第163話 最後の晩餐

 ジブタニア港の石造りの建物の応接室でクララ・アンスバッハは吉岡秋人と共にソファに腰掛けていた。

ここのところ毎晩21時になるとクララは送還魔法を試すのが日課となっている。

もしかしたらコウタが自分の呼びかけに応えてくれるかもしれない、そんな淡い期待を胸に魔法を試すのだが虚しく魔力だけが消費されていく毎日だ。

送還は召喚ほどではないにしろ魔力が大きく使われるので、やるのは1日1回だけだ。

そうでなければ、いざ送還が成功したときに、立て続けに召喚する余力がなくなってしまう。

本当は1日に10回でも20回でも試してみたくなるのだが、クララはぐっとその気持ちを抑え込む。

それでも何かの折につけコウタが自分を呼んでいるような気がしてならなかった。

コウタにもらった腕時計をみてため息をついてしまう。

毎晩送還を試している21時までには、あと5時間もあった。


「お待たせいたしました」


 書類の束を持った事務員が応接室へと入ってきた。

クララと吉岡は西大陸への乗船手続きをするためにやってきていたのだ。


「こちらの書類をご確認ください」


 手渡されたのは一等船室二部屋分の領収証や乗船許可証などだ。


「船の名前はカティ・ポラリス号と申しまして、メディーナ商会自慢の貿易船でございます。船長はルーベス・ライザップ殿で、この道30年の大ベテランですよ」

「結果にコミットしそうなお名前ですね」


 吉岡の言葉の意味はよくわからなかったのでクララは無視した。

事務員も同じようで困ったような笑顔を見せている。


「それで出港はいつになりますか?」


クララにとっては1日も早い出航が望まれる。


「三日後の日の出と共に」

 コウタが4日前にユリアーナ・ツェべライと慌ただしくこの港を出港したという目撃情報は得られている。

コウタに命を助けられたという熊人族の男にも直接会って話を聞いた。

似顔絵が掲載された新聞を見せて確かめもしている。

コウタを乗せた船は西大陸を目指していたことは間違いなさそうだった。

だが、なぜコウタはユリアーナと一緒に行動しているのだ?

話を聞いた限りでは監禁されている様子もない。

むしろ仲良く共に笑いあって過ごしていたようだ。

ユリアーナが魅了魔法を使えるという報告は受けているので、コウタが魅了状態にあるというのは予想できる。

だが、なぜ自分の呼びかけに応えてくれない?

繰り返す疑問にクララは煩悶した。

 となりに座って書類を確認していた吉岡が突然顔を上げる。


「リアに呼ばれました。少々行ってきます」


 コウタと同じく召喚獣である吉岡はダンジョン探索中のリアに召喚をかけられたようだ。


「ああ、こちらは私一人で大丈夫だ。リアやゲイリー殿によろしく伝えてくれ」


 燐光を放って吉岡は消えた。

驚いたのはその光景を見ていた事務員の方だ。


「お連れ様がっ! お連れ様が消えてしまいましたよ!」

「彼は魔法が使えるのでな……」


 詳しい説明は煩わしかったのでクララは言葉少なに答えて、書類に不備がないかの確認を続けた。

吉岡は役目が終わればクララのそばに送還されてくるだろう。

自分もそれくらい簡単に空間を行き来できればと思う。


「うまくいかないものだな……」


 思わず独り言ちたクララに、事務員の顔が曇った。


「何かおかしな点でもございましたか?」

「いや、書類は完璧だよ。書類はな……」


 ため息をつきたいところだったが、クララは冷めた紅茶と一緒にその気持ちを飲み込んだ。




 俺の密航生活は13日間にも及んでいた。

途中で風が吹かなくなったり、逆に雷雲にさらされたりと、生きた心地のしないときもあったが、どうやら明日はキュバール最大の港ババナに寄港できる見通しだ。


「ラクさんをはじめ同室の皆さんにはお世話になりました。これらの食べ物は私からの感謝の気持ちです。どうぞ皆さんで召し上がってください」


 これが最後の夕食となりそうなので空間収納からビールとラージサイズのピザを5枚取り出して皆にふるまった。

ピザはこれで無くなってしまうけど今夜は大盤振る舞いだ。

同室の人たちは初めての味に目を白黒させながらピザを頬張っている。

今までは他の人に遠慮して隠れて食事を済ませていたので、堂々と食べられて俺も嬉しい。

本当は毎日一緒に食べたかったけど、最後まで食料がもつか不安だったんだよね。

今晩にでも嵐が来て漂流するようなことにでもなるなら、こんな豪遊はさせてあげられないけど、その心配だけはない。

嵐なんて来ないし、いい追い風が吹くことも俺にはわかっていた。

だって、空を見上げて天気を読もうとしたら「気象予測」のスキルが復活したんだよね。

これから旅をするうえでも非常に役に立ちそうなスキルだ。


「ラクさんとレナーラさんには本当にお世話になりっぱなしでしたね。次にいつ会えるかはわからないけど必ずお礼に行きますよ」

「そのことなのですが……、私もヒノハル様と一緒にキュバールへ行こうかと考えています」


 なんだって?


「私も行くよ!」


 レナーラさんも?


「だけどラクさんたちは故郷に帰る途中ではないですか。船賃だって払っているのでしょう?」

「まあ、お聞きください。ヒノハル様は西大陸について不案内なところが多くはありませんか? 私とレナーラが一緒に行けば必ずお役に立てると思うのです」


 確かにラクさんたちが一緒ならば心強い。


「でも、いいのですか?」

「構いませんとも。私たち二人がいれば獣人の言葉も通訳できますし」


 それは大丈夫だ。

俺には「言語理解」というスキルがある。

熊人族の怪我人を助けたときにブリタリアの言葉も喋れたもんね。

きっと西大陸の言葉も大丈夫なはずだ。


「ラクさんの故郷はゴアテマラでしたよね?」

「はい、そうですが……?」

「ゴアテマラ エプロヴィーア セモ ツレーネ ボン(ゴアテマラよいとこ、一度はおいで)」

「おおっ!」


 ちゃんと通じたみたいだ。


「やっぱりヒノハル様のご先祖は犬人なんだよ! きっとラブランドル島の出身よ! 今のはラブランドル訛りがあったもん!」

「いやいや、ラブランドルは北過ぎるだろう。うちの近所のネオファンドランド島出身にちがいあるまい!」


 ラクさんとレナーラさんは興奮しているけど、どちらも多分違うと思う。

俺はおそらく日本人だぞ。

しかも関東より北のどこかの気がする。

北野優一君と話していてわかったけど、俺には関西弁のアクセントはないもんな。


「それではラクさんとレナーラさんを正式なガイドとして雇いますから、俺と一緒に来てくれませんか?」


 こうしてキュバールではラクさんとレナーラさんが同行してくれることになった。


 勇者ラジープはキュバール国内でスパイスを探す旅をしているそうだ。

優一君の話では現地のザクセンス領事館を訪ねればラジープさんの行方は分かるということだった。

 まずは領事館を訪ねて情報を集めなければならないな。

キュバールは美味しいラム酒やコーヒーの産地でもあるそうだ。

でっかいキュバール海老というロブスターのような海老も美味しいらしい。

低温の油でじっくりと上げたバナナのフリットも有名とのことだった。          

 やっぱり俺は楽天的な性格のようだ。

記憶をなくし、厄介なヤンデレ聖女に追われているというのにこの旅が結構楽しくなっているのだ。

でも、どうせ生きていくのなら少しでも楽しい方が俺はいいと思う。

呪いを解いてもらいに行くというのに、俺はどこかで夏休みのようなウキウキした気分でもあった。

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