第171話 パレード・パレード

 ユリアーナは舷側にもたれながら波の向こう側に見えるキュバール本島を眺めていた。

この船も後一時間もかからずにパレード港へ到着すると聞いている。

24時間休みなく船を動かし続けたので、ひょっとしたら途中で日野春たちを追い越しているかもしれなかったが、それはどうでもいいことだ。

勇者ラジープの近くで待っていれば日野春たちは必ずやってくるのだから。


「こちらにいらしたのですね」


 新調したばかりのメイド服を着たカリーナがユリアーナのところへやってきた。

以前は全体的に折れそうに細かった肉体が、女性らしい柔らかな体つきになっている。

ユリアーナはチラリとカリーナを見ただけで何も答えなかった。


「どうされたのですか?」


 ユリアーナは不機嫌ではなかったが、ぼんやりと退屈そうではあった。


「少し冷静に自分のことを考えていたの。私は何をしているのかしらってね」

「他人の婚約者に横恋慕して略奪しようとしていますわ」


 ユリアーナはカリーナを驚いたように見つめ、それからさも楽し気に笑った。


「カリーナは女の体を手に入れてから、少し性格が悪くなったのではないかしら?」

「いえ。私はお嬢様をお諫めしようとは考えておりません……」

「そうね。事実を言っただけよね。そう……私はコウタさんが欲しいだけ……」


 カリーナは自分の主がいかに情熱的であるかをよく心得ていた。

外見はおっとりとしていてそうは見えないが、聖女の顔の下は直情的でせっかちで刹那主義だった。


「もしかして……もうお飽きになられましたか?」


 そうであればいいのにと思いながらカリーナは質問してみたが、ユリアーナは小さく首を振った。


「まだよ。もう少しくらいは楽しみたいわ。だって、コウタさんは心の底から私を愛してはくださっていないもの。せめて一度くらいは愛されてみたいわ。その後なら心置きなく解放してあげられるのですけど……」


 ユリアーナがここまで何かに執着をみせるのも珍しいことではあった。


「そうですか。ではヒノハル様の愛を手に入れられたら次はどうしましょうか?」


 カリーナも主に倣って遠くに見える海岸線に視線をやった。


「そうねぇ……、資金ならいくらでもあるから大抵のことが可能よね。慈善事業をしてもいいし、巨大な傭兵組織を作るなんていうのも悪くないわ。どこかの国の王様に取り入って傾国の美女ごっこも楽しそうよね……」


 そんなことをつぶやくユリアーナだが別段楽しそうには見えない。


「傾国の美女でございますか。よろしいのですか? ヒノハル様が嫉妬をされてしまうかもしれませんよ」


 ユリアーナが初めて少しだけ嬉しそうな表情をした。


「嫉妬をしてくれるのならばそれもいいわね。国王になんて指一本触れさせずに国を乗っ取るわ。王位をプレゼントしてもコウタさんは喜ばないでしょうけど……」

「ものすごく迷惑に思われるでしょうね」


 二人の少女は顔を見合わせて小さく笑った。


「上陸前に水浴びをするわ。部屋に用意をさせて」

「かしこまりました」


 船内に戻るユリアーナを見つめながら、カリーナは一つの旅の終わりを敏感に感じ取っていた。




 クララと吉岡を乗せたカティ・ポラリス号は一路パレード港へ向かっていた。

本来はキュバール最大の港であるババナへ向かう予定だったのだが、クララたちが船長を買収してパレードへ直接向かう進路を取ってもらったのだ。

吉岡の風魔法のおかげと相まって、予定していた旅行日程よりも大幅な時間短縮ができていた。


 突如、マストの最上部で見張りをしていた甲板部員が声を上げた。


「キュバールが見えたぞぉ‼」


 久しぶりの陸地に船員たちの顔にも安堵の表情が広がる。

帆の陰で休んでいたクララと吉岡も互いの顔を見て頷き合った。


「いよいよですね」

「ああ。この次はオルキンまでの陸路になるな。ここまで本当によくやってくれた。アキト、ありがとう」

「自分も早く先輩に会って文句の一つも言ってやりたいところでしたからね」


 先ほどまで吉岡は帆に風を当て続けていたが、もう充分だろう。

上陸のための荷造りは既にできていたが、生真面目なクララは忘れ物がないかもう一度自分の部屋を点検するのだった。


 船の人々に見送られてクララと吉岡はパレードの港へ降り立った。

南国の港町は異国情緒に溢れているが、コウタの行方が気になるクララは雰囲気を楽しめるような余裕はない。


「どこかで馬を手に入れなければならないな。オルキンまでの駅馬車があればそれでもよいが」

「駅馬車はあきらめた方がいいかもしれませんね」


 吉岡はこれまで歩いてきた道を見て首を振る。

道は明らかに整備不十分だったし、文明度合いもあまり進んでいないように思われる。

キュバールは数年前にイスべニアの植民地になったばかりなので駅馬車制度が制定されているとはとても思えなかった。

 二人は馬を求めて繁華街へ行くのだが、この国では馬が希少であり、販売などされていないことをようやく知ることになった。


「こんなことなら先輩のモトクロッサーを持ってくるべきでした……」


 シュンとうなだれる吉岡をクララは励ました。


「一万キロ以上の旅の果てにこの地にたどり着いたのだ。あと二〇〇キロくらいどうということもない。歩いて行けばいいのだよ」


 クララは吉岡の肩を優しくたたいた。


 そんな二人の方へ一台の馬車が向かってきた。沿道の人の中には馬を初めて見る者も多数いるようで、みんなが驚いて見慣れぬ生物を凝視している。

二頭立ての箱馬車で、一目見れば船によって運ばれてきた舶来品だとわかった。

馬車の前後にはお供らしき二〇人ほどがいて、高貴な身分の者が乗っていることがうかがい知れた。


「あの馬を売ってもらうわけにはいきませんかね?」


 吉岡が思わず本音を漏らす。


「そう都合よくはいくまい……」


 人間よりも馬の方が船賃は高い。

無事に長い航海を終えて渡ってこられる確率も低いから、余程の高額でも馬主は譲りたがらないだろう。

ましてや繁殖で一儲けしようと目論んでいるようなら商談はスムーズにいくとは思えない。

だが、吉岡はカバンの中身の現金や債券、銀行の信用預証などを思い返していた。


(二千万レウンまでだったら出せる)


 その考えに至ったとき吉岡は馬車の進行を妨げるように両手を広げて立ち塞がっていた。


「ドウ! ドーウ!」


 いななく馬を宥めて御者が怒鳴りつけてくる。


「なんだいアンタは!? 急に危ないじゃないか!」


 御者の口から発せられたのは、なんとザクセンス語だった。

イスべニア語もキュバール語も知らない吉岡は好都合とばかりに話しかけた。


「突然申し訳ないのですが、この馬車の持ち主の方とお話がしたいのです。私はザクセンス王国騎士爵でアキト・ヨシオカと申します。あちらは――」


 クララの紹介をしようとした吉岡の言葉はそこで止まってしまった。

なぜなら馬車の窓の部分を見つめたままクララが恐ろしいまでの冷気を纏っていたからだ。


「クララ様?」


 停車した馬車の窓は外部の風を取り入れるために全開になっていた。

そして、その窓にはクララの顔を凝視するユリアーナの姿があった。

突如、バチッと音を立ててクララの顔面の前に紫電が走る。

ユリアーナによる魔法干渉を魔力の防壁でクララが遮ったものだった。


魅了魔法チャームか。そのような児戯じぎが私に通用するなどとは思わないことだ」


 氷よりも冷たいクララの声が聞く者の肝を冷やしていく。

だが、ユリアーナも張り付いたような聖女の笑顔を崩すようなことはなかった。

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