第170話 風に吹かれて
パレード港はキュバール国でも五本の指に入る大きさの港だ。
首都ババナほどの派手さはないが、各種の産物や貿易品を載せた船が海を越えて集まり、水平線の彼方へと消えていく姿は絶えない。
所定の料金を支払い港で船を預かってもらう手続きを済ませると、さっそく街を探検した。
「まずは今夜の宿泊先を確保して、それからオルキンまでの詳しい道のりを聞かないとね」
勇者ラジープは東の内陸部であるオルキンにいる。
「なんとか馬を手に入れたいところですが……」
エマさんが俺の方を心配そうに見てきた。
きっと俺の体を気遣ってくれているのだろう。
オルキンはここから200キロくらい離れているので、移動手段としての馬があれば大いに助かる。
しかしキュバールには野生の馬というものは存在せず、繁殖も入植者によって始まったばかりだ。
だから馬や馬車の数は極端に少なく、おいそれとは買うことができなかった。
「これでも体力はある方だから、のんびりと歩いていきますよ」
「しかし、私共ばかり治癒魔法で回復していただくのは気が引けます……」
|神の指先(ゴッドフィンガー)は自分に使えないんだから仕方がない。
「気にしないでください。俺も無理はしないようにしますから」
一日に30キロくらいなら歩けると思うから、だいたい一週間もあればオルキンに到着できると俺は踏んでいる。
見通しが甘いかな?
「馬がないなら牛に乗っていけばいいんだよ! ヒノハル様のチギュ~なら疲れ知らずだからちょうどいい」
レナーラさんの言う通りだ。
「式神」の地牛なら俺の魔力が続く限り活動限界はこない。
それにこの地域では牛に荷車や鞍をつけるのは一般的なことなので、そうしたグッズはたくさん売られているのだ。
人に聞きながら牛グッズを売る店を訪ね、朱い房飾りのついた鞍を購入した。
俺の地牛はシミ一つないほど真っ白な牝牛なので目に染みるほど飾りが目立つ。
「珍しい牛だねぇ。こんな種類は見たこともねーや」
鞍を取り付けてくれる店の親父さんも興味津々で地牛を見ている。
「こいつは外国から持ち込まれた種類かい?」
「ええまあ。ザクセンスだかジパングだかです……」
「ザクセンスは知っているがジパングとは聞かない名前だな」
それはそうだろう。
こちらの世界にジパングはたぶんない。
あったらぜひ行ってみたいものだが……。
地牛の背中に乗ってわかったことがある。
エマさんもラクさんも知らなかったのだが、俺のスキルには「乗馬」というのもあった。
このスキルは馬に対して絶大な効力を発揮するわけだが、牛に乗ることでも多少の影響をおよぼすようだ。
おかげでまったくの素人のようにもたつくこともなく、疲労を軽減する上手な乗り方ができたよ。
「地牛、よろしく頼むよ」
魔力を込めた指先で優しく首筋を撫でてやると、地牛は機嫌よさげに「ブモォー」と鳴いた。
買い物を済ませ、宿に落ち着いた俺たちは無事に航海を終えたお祝いをした。
雨や虎人族などまったくトラブルがなかったわけじゃないけど、終わり良ければ総て良しというやつだ。
ラクさんやエマさんも珍しくラム酒のミント水割を飲んで寛いでいた。
そして、部屋に戻った俺は泥のように深い眠りについた。
なんだかんだで屋根と壁に囲まれた寝床は最高に安心できるということがよくわかった。
文明というのは生まれるべくして生まれたのではなかろうか。
様々な建築様式を得た人類は、もう二度と洞窟の生活に戻りたいとは思わないだろう。
思ったとしてもほんの数日間がいいところじゃないのか?
たぶん、週末のキャンプくらいで充分なのだ。
翌日は早朝からオルキンに向けて出発した。
薄暗い街を歩いているときはユリアーナの追手がいないかとビクビクしていたが、俺たちを呼び止めるものは誰もいなかった。
すれ違うのは朝市へ商品を出すために卵や野菜の籠を抱えた奥さんたちばかりだ。
町を抜けて街道に出るころには緊張も解けてきて、俺も地牛の上でようやく一息つくことができた。
沿道の野アザミが時おり朝露でラクさん達の足を濡らしているのを、俺は地牛の鞍に跨りぼんやりと眺めていた。
お尻にはウレタンのクッションを二重に敷いている。
スキル「乗馬」の補正で臀部の痛みは少ないだろうが、用心に越したことはない。
地牛は思っていたよりずっとキビキビ歩いてくれた。
時速6キロくらいは出ていると思う。
この先は山道や、荒廃した道もあるそうだから平均時速がこれだと思ってはいけないが、この調子なら今日は予定よりもずっと進めるかもしれない。
牛の背に揺られながら俺は口笛でも吹きたい気分だった。
「みんな、疲れたら遠慮なく言ってね。すぐに治癒魔法をかけるからね」
ラクさんもエマさんも遠慮するタイプなので15分ごとに|神の指先(ゴッドフィンガー)を使って疲労回復をしているけど足りているだろうか?
もっとも、遠慮の二文字を知らないレナーラさんも平気な顔で歩いているからきっと大丈夫なのだろう。
レナーラさんは好奇心旺盛で地牛にも遠慮なく乗りたがった。
少しだけ交代してあげたが200メートルもしない内に飽きていたけどね。
「なあ、地牛。お前は疲れないのか?」
まったく休憩を取らずに歩き続けている地牛に聞いてみたが、答えは「モゥー」だった。
おそらく問題無と言ったのだろう。
足取りは相変わらずしっかりしていて、表情も穏やかなままだった。
「ありがとうな」
地牛の首筋を撫でてやっていたら、突然スキルがレベルアップした。
あまりにもいきなりだったのでびっくりして地牛から落ちるところだったぜ。
スキル名
式神である風虎を使役できるようになる。
風魔法を使う式神。
簡単な命令を理解でき空を飛ぶことも可能。
伝令役もこなせる。
レベルアップすると式神・
ほほう、これがスキルのレベルアップか。
本当に突然レベルが上がるんだな。
朝からずっと地牛を使役していたおかげで風虎を使えるようになったのかもしれない。
空間収納がレベルアップしていたのは知っていたけど、他のスキルは初めてなんだよね。
空間収納の場合は荷物をぎっちり詰めたはずなのに、翌日見たら隙間ができていて成長を確認できたんだ。
今ではサイズも高さ71×横幅84×奥行102(cm)になって更に使いやすくなっている。
早速、式神・風虎を呼び出してみたが、現れたのは大きな猫サイズの子トラだった。
メイン・クーンって種類の大きなネコがいたと思う。
あれくらいの大きさだ。
色は白と黒の縞模様で非常に美しい。
「やあ、風虎。これからよろしくな」
呼びかけると風虎はフワフワと浮き上がり俺の膝の前で座った。
「クルルルル」
鳴き声も可愛い。
先日襲われた虎人族とは大違いだ。
「風虎は風魔法が使えるんだって?」
俺が聞くと風虎は尻尾をピンと立てて胸を張った。
「もちろんでございます」と言っているようだ。
「それじゃあ、お前の魔法を早速見せてよ」
「クルル」
風虎は大きく頷いて体を震わせた。
途端に俺の方に風が降り注ぐ。
まるで扇風機の「中」くらいの風力だった。
「えーと……、今のが全力かな?」
尋ねると、風虎はブンブンと首を横に振った。
心なしか焦っているような感じがする。
「クルルル」
またもや身体を震わせて、風虎が風をおくってきた。
今度は扇風機の「強」くらいの強さだった。
「す、すごいじゃないか」
「クルルルル」
褒めてやると風虎は安心したように溜息をついた。
どうやら本当に全力だったようだ。
こいつは空も飛べるようだし、今はアレでも今後実力をつけていけばいいだろう。
ちょうど風も止んで日差しも強くなっている。
俺は風虎に微風を送ってもらいながら地牛の上で牧歌的な風景をのんびりと楽しむことにした。
♢
ジブタニア港を出発したクララを乗せたカティ・ポラリス号は、普段の三倍のスピードで波を打ち砕いていた。
船の後方には巨大な魔法陣が浮き上がり、そこから風が勢いよく帆布に吹き込んでいる。
賢者ヨシオカの作り出した風魔法だった。
風が弱い日や吹かない日は、こうして吉岡が風魔法を使っているおかげで航海日程は大幅に短縮されている。
船を預かるライザップ船長は一度ならず吉岡を冒険航海に誘った。
この世界ではすべての海が白日の下にさらされたわけではない。
世界地図は未だ未記入のところばかりなのだ。
「ヨシオカ様、貴方のご用が済んだら、ぜひ私と世界の果てを見に行きませんか? 貴方とでしたら余人ではなし得ぬ偉業を成し遂げることができると思うのです!」
少しワインを飲みすぎると船長は何度も吉岡に同じ言葉を投げかけた。
そのたびに吉岡も同じ答えを繰り返す。
「たしかに冒険の旅は心をくすぐられますね。ですが、すべては私の相棒が見つかってからですよ。それに先輩を見たら船長は絶対に彼も冒険に誘いたくなるはずです。先輩は私なんかよりずっと役に立つ男なんですから!」
その言葉を聞くたびにライザップ船長は考え込んだ。
ヨシオカ騎士爵の言うヒノハル騎士爵とはいったいどんな人なのだろう?
ひょっとするとヨシオカ騎士爵を凌ぐ風魔法を使える御仁なのかもしれない。
ライザップ船長には牛の背に乗り、微風で涼む日野春の姿を想像することはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます