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    第35話 将軍壁死への応援コメント

    初めまして。いきなり長文になりますがお許しください。

     漫画キングダムのこの部分に該当する場面を中華書局版『史記』と史記三家注を確認しましたが、中華書局版では「将軍壁死」の部分に固有名詞であることを表す傍線が無いため中国の歴史学者の見解としては「壁」という人物ではないということのようです。司馬貞の『史記索隠』には「謂成蟜為将軍而反。秦兵撃之,而蟜壁於屯留而死。」とあり本文一つ目の「将軍」を「成蟜が将軍になった」と解釈することで二つ目の「将軍」=「成蟜」、つまり「将軍となった成蟜が屯留に立てこもり死んだ」という解釈をしています。張守節が記した『史記正義』には「言成蟜自殺壁塁之内」とあり、成蟜が防塁の中で死んだという意味であるとしています。この解釈ではおそらく「壁死」の前の「将軍」とその前の文章の「成蟜将軍」を共に官職の「将軍」ではなく、「軍を率いる」という意味で取っているのでしょう。

     翔烈さんのおっしゃる通り、「壁死」という単語がこの場面でしか用いられないという点も気にはなりますが、それ以上に司馬遷の「秦始皇本紀」の書き方としてこの場面でいきなり出て来た人物を「壁」とたった一文字で表現することはあり得ないと考えています。例えば蒙驁が亡くなる場面は「将軍驁死」と表現されていますが、それは蒙驁という名前がすでに何度も本文中に表れてからのことであり、それはその後の嫪毐に関する記述についても同様です。「毐」という一文字で嫪毐のことを表している場面もありますが、それはまずはじめに「嫪毐」というフルネームを示した上でのことであり、この巻の中で一度も出て来ていない「壁」という名前の人物が「将軍壁死」でいきなり登場するのは極めて不自然です。

     以上が「将軍壁死」に関する私の考え方ですが、今回調べてみてそれ以上に気になったのは「蒲鶮」でした。漫画『キングダム』では「屯留」という場所の「蒲鶮」という人物、という解釈になっていましたが、上記と同じく中華書局版『史記』と三家注を確認した限りこれは「屯留と蒲鶮という二つの場所」というのが古くからの一般的な解釈のようです。裴駰の『史記集解』には「屯留,蒲鶡,皆地名也。壁于此地時,士卒死者皆戮其屍。」とあり、この解釈に従えば屯留と蒲鶡は共に地名であり、死んでもなお切られたのは成蟜ということになります。この解釈は屯留と蒲鶮を並列の「、」でつないだ中華書局版、「屯留、蒲鶮二邑之反卒雖死,猶皆戮其屍」と記した索隠も同様です。確かにもう一度本文をきちんと読み直してみると「蒲鶮」が人名だということにしてしまうと、反乱を起こして次の文章でいきなり蒲鶮が「戮其屍」されたということになり文章の展開としていささか唐突すぎます。

     漫画の中では成蟜が「元々悪人だったが改心した人物」として描かれており、その死の場面を描くに当たってああした方がいいというのはあったのかも知れませんが、資料を読む限りは「反乱を起こしたけど失敗して、死んでもなお屍を切り刻まれた人」なので大分印象の違うものになってしまいます。しかしながら資料の極めて少ない戦国時代を描くに当たって、その資料の隙間をどのように繋げるのかというところがキングダムという漫画の面白い部分であり、原さんの腕の見せ所であると思い楽しんでいます。

    作者からの返信

    感想ありがとうございます。
    『キングダム』では、蒲鶮は人の名前ですが、やはりそのまま地名で読むべきで史実の成蟜は反乱を起こした悪人と見るべきだ、と思いました。大学時代、「漢文は漢字一つで意味が変わってくる」と教授に教えられましたが、漢字の取り方一つで解釈が変わるのも漢文の面白さだと思います。また、考察するものがあれば考察したいと思います。
    本当にありがとうございました。

  • 第35話 将軍壁死への応援コメント

    ここで殺して信の少年からの脱出を計ったのだけれども、信の成長が予想外に速くなったのであえて殺す意味もなくなった、と言う辺りが筋なのかな、と思っています。

    敵の有能さを示すためにはちょうどいいやられやくがどうしても必要ですしw

    作者からの返信

    単行本のあとがきによるとここで『史記』の記述通り、壁を殺す予定だったそうです。
    ところが、別の解釈もあるよということになって壁が死ぬという事は絶対ではなくなったので死ななくなったそうです。
    せっかく将軍になって死ぬのが惜しいと思っていましたから、ここで死ななくて本当によかったなと思っています。
    信の成長は著しいのは嬉しいのですが、『史記』通りのシナリオになると、これから先が危うくなりそうで怖い。

  • このエピソードは僕も好きですね。

    世俗から離れ隠遁したいという孔子の姿は、儒教思想に於いてはちょっと珍しく、どちらかというと老荘的な感じがします。

    孔子先生もやっぱりお疲れだったんですね、と人間味を感じてしまいます。

    しかも、そのお供は馬鹿だけど一番可愛い子路くんです。無邪気に喜ぶ子路もなんだか可愛いエピソードですよね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。子路は直情的で孔子に怒られてばかりなんですけど、どこか憎めないですよね。
    頭のいい人だけでなく、色々な人々が孔子の弟子にいた事を後世の人々に伝えていると思います。

  • 第6話 孔子流!食事マナーへの応援コメント

    当時の衛生管理を広める為だったのかもしれませんね。

    あとの時代に書かれたということは、孔子本人とはあんまり関係なくて、士大夫の儀礼のテキストとしての様相が強い部分かもしれません。

    と、愚考してみました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    『論語』は第一篇から第十篇よりも第十一篇から第二十篇の方が後に出来たとされていますが、前半部の中にも新しいものを入れた可能性というのもあると思います。また、後世、知識人のテキストとして読まれるようになったのも間違いではありません。後世の人達は皆、孔子=聖人だとして『論語』で書かれた内容を全部孔子がやったものだ、と思っていたので本気で実践しようとしていましたから。