第160話 密航

 肌を焼く灼熱の太陽が照りつける裏路地を俺とエマさんは全力疾走していた。

十数人のガラの悪い男たちに追いかけられているのだ。


「待ちやがれ!」

「逃すな。お前らは右手に回り込むんだっ!」


後方に向けてパラライズボールを何発か打ち込んだが、いかんせん人数が多くて焼け石に水だ。


「あれはユリアーナの手下じゃないですよね?」

「船で見たことはありません。雇われた地元のゴロツキでしょう」


 ユリアーナたちは俺たちの風体を港周辺を寝ぐらにしている者たちに探させていたみたいだ。

さっきから小虫が湧きだすようにワラワラと街角から追跡者が現れて、俺たちを包囲しようとしている。

きっと褒賞金か何かを掛けているのだろう。

奴らの目つきは血走っている。

もしかしたらユリアーナの魅了魔法だってかけられているかもしれない。

 しかし、困ったことになったぞ。

これじゃあ、キュバール行きの船を探すどころか、食料一つ手に入れることもできないじゃないか。

 見知らぬ街で無我夢中で走っているうちに倉庫街に出ていた。

ここは船に積む補給品の集積場所だ。

大小の荷車が並び港湾労働者たちがせっせと荷物を運んでいた。


「こっちに来たはずだ」

「しめた! この先は波止場だから逃げ場はねぇ」


 建物の向こうから荒々しい声が聞こえる。

俺は海の上を歩けるから逃げ場はあるんだけどこのままじゃラチがあかないぞ。


「こっちに隠れて!」


 声の方を見れば、猫人族の女の人が荷車の幌をめくって俺を手招いていた。

信用しても大丈夫なのだろうか?

でも招き猫は福をもたらす存在だもんな。

ここはひとつ猫人さんのお誘いに乗ってみることにしよう。


「行きましょう、エマさん」


 追っ手が角を曲がってくる前に幌の下に潜り込み、荷車に身を潜める。


「おい、こっちに男と女の二人連れが逃げてこなかったか?」


 さっきのやつらがここまで来たようだ。

これで猫人のお姉さんが裏切るようなら戦わないとダメだろうな。

エマさんの話では俺は棒術が得意なようだが本当に使えるのだろうか?

こんなことなら船の上で少しくらい練習をしておけばよかった。

 息を殺していると男たちはますますこちらに近づいてきたようだ。


「おい、二人連れが逃げてこなかったか?」

「知らん。仕事の邪魔をしないでくれ」


 顔はわからないが、さっきの猫人とは違う低い男の声が俺たちを匿ってくれた。


「くそ、どこへ行きやがった!?」


 足を踏みならしながら追っ手は去っていった。


「このまま荷車の中にいてください。安全なところまで引っ張っていきます」


 再び低い声がした。

さっきよりずっと優しい声になっている。

顔は見えないけど親切な人なのだろう。


「ありがとうございます」


小さな声でお礼を言っておいた。


 ゴトゴトと音を立てて荷車は進んだ。

デコボコした石畳のせいでお尻が痛かったけど贅沢は言えない。

潮の香りが強く、波の音も大きくなっているから波止場までやってきたのかもしれなかった。


「着いたよ。幌を捲るから積み荷の陰に隠れてね」


 猫人族の女の子の声がして覆いが外された。

射し込む光に一瞬だけ目が眩んだけど、手を引かれて積み荷と積み荷の間に入った。


「まさかこのような場所でお会いできるとは思ってもいませんでしたよ! どうして、バムータに?」


 目の前には凄く怖い顔をした狼族の男性が立っていた?

俺の知り合い?

ていうか怒ってるの?

随分と怖い顔なんだけど……。


「ラクが睨むからヒノハル様が固まってるじゃないか。嬉しいからって牙を見せすぎなんだよ!」


 こちらの猫人も俺の知り合いのようだ。


「どうしたんですかヒノハル様? 本気でラクにビビってる?」


 やっぱり俺とは親しい間柄なのか?

目の前にいる獣人たちはとても親切そうだ。

ラクという男の顔は一見怖いけど、よく見れば誠実そうな人柄が出ている。

この人たちなら金目当てに俺たちをユリアーナに突き出すことはしないかもしれない。


「実はですねぇ……」


 荷物の陰に隠れながら俺は二人に事情を話した。

俺が話している間、彼らは一切言葉を挟まずに、真剣に噛みしめるように話を聴いてくれた。


「――――というわけで、私は過去のことを全く覚えていないのです」

「グルルル……」


 何を唸っているんですか⁉︎

猫人族の女の子の目にも涙が溢れる。


「それじゃあ、ヒノハル様は私たちのことを全然覚えてないの?  本当に?  レナーラとラクだよ!」

「ごめんなさい……」

「よさないかレナーラ。俺たちが別れてからまだ一月ほどしか経っていないのだ。それなのにヒノハル様はこの様子だ。本当に呪いをかけられてしまったのだろう……そうでなければヒノハル様が俺たちを忘れるわけがないのだ!」


 お、落ち着いてくださいラクさん。

鼻にシワを寄せるのはやめて! 怖いから!!


「恩人の名前を忘れるなんて自分でも情けないんですが……ごめんなさい」

「恩人などととんでもない! ヒノハル様は群の長だ。恩義があるのはこちらの方です」


 群れの長?

オオカミさんのリーダーなんて俺には務まらないと思うぞ。


「ヒノハル様とアタイたちは一緒に王都のダンジョンを探索していたのよ」


 そんな話もユリアーナはしていたな。

あいつは嘘にチョイチョイ真実を織り交ぜていたようだ。


「これが俺の名前です」


 そう言って狼人は大事そうに懐から一枚の木札を取り出した。

そこには「ラク」と大きく上手くもない字で書いてある。


「ラクさんか」


まてよ……。


「これって、もしかして俺の字?」


 そう尋ねるとラクさんは誇らしげに大きく頷いた。


「これもヒノハル様にもらったものだ。見てください」


 今度は小さなメモ帳と水性ペンを見せてくれる。

どちらも地球で作られた品物でザクセンスのものではない。

メモ帳はどのページも隙間がないほどびっちりと小さな字が書き込まれ、水性ペンのインクもほとんどなくなっていた。

きっとこれを使って字の練習をしていたんだな。


「申し訳ないがこれを見ても何も思い出せません。ですが、後ろのページにいくにつれて字が格段に上手くなっています。頑張ったんですね」


 感想を口にするとラクさんの尻尾がフッサフッサと大きく揺れた。


「コイツ暇さえあれば字の練習をしていたんですよ。ニマニマしながらさ」

「レナーラ! 余計なことを言うな……」

「だってそうじゃん。どうせヒノハル様に手紙を書こうなんて乙女チックなことを考えていたんでしょう? 狼人のくせにさ」

「うるさいぞ!」

「まあまあ、ところでお二人はどうしてここに?」

「俺たちは故郷に帰るために西大陸行きの船に乗ったのです。船賃は安かったのですが補給地に寄港するたびに荷積みの手伝いをしなければならないのですよ」


それで倉庫街にいたのか。


「じゃあ、この船は西大陸にいくの?」

「はい。ゴアテマラ行きです」

「だったらこれに乗せてもらうことはできないかな? 船賃ならあるんだ」


 だけどラクさんたちは悔しそうに首を振った。


「やめておいた方がいいでしょう。ここの船長は強欲な男です。ヒノハル様から船賃を取ったうえでユリアーナとやらに引き渡すことなど平気でやる奴です」


 それは怖い。


「いっそ密航しちゃえばいいんだよ。私たちが手を貸すからさ」


 レナーラさんが明るく犯罪行為を勧めてきた。

でも、このまま捕まるわけにもいかない。

これは危機的状況における緊急避難的行為だ……。


「エマさん……」

「私なら構いません。ヒノハル様のご判断に従います」

「話は決まったようだね」


 レナーラさんはそう言いながら嬉しそうに大きな麻袋を持ち上げた。


それから数分後、麻袋に入れられた俺たちは、乾燥したトウモロコシや小麦なんかと一緒に船倉へと運ばれた。


「ここでしばらく大人しくしていてくださいよ」

「了解です。ラクさん、申し訳ないのですが先ほどのペンを貸してもらえませんか? それからメモ帳も1ページいただければ」


 ラクさんから紙とペンを受け取った俺は平らな台の上でペンを走らせる。


クララ・アンスバッハ様

バムータの港町にてこの手紙をしたためております。私には時間もなく、ただ私の身に起こった事実のみを記述し、今後の予定のみをお知らせするだけであることをお許しください。

まずお知らせしなければならないことがございます。現在の私には過去に関する記憶がございません――


 大急ぎで手紙を仕上げると10万レウンを添えてラクさんに託した。


「この手紙をお願いします。それから残った金で我々の食料や飲み物も買ってきてください」


 この船は目的地であるキュバールにも寄るのだが、そこまでは一週間くらいはかかるみたいだった。


「承知しました。ですが……食料ですか?」

「うん。水は魔法で作り出せるけど食べ物は無理だからね」

「そうなのですか?」


ラクさんは首をひねっている。

俺は何か変なことを言ったか?


「どうしたの」

「私はてっきりヒノハル様は魔法で食べ物を作り出せると思っていました」


ええっ!?

どういうこと?


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