第182話 少年の置かれた環境
ゴルフスドルフを出発して二時間くらいは経過しただろう。
いつの間にか月は西へと傾いている。
時刻はすでに深夜となっていたけど、僕らはライプニッツという比較的大きな町の手前まで来ていた。
側近騎士のリタさんは地理に詳しく、宿場町の様子にも明るい人だった。
「ライプニッツなら
駅家というのは駅伝制の馬が飼われている場所だ。
ラインガ街道では15キロおきに駅家を設けて情報を伝達できるようにしてあるのだ。
僕はここの駅馬を使ってオストレア来襲の報をブレガンツ基地に届けようと思っていた。
だけど、この街がオストレアの手に落ちていないとは言いきれない。
むしろ、情報拡散を遅らせるために、ゴルフスドルフと同時にライプニッツが襲われていることも十分に考えられることだった。
それに、街道のどこかでオストレアの兵士たちが待ち伏せしているか知れたものではない。
「とは言っても、期待はしない方がいいですよ」
リタさんも同じことを考えているのだろう。
すでにライプニッツの街は落ちているとみたか……。
「やっぱ、ダメぽだね。あれを見てみ」
もう一人の側近騎士であるエレーヌさんがライプニッツ方面を指さした。
本来なら人々は寝ているはずの街の往来に、赤々と篝火(かがりび)が焚かれているのが見え、何人もの人影が動いている。
「リタ、迂回路にあてはありますか?」
「ええっ!?」
ユージェニーさんの質問にリタさんが驚いていた。
いや、驚くようなことじゃないだろう?
こちらは5人しかいないわけだし、正面突破なんてできるわけがない。
「迂回するのですか? 団長なら正面から……」
「リタ……」
「ひ、東側に間道がございます」
遠回りになってしまうけど、そちらを使ってブレガンツへ行くしかないか。
「ラインハルトさん、いかがいたしますか?」
「間道を使ってもう少し南へ進みましょう。でも、その前に皆さんの体力を回復させなければいけませんね。魔法を使いますので僕の周りに集まってください」
「まあ! ラインハルトさんは回復魔法も使えるのですね」
ユージェニーさんが感心したように僕を見てくれるので、とても誇らしい気持になったけど、厳密に言うとちょっと違う。
「回復魔法ではなく、僕が父上から受け継いだ固有スキルみたいなものでして……」
「お父上から!? 見せてくださいませ!」
ユージェニーさん、すごい食いつきよう……。
父上には緊急事態の時以外は人前で使うなといわれているけど、今は十分差し迫った状況だと思う。
ユージェニーさんたちは信用できる人だと思うし大丈夫だろう。
「いでよ、
式神・快癒羊を呼び出した。
九番目の式神は羊の姿をしていて、名前のとおり人の体を癒すことができる。
そうはいっても吉岡のおじさんの回復魔法ほどの威力はない。
あの人の回復魔法はどんなに重篤な傷病も治してしまうほどで、高位神官さえ大賢者の治癒の力には及ばないと言われている。
でもおじさんが言うには、父上の
ちょっと信じられない話だったから、本当のところはどうなのか父上に尋ねたのだけど、言葉を濁して曖昧な笑顔しか見せてくれなかった。
どうやら自分のスキルを人々に知られるのが父上は嫌なようなのだ。
だから、父上の
父上が治していたのは母上とユッタばあやの肩凝りくらいのものだった。
「これは……精霊?」
ユージェニーさんは興味深げに快癒羊を覗き込んでいる。
「式神といいます。この羊が皆さんの体力を回復しますので、快癒羊を囲むように並んでください」
「承知しました。みんな、ラインハルトさんの言うとおりに」
「あまり広範囲に魔法はかけられないのでなるべく羊の近くに集まってください」
快癒羊は範囲魔法のように回復をかけられるのだけど、その有効半径は狭く、1.5mしかないのだ。
「えっ! あ、あの……」
右腕にユージェニーさんがぴたりとくっついてくる。
「うわっ!」
左腕にはカリーナさん?
「そ、そこまでくっつかなくても大丈夫……ですよ」
そう言ったのにお二人ともニコニコと笑っているだけで離れてくれなかった。
僕の近くにいた方がより回復すると考えているのかな?
よくわからないけど、さっさとすませてしまおう。
「快癒羊、癒しの緑風を」
「メェー」
一声鳴いた快癒羊から柔らかな
「素晴らしいお力ですわ」
魔力は半分になってしまったけどユージェニーさんに褒められてよかった。
「さあ、いつまでもここにいては見つかる危険もあります。少し移動しましょう」
馬たちも癒しの緑風を浴びて元気を取り戻している。
今夜中にもう少しだけ南下して、安全な場所にたどり着いてから休むことにした。
♢
出発直前になって護衛騎士のリタはメイドのカリーナの耳に囁いた。
「どうして迂回なんてするのです? ユリアーナ様が能力を使えばライプニッツをお一人で陥落させることだってできるじゃないですか」
敵兵たちを次々と魅了魔法で洗脳していけば不可能な話ではない。
かつてグローセルの聖女と呼ばれたこの女の魔法はさらに磨きがかかり、それなりの遣い手でなければレジストすることは難しくなっている。
この魔法を使って敵兵力の中に裏切り者を多数用意し、漂泊の団は連戦連勝を続けており、リタの疑問は当然のものだった。
だが、カリーナからの答えに護衛騎士たちは力が抜ける思いがした。
「お嬢様は愛の逃避行ゴッコをご
「あの少年とですか?」
お相手が若すぎて焦っているようだ。
ラインハルトは十三歳、成人に至るまでまだ数年を要する。
「アハハ! 団長が実はショタコンだったなんて、ウケる!」
もう一人の護衛騎士であるエレーヌはさもおかしそうに二人を眺めた。
どう見ても年の離れた姉弟にしか見えない。
この二人を見て恋人同士と思う人はいないだろう。
「今回は特別な事情があるのです。付き合う気がなければ本隊に戻っていても構いませんよ。お嬢様の身の回りのお世話だけなら私だけでも事足りますし……」
カリーナは軽い溜息をついた。
「私はついていくよ。だって、面白そうだもん」
エレーヌはクリクリとした瞳を輝かせて喜んでいる。
少女と見紛うばかりの容姿をしているが22歳であり、戦場の申し子のように戦いが好きだった。
「念のために言っておきますが、ラインハルト様に手をだすことは厳禁です」
「手を出すってどぉいうことぉ? 私が食べちゃダメってことかな? それともぉ、殺しちゃダメってことかな?」
「どちらもです。ラインハルト様の前では礼儀正しくしてくださいよ。特にリタさん」
意外にもカリーナは真面目そうなリタに釘を刺していた。
「わ、私は……」
普段は謹厳実直な騎士である彼女こそ、正真正銘、真性のショタコンだった。
しかも銀髪で美しい顔をしたラインハルトはドストライク中のドストライク、リタの食指が動かないわけがなかったのだ。
「あいさつ代わりのキスくらいなら……」
「ダメです」
「軽いスキンシップとかくらいなら……」
「ダメです」
「き、厳しすぎませんか?」
「ラインハルト様はユリアーナ様にとって初恋の方のご子息です。手出しは一切なりません(私にとってもですが……)」
驚愕の事実に二人の護衛騎士は目を見開いた。
「ラインハルト様に手を出すということは、『グローセルの聖女』『氷の淑女』『セラフェイムの眷属』『大賢者ヨシオカ』『勇者ゲイリー』、少なくともこの五人を相手にしなくてはならないということですよ。その覚悟がありまして?」
「アハハ、ないない。私にはそんな覚悟はぜーんぜんない!」
エレーヌは笑って否定したが、リタは身じろぎもしなかった。
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