体、かなり怪しい。

たまたま同じ名を持っていたから名乗ったんじゃないかと思ってしまう。

子供の頃には「俺はあの羽葆蓋車に乗るんだ!」と大胆な発言を吐き、勉学を好まず、楽器や狗馬を好む、挙げ句の果てには賄賂を送らずに役人を鞭で打つなど気性も荒い。

『演義』でそういう乱暴な役割は全部張飛が請け負う。史実では彼はそれらを一人でやっている。

だが、この荒くれ者の劉備、正史ではものすごい戦上手だった。

なので様々な人に仕えては離れ、また誘われては仕えの繰り返しで前半生は生き抜いて来てきました。

正直者がバカを見る、ではないが、綺麗事だけでは乱世は生き延びられない。

そういうことも正史からは伺える気がしなくもない。

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