第168話 雨の中で踊る
ババナの港でも最高級との呼び声が高いホテルラグーン。
その一室に居を構えたユリアーナのもとにカリーナが戻ってきた。
「ただいま戻りました」
普段と変わらぬ態度でしずしずと入室してくるカリーナにユリアーナは特段の注意を払っていなかった。
「随分と遅かったのね。よさそうな帽子屋は見つかっ――」
ユリアーナは自らの言葉を飲み込んだ。
そして穴のあくほどしげしげとカリーナの体を観察する。
つい一時間前まではほっそりとした体つきだったカリーナが、今では服の上からもわかるほど柔らかく、おうとつのあるプロポーションに変化していた。
ユリアーナは無言のままカリーナの周りを360度移動しながら精査し、カリーナは直立不動のままだった。
おもむろにユリアーナの手が動き、むんずとカリーナの胸を掴んだ。
カリーナは苦し気に眉をしかめた。
「お嬢様、いとうございます」
「つくりものではないのね。感覚もちゃんとある……」
そう言いながらユリアーナは指の腹で胸の頭頂部を円を描くように撫でまわした。
「キャッ!」
カリーナは身を固くしたが、逃げ出すことはなかった。
「そういう感覚もあるのね……」
まるで大事な実験をするようにユリアーナはカリーナの体をまさぐっていた。
「これはコウタさんが?」
こんなことができそうな人間は日野春公太くらいしか思いつかない。
「はい。ヒノハル様が私を女にしてくださいました」
カリーナの言葉を誇らしさと悲しみが彩った。
「そう……」
呟きながら、ユリアーナはカリーナを強く抱きしめた。
「よかったわね、カリーナ……」
「お嬢様……」
二人は熱い涙を流しながら抱擁を重ねた。
ユリアーナの瞳はカリーナを慈しむように穏やかだった。
二人の少女はしばらく抱き合っていたが、やがてユリアーナはその体をカリーナから離して質問した。
「それで、コウタさんはどちらに行かれたの?」
「言えません」
きっぱりとしたカリーナの答えにユリアーナは驚くことはなかった。
「貴方を拷問にかけるわよ。せっかく授かった体をホイベルガーに、いえ、そこいらにいる男たちに犯させるかもしれないわ」
「それでも話すことはできません」
ユリアーナはどうしようかとしばらく思案していた。
「まあいいわ。お前への罰はまた後で考えましょう。ヒノハル様は勇者ラジープのところに向かったということは分かっていますからね」
ユリアーナは既に領事館でその情報を仕入れていた。
だから先回りしてラジープを見張っていればコウタを捕まえられるはずだと目論んでいる。
だが、ユリアーナは大きな思い違いをしていた。
資金を持たない公太たちがラジープのもとへたどり着くにはかなりの時間を要するはずだと考えていたのだ。
ユリアーナたちはコウタの空間収納については全く知らなかったし、その中に何が入っているかもわかっていなかったのだ。
♢
ババナ港を出て航海は二日目に入っていたが、突然のスコールが俺たちの視界を灰色に遮っていた。
こうなると船を動かすことなどできないので、海流に流されないように錨を下ろして海上に停泊するしかなかった。
帆を畳んでいる間にも雨水はどんどん浸水してくる。
エマさんとレナーラさんがシートで船体を覆ったが、船底にたまった水を定期的にかきださないと沈んでしまいそうなほどだった。
こうしている間にも大型船に乗ったユリアーナが迫ってくると考えて気が気でなかったが、大自然の前では個人はあまりに無力だ。
だったら与えられた状況を楽しむだけだと気持ちを切り替えた。
「すみませんエマさん。俺はこの雨を利用してシャワーを浴びてきます。しばらく向こうを向いていていただけませんか?」
「シャワー?」
「水浴びをするんですよ。そのために服を脱ぎたいのです」
エマさんは顔を赤らめながらこちら側に背を向けた。
「レナーラさんもあっちを向いていてもらえますか?」
「気にしなくていいよ」
「いや、俺が気にするんです……」
二人に向こうを向いていてもらって、服を脱ぎスコールの中へと躍り出た。
ラクさんも一緒だ。
肌を打ち付ける雨が痛いほどに激しい。
おかげで頭皮までさっぱり洗えそうな気分だった。
ここのところ湿らせたタオルで体を拭くだけの生活だったから、気分も爽快になっていく。
打ち付ける雨が何かの音楽のように聞こえてくるのが不思議だった。
生きとし生けるものはすべからく皆、踊るものなのかもしれない。
大自然の律動を肌で感じながら、俺は素っ裸で体を動かしていた。
「は~~、さっぱりしたぁ!」
乾いたタオルはほっこりしているし、汚れも落ちて実に気分がよい。
ラクさんも気持ちよさそうに頭を拭いている。
「エマさんとレナーラさんもやってくる? 俺たちはここでコーヒーを淹れておくから」
エマさんはしばらく思案してから反対側のカヌーに移っていった。
きっとさっぱりと綺麗になった俺たちが羨ましかったのだろう。
レナーラさんはこの場で服を脱ごうとしてラクさんに叱られていた。
南国に入った最近では、暑さのせいでホットドリンクを飲む気はあまり起こらないのだけれど、雨のおかげで気温は下がっている。
せっかくババナの港でコーヒー豆も買ったというのにまだ一度も味を確かめていない。
生豆だから焙煎しなければならないが、どうせ時間はたっぷりあるのだ。
ジタバタしたところで雨はまだ一時間は降り続けるし、その後は向かい風が吹くことも「気象予測」でわかっている。
だったら今のうちにのんびりとした時間を楽しむまでだ。
「火入れは私がやりましょう」
ラクさんが焙煎を受けもってくれた。
見ていると上手にフライパンを振っている。
「慣れた手つきだよね」
「ゴアテマラの民なら誰でもできることです。もっともコーヒーの火入れなんて数年ぶりですがね」
そう話すラクさんの表情はいつもよりも柔らかい。
やがて煎られた豆がわずかに色づきだすと、ほんのりといい香りが立ち上ってくる。
そこで、ラクさんはフーッとフライパンに息を吹きかけた。
チャフと呼ばれる薄皮のカスが舞い上がり外にふき出されていく。
俺は思わず「三匹の子ぶた」という童話のワンシーンを思い出す。
オオカミが藁や木の家を吹き飛ばすあれだ。
だけどラクさんには内緒だよ。
ラクさんは繊細な心の持ち主で、そんなことを言えばきっと傷ついてしまうだろうから。
しばらくローストは続き、ついに見慣れた色にコーヒーは焙煎された。
空間収納の中にある吉岡専用と書かれた箱の中には小型のコーヒーミルも入っていた。
ハンドルを回すとコーヒー豆を挽くことができる機械だ。
吉岡という人はよっぽど食にこだわりがあったのだろう。
おかげで焙煎したて、挽きたてのコーヒーが楽しめるのだけどね。
「おーい、男たちは目を閉じてねぇ! 今からエマさんが戻るよぉ! 裸だから見ちゃだめだよぉ!」
休憩所の外からレナーラさんの元気な声がした。
俺はタオルを用意して入り口に背を向ける。
「いいですよ! 入ってきてください!」
大きな声を張り上げないと相手に聞こえないほど雨音がうるさい。
人の気配がしてエマさんが入ってきたのが分かった。
「そこにタオルを置いておきましたから使ってください」
視線をコーヒーに固定したまま声をかけた。
ポットがシュンシュンと音を立ててお湯が沸いている。
ゴソゴソとエマさんが身繕いをする気配を背中に感じながら、お湯を注いでいくと極上のアロマが船上に広がった。
数日間の共同生活が、ちぐはぐだった俺たち四人にある変化をもたらしている。
それは不思議な調和ともいえた。
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