第181話 受け継がれしスキル
オストレア兵に見咎められないよう、灯りも持たずに夜の林道を抜けた。
その間、僕はずっとユージェニーさんが転ばないように手を引いてあげている。
煌々と光る月が僕らの行く手を照らしだし、視界には困らない。
ずっと歩いているのでユージェニーさんの息が切れていないかと心配したけど、目が合うとニッコリと微笑みかけてきてくれて、僕の方がのぼせてしまいそうになった。
すぐそばに戦場があるというのに僕は聖女の手を引いているというだけで幸せな気持ちになってしまう。こんな浮かれた気持ちでいてはだめだ。
僕はこの人を守らなきゃならないのだから。
しばらく歩くとガチャガチャと具足の音が響いてきて、敵兵に待ち伏せされたのかと肝を冷やしたけど、現れたのは漂泊の団だった。
「お迎えに上がりました、ユリ……」
「あー! あー!」
出迎えた傭兵の挨拶に対して、突然ユージェニーさんが奇声を発した。
どうしたというのだ?
「私はユージェニーです! みんなの団長、ユージェニーですよ!」
月があるといっても薄暗いので、自分が誰であるかを知らしめたのか!
暗闇での同士討ちは恐ろしいと母上にも聞いたことがある。
父上には「夜目」というスキルがあるから、暗くてもよく見えるそうだ。
「は、はあ……ユージェニー様?」
幹部らしき人は少しだけ困惑していたけど、すぐに落ち着きを取り戻した。
「ユージェニー様……ですね」
「ええ、間違えないようにお願いね。状況はどうなっているの?」
「北部方面への関所は、オストレアの兵に占拠されました。南へ向かう陸路はまだ手はまわっておりません」
アンスバッハ家の領地であるバッムスへ戻ろうかと思ったけどそれは困難そうだ。
レオさんやブレーマン領にオストレア来襲を報せたかったが、関所が封鎖されてしまっているなら現実的じゃない。
だったらむしろ南のブレガンツまでいって水軍支部に状況を伝えるべきだろう。
「ユージェニーさん、僕は王国貴族として、ブレガンツの水軍基地に事態を伝えなければなりません」
ユージェニーさんはじっと僕を見つめた。
吸い込まれそうで怖いほど深い色をした瞳だった。
「わかりました。私もご一緒します。カリーナ、リタ、エレーヌは私に同行しなさい。メイジェーンは部隊の指揮を執って。追撃をかわしつつ時間を稼いでね」
まるで、侍女たちにお茶会の指示を出すような優雅さで、ユージェニーさんは命令を下していく。
「すぐに馬を五頭用意……四頭用意しなさい」
あれ?
四頭だと一人分足りないぞ。
「四頭しか馬がいないのですか?」
「いえ、私は一人では馬に乗れないのです」
傭兵団の頭目なのに?
「ラインハルト様の馬に乗せて下さいませ」
二人乗り?
か、顔が赤くなる。
ま、まあ、僕たちは二人とも軽いだろうから馬にもそれほど負担はないだろう。
で、でも、妙齢のご婦人と二人乗りなんてしていいのかな?
僕が前? それとも後ろ?
ど、どうしよう!?
フィーネさんと二人でバイクに乗るのとはわけが違う。
こんな美人と相乗りなんて頭が爆発しそうだよ。
パニックになりそうになったので氷冷魔法で頭を冷やした。
これは母上直伝の技だ。
母上も興奮した時はこうして落ち着きを取り戻していたそうだ。
あの冷静沈着な母上が興奮する状況なんて、ちょっと想像できないんだけどね。
「わ、わかりました。お任せください」
馬が引かれてきたけど、前に乗っていいのか後ろに乗っていいのかわからずに、マゴマゴしていた。
「さあ、お先に乗って私を引き上げて下さい」
どうやら僕が前に乗るようだ。
促されるままに馬に跨りユージェニーさんを引き上げた。
「っ!!」
背中にすごく柔らかなものが当たっている。
ていうか、なんでそんなに密着してくるんだろう?
ひょっとして馬が怖いのかもしれない。
だったら僕が堂々としてユージェニーさんを安心させてあげないとね。
「大丈夫ですよ、早駈けをするわけではありませんから」
「はい、失礼しました。ふふっ……」
ユージェニーさんは囁くように言って体を離した。
笑っている?
怖いわけじゃないのかな?
ユージェニーさんの濃密な香りに包まれながら、僕らは南へ向けて夜のラインガ街道を出発した。
馬というものは長距離をずっと走ることはできない。
そんなことをすればすぐに息が上がってしまうからだ。
だから僕らは通常より少し早いくらいのスピードで夜の道を進んだ。
僕らの総勢は5人。
僕、ユージェニーさん、メイドのカリーナさん、そして側近騎士のリタさんとエレーヌさんだ。
この中で男は僕だけだからとっても緊張してしまう。
途中でオストレアの追撃がないかと何回も後ろを振り返ってしまうのだけど、ユージェニーさんは気にも留めていないようだった。
「ラインハルトさんは眠くはありませんか? もう、すっかり夜中ですものね」
こんな状況で眠くなるわけがない。
オストレア兵のことだけじゃなくて、すぐ後ろにユージェニーさんが乗っているので出発からずっと緊張のし通しだった。
体を支えるために彼女は僕の腰につかまっていて、その部分がカッと熱くなってくるような気がしてしまう。
それに、たまにユージェニーさんの体が僕にあたるのだ。
そのたびにドキッっとして、頭が沸騰しそうになってしまう。
「だ、大丈夫です。ユージェニーさんこそお疲れではありませんか?」
「少しだけ。でも、ラインハルトさんがご一緒ですから平気です」
その言葉だけで力が湧いてくるような気がしたけど、何故かカリーナさんが呆れた様な目でユージェニーさんを見つめていた。
護衛騎士のリタさんが馬を寄せてきた。
「そろそろ馬を休ませましょう。少し先に水場があります」
ずっと歩かされて馬も喉が渇いたことだろう。
バーデン湖のほとりへ降りられる場所があるようだから、そこで人馬ともに休憩をとることにした。
本当はこんなことをしなくても、僕が父上から受け継いだスキルを使えばもっといい馬に乗れるのだが、事情があってその手はまだ使えない。
父上にも本当に困ったとき以外、人前で使うことを禁じられている。
それにブレガンツまで行くとなると僕の魔力がもつかどうかも心配だった。
父上のスキルは数あれど、僕が受け継ぐことができたのは一つだけだ。
それがスキル式神だった。
魔力によって生み出された精霊のようなものを使役することができるスキルで、十二種類の式神を操ることができる。
その七番目が
一般的な馬よりも早く、強く、僕の魔力が続く限り走り続けることができる。
だけど、僕は普通の貴族と比べたら保有魔力量は多いのだけど、父上や吉岡のおじさんと比べるとかなり少ない。
勇者であるゲイリーさんやユウイチさんもすごい魔力をもっているから、地球人というのが規格外なのだろう。
父上だったら磨墨を使ってブレガンツまで走らせることだって可能だろうけど、僕にはとても無理なのだ。
すぐに魔力切れを起こしてしまうから。
式神を使うには膨大な魔力が必要だった。だから、式神を使うのはいざという時まで取っておかなくてはならないのだ。
他にも雷龍という式神を使えば強力な範囲魔法のような攻撃ができるのだけど、使用するにはほぼ全魔力が必要となる。
これは最終手段のようなもので、父上にはもう少し魔力量が増えるまでは絶対に使ってはいけないと厳命されていた。
ただ、夜の道を馬で走るのは大変だ。
使用魔力量が一番少ない火鼠くらいなら使ってもいいかな?
火鼠なら三時間くらいなら具現化させておける。
三時間じゃ役に立たないか……。
自分の中途半端さに腹の立つ思いだった。
♢
ラインハルトから少し離れたところで、カリーナはユリアーナの身だしなみを整えていた。
ユリアーナの豊かな髪をとかしながらカリーナが苦言を呈する。
「お嬢様、いくら楽しいからと言ってお遊びが過ぎませんか? 馬に乗れない傭兵団の頭目がどこにいるのですか?」
カリーナの物言いは呆れたようだったが、当のユリアーナは気にも留めていない。
「あら、世界は広いのよ。探せば一人くらい馬に乗れない傭兵団長がいるかもしれないわ」
「お嬢様……」
「そんなに怒らないでよ、カリーナ。それともやきもち?」
ユリアーナの挑発をカリーナは軽く受け流した。
「父親がダメだったから息子だなんて、私はそんなに安易ではありません」
「ひどい言いようね。私だってあの子をコウタさんの代わりにしたいわけじゃないわよ。ただ、あの子はとても可愛いでしょう? それに、やっぱり似ているのよね……」
口をつぐんだユリアーナをみて、カリーナは小さなため息をついた。
「それで、どうなさるおつもりですか?」
「どうって?」
「今後ですよ。ラインハルト様をブレガンツへ届けるということでよろしいんですよね?」
「ええ。いっそ、王都まで送り届けてあげようかしら? だって、心配じゃない」
カリーナとしても異存はなかった。
年齢の割に聡明な少年だが、世間知らずの危うさも感じた。
人の好さは父親譲りだろう、そう考えるとカリーナの口元からも自然と笑みが零れた。
「誰かに騙されて酷い目に合うかもしれないわ」
「すでに、お嬢様に騙されていますよね」
「まあ! 私は何も騙していませんよ。心から心配していますし」
「だったらどうして偽名なんて使うのですか」
「それは……クララ・アンスバッハの恨みを買わないためよ。あの人を相手にするのは少々厄介ですもの」
「十四年前に嫌というほど学習しましたよね」
「カリーナは十四年で口が悪くなりました……」
二人は同時に笑い出した。
そして、哀れな少年を王都まで送り届けるということで意見を一致させるのだった。
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